「映像&史跡 fun」は、映像・テレビ番組・史跡・旅・動画撮影のヒントなどをご紹介するコラムです。


御朱印のお話し / 天草市 崎津教会

先日たまたま、NHKテレビのニュース番組の中で、「教会の御朱印」という内容を見ました。
「何、キリスト教の教会で御朱印?」。
「天草…これは何か事情があるにちがいない。」
これは、熊本県天草市のお話しです。

「天草」と聞いてすぐに思い出すのは、天草四郎の「島原の乱」。
この乱は、ご存じのように、江戸時代の初期に、禁教に苦しむキリスト教徒たちが起した一揆ですね。
武将が群雄割拠する戦国時代の最後の大きな戦といってもいい大規模なもので、勝利した徳川の時代が、このあと300年続きます。

日本では、豊臣秀吉の時代から明治時代初期まで、キリスト教は禁教でしたので、キリスト教徒は隠れて密かに活動していました。
特に江戸時代の弾圧は壮絶なものでした。

学生の頃に、「隠れキリシタン」、「潜伏キリシタン」、「踏み絵」などの言葉を、学校の教科書で覚えた方も多いと思います。
以前に、テレビ番組で、外観は神社やお寺のように造られた建物や部屋なのに、実際はキリスト教の施設であったというものを見た記憶があります。
まさに、禁教時代にキリスト教徒が密かに生きていた証しです。
長い年月、弾圧に苦しみながらも信仰を捨てることなく、代々受け継いできた人々が、そこにはいました。
その中心地のひとつが熊本県の天草という場所です。

2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、熊本県と長崎県の12のキリスト教関連施設が、ユネスコの世界文化遺産に登録されたことは記憶に新しいところですね。
東洋のひとつの国の登録にも関わらず、キリスト教を国教とする世界各国から、すぐに、お祝いのコメントが大量に寄せられたことには驚かされました。日本も世界の一員であるということを実感した出来事でした。
もちろん、日本のキリスト教徒たちが、過去のキリスト教弾圧の歴史を乗り越えてきたことは、登録要因のひとつになっています。

12の施設の名称を書きます。
・大浦天主堂
・原城跡
・春日集落と安満岳
・中江の島
・天草の崎津集落
・外海の出津集落
・外海の大野集落
・黒島集落
・野崎島の集落跡
・頭ヶ島の集落
・久賀島の集落
・奈留島の江上集落

長崎市の国宝「大浦天主堂」や、長崎県島原市の「原城跡」のことは、皆さんもよくご存じだと思います。
私の記憶の中では、原城跡は、荒れ果てて見るかげもない城跡というイメージが、最近までありましたが、先日、たまたま別のテレビ番組で、きれいに整備された城郭の跡を見ることができました。
これなら、何となく「島原の乱」を感じることができるかもしれません。よく整備していただきました。

* * *

私は、世界遺産登録までは、この二つ以外の、10ヶ所の存在を全く知りませんでした。
映像や写真を初めて見たときに、何と立派な教会群かと、たいへんに驚きました。
今回の「教会の御朱印」の舞台は、そんな10ヶ所の中のひとつ、天草市河浦町の崎津(さきつ)という集落にある「カトリック崎津教会」です。
さっそくググってみました。(Googleでネット検索すること)
「天草市 河浦町 崎津教会」

東日本の広い関東平野の東京に住む人間から見たら、驚くような街の風景です。
深く入いり込んだ入り江の、海沿いの少ない平地にはりついているような集落。
グーグルで航空写真を見ますと、もしかしたら海岸近くに干潟があらわれるのかもしれません。ムツゴローやさまざまな貝など干潟の生き物にも出会えるのかもしれません。

崎津の集落には入いらないのかもしれませんが、奥に入った川沿いの田畑らしき土地には「ほたるの里」という文字も見つけました。
「ストリートビュー」の映像を見ると、集落のすぐ裏手は、相当に急峻な山がせまっています。ほぼ断崖のように見えます。
もしかしたら、集落の規模は、江戸時代とそれほど違わないのかもしれません。

私は、九州本土の熊本市や八代市などから、天草諸島までの、人が肌で感じる距離感やその存在感がまったく想像できません。
ですが、大都会のビル群の中、朝日も夕陽も感じることがない、遠くの雲の下の雨のカーテンを見ることもない、木々の紅葉も街路樹と公園と庭だけ、夜の満月の明るさを感じることもない…そんな人間からすると、まるで桃源郷のように見えてきます。
こんな風景の場所が、日本にまだあったのか。 うれしいのと同時に、うらやましい風景です。

そんな崎津の街の風景の中に、カトリック崎津教会が、集落の中心にどっしりと建っています。
集落の中の他の建物と比べると、その規模と立派さには驚かされます。
他の地域の人間からすると、ある意味、この規模の集落の風景の中では、この存在感は異様に感じるほどです。 この集落にとって、いかに大切で中心的な存在なのかが想像できます。

教会の内部は、なんと畳敷き。 祭壇の位置は、かつて「絵踏み」が行われた位置だそうです。
昭和時代に教育を受けた方々は、「踏み絵」と覚えたと思いますが、今は、「踏み絵(絵そのもの)」と「絵踏み(行為)」に使い分けられています。

このブログの冒頭の写真のとおり、荘厳でいて、やさしさを感じさせる立派な建物です。
教会や集落での見学・撮影に関しては、制約もありますので、事前に調べてからご訪問ください。マナーはきちんと守りましょう。

天草市のサイト内の「崎津」のページ
https://www.city.amakusa.kumamoto.jp/sakitsu-sekai/default.html

* * *

この崎津集落のある岬の突端には、「海上のマリア様」と呼ばれる像が、海に向かって手を合わせています。
写真で見ますと、純白でかなり大型、慈愛のお顔です。よくぞ ここまで運んだものだと思うほどの海岸の岩の上に置かれています。
いろいろなマリア像を見てきましたが、このような場所に立つマリア像は見たことがありません。想像すらしませんでした。
まさに、生きている像…。
このページの冒頭の写真です。

合わせた手の先に向かって、私たちとともに、一緒に祈ってくれているような像です。
仏様や神様の像というと、私たち自身が、その像に向かって祈るものという感覚が強いですが、この像は、何か一体感を感じさせてくれます。
キリスト教徒でなくとも、たいへん感動する風景です。
きっと、この地域のキリスト教徒の方々には、それぞれに思い入れのある風景にちがいありません。

* * *

九州に住む方々は、天草地方の風景の映像や暮らしぶり、ニュースなどを、地元のテレビ放送などで見て知っていることと思います。
自然災害の映像や情報は、もちろん東京に住む人間も見聞きすることは多く、「くまもん」の絵柄は東京の多くの場所で見かけます。
ですが、東京に住む人間は、「天草」をテレビ番組で目にすることは、ほとんどありません。見たとしても、1年に1回か2回あるかないかでしょう。 そういう意味では、九州の、それも離れた群島のことは、まったく想像もできません。
そんな中、今回は、たまたまテレビで触れることができた、天草の貴重な情報でした。

* * *

さて、この「教会の御朱印」…。
結論から言います。

この集落にある、「崎津諏訪神社」、「カトリック崎津教会」、仏教の曹洞宗のお寺「普応軒」、この三か所を前述の順序で参拝します。
そして、最後のお寺で、三か所それぞれの御朱印が入った「三宗教御朱印帖」を頂けるというシステムのようです。

ですから、その中に、キリスト教のカトリック崎津教会の御朱印もあるというわけです。
画像で見るかぎり、三か所それぞれの、朱色の印、黒の筆文字があり、体裁のいい立派な帳面におさめられています。ひとつの帳面に、三か所の御朱印がおさめられているということです。
持参した御朱印帳にしたためてもらえるのかは、わかりません。詳細は未確認ですので、参拝される方は確認してください。

実は、どうして、キリスト教、仏教、神道という三種類の異なる宗教施設を参拝して、三宗教の御朱印を同時にもらえるようになったのか、その発端までたどりつくことはできませんでした。世界遺産登録がきっかけだったのかもしれません。
いずれにしても、三宗教が仲良しであることは想像できます。
異なる宗教、それも三宗教が、ここまで仲良く連携しているというのは、世界的にもたいへんめずらしいのではと思います。

スペインにトレドという歴史ある都市・地域があります。ここも世界文化遺産に登録されています。
この街の、中世のある時期の建築物を見ると、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の影響が、絶妙なバランスで混ざり合っていて美しい建物ばかりです。
そこに宗教間の対立は感じられません。 崎津の三宗教が、いつから仲良しなのかは知りませんが、偶然にも、トレドとは世界文化遺産のお仲間ですね。
崎津の三宗教が、平和的に共存し、統一した御朱印帖があるということは、これも世界遺産級の事象ということですね。
海に向かって手を合わせるマリア像といい、三宗教仲良しの御朱印といい、天草は何かが違います。

* * *

さて、ネットで情報を見ていましたら、崎津名物「杉ようかん」というものを見つけました。
あの食べる「羊羹」です。漢字の「羊(ひつじ)」が入っているのは、何か関連しているのでしょうか。
「ようかん」とはいっても、白色とピンク色の縦縞模様で、長方形をしています。まるで、「かまぼこ」のようです。

そしてその上に、短かい杉の葉が2本乗っています。「杉」が選ばれていることは、当然、意味が込められていると想像します。かしわの葉に包まれた「かしわ餅」は、皆さん、なじみがあると思いますが、杉の葉が乗っている「ようかん」は初めて見ました。
さぞ、いい香りがするのでしょう。杉の木の香りそのものなのか、お線香のような香りなのか、その色や味も含めて、興味津々です。
その意味を感じながら、ぜひ食べてみたい!

* * *

私は、子供の頃から、「天草(あまくさ)」というこの地名の呼び方を、不思議だなとずっと思っています。
地名の由来は諸説あるようですが、「天の草」っていったい何?
でも、「天草」という地名、不思議さだけでなく、漢字の文字の羅列といい、音の響きといい、なにか心地よい安らぎや温かさを感じさせてくれます。
今回、ネットで地図検索して、天草の崎津という天国のような街の風景の映像を、初めて見ることができて、とても幸せな気持ちになりました。
急に、天草のことを、もっと知りたくなってきましたね。

* * *

さて、この御朱印に関連した別のお話しを…。
近年は、御朱印の大ブームといっていい状況ですね。
「御朱印ガール」、「御朱印巡りツアー」などの文言もよく耳にします。

一方、御朱印の転売、お寺の御朱印作成の過重労働、参拝者のマナー違反などの負の現象のこともよく耳にします。
神社の神主や、お寺の住職など、人材不足も相当に深刻で、ひとりで数十か所の神社やお寺を兼務しているケースもめずらしくありません。
地方に行きますと、その地域のお寺を、複数のお坊さまが、協力し合いながら全員でカバーしているということもあります。
葬儀の際に、各地から、協力関係にあるお坊さま方が大勢やってきて、全員で御経をあげるとうのも目にしたことがあります。
神職や仏教職の方は、専業ではなく、兼業も当たり前のように行われていますね。後継者探しもたいへんなようです。
御朱印のブームは、神社やお寺に経済的な利益をもたらしているのかもしれませんが、これからの日本における宗教の未来像を見通すのは、たいへんむずかしいですね。

そんな中、お寺の新しい未来像を探るべく「寺子屋学」というプロジェクトを聞いたことがあります。
一般社団法人「寺子屋ブッダ」が運営しているもので、テレビ等でも紹介されているようです。
この活動には、有名な家電メーカーのパナソニックも協力しています。
その紹介サイトには「お寺スペース・リノベーション / お寺×あかり」と表現されています。
私は、これも詳細を知りませんので、これ以上は書けませんが、「あかり」としっかり文字が入っていますね。
いずれにしても、仏教界全体だけでなく、日本人の暮らしや文化に関わる大きな社会問題に、大企業がチカラを貸し始めたのは、ある意味、いいことなのかもしれません。

昭和の時代は、どこの街にも、「ナショナルのお店」という看板をかかげた「街の電器屋さん」がたくさんありました。
でも今は、すっかり見かけることがなくなりましたね。
以前は、「松下電器」、「ナショナル」、「パナソニック」という名称が混在して使われていましたが、現在は「パナソニック」で統一されています。
「ナショナルのお店」という看板は、街の中ですっかり見なくなってしまいましたが、パナソニックには、これまでとは違うかたちで、街に「あかり」を照らしてほしいものです。

* * *

さて、今回、わが家にも、御朱印があるのかと探してみましたが、実はひとつもありませんでした。
そのかわり、神社やお寺の「お札(おふだ)」や「お守り」は、たくさんありました。
御朱印無知の私ですので、ネットで少し調べてみましたら、たいへんなことになっていました。

お守りはともかく、お札は、おおよそ想像通りのシンプルなものばかりなのですが、今の御朱印たるや、想像を越えていました。
色はもちろん、デザインや形状まで、その豊富さには驚かされました。
ただし、どれも、個性的な筆文字はしっかり入っています。元号の筆文字のごとく、これは大事!
この内容なら、御朱印収集家や旅ツアーが出てきても、全く不思議はありません。ブームが起きて、至極当然ですね。

東京には、サラリーマンの聖地と呼ばれる「新橋」という地域があります。銀座のお隣りです。
そこにある飲食街の中心地に、烏森神社(からすもり じんじゃ)という有名な神社があります。私も、かつて何度も、近くの飲食店に入ったことがあります。
この神社の「御朱印」を初めて見ましたが、これまたカラフルな色で、オシャレなデザインです。これなら家の神棚がパッと明るくなりそうです。

さらに、「こい吉」とかいう、首に鈴をぶら下げた、カラスのゆるキャラまで登場していました。まさに「来いよ!吉」
「御朱印」と「ご当地ゆるキャラ」とは、さすがサラリーマンの聖地です。
御朱印を取り巻く状況は、こんなにすごいことになっていたのか!。驚きです。
皆さまも、一度、「御朱印」でネット画像検索してみてください。
もはや宗教施設に限らず、観光名所でも御朱印があります。
押印という日本の印鑑文化が、曲がり角にきている時代に、新たな「印の文化」が生まれてきたことに、日本人の感覚の不思議さとたくましさを感じます。

* * *

あらためて、「御朱印」って何なんだろうと思い、少しだけ調べてみました。
「御朱印とは、主に日本の寺院や神社において、参拝者向けに押印される印のことで、敬称として、御朱印と呼ばれている。」という内容が大半です。
「かつては、写経して納経した際に、受け取るもの」という説明も見つけました。

私が初めて「御朱印」という文字を知るのは、学生の頃の歴史の教科書の中で見た「御朱印船」でした。
足利義満や徳川家康など、時の幕府の権力者がその朱印状をもって、正式な貿易船と認めたというものです。これは、不正な者たちとの区別として、重要な役割を果たしていました。

私は、その後で、その名称が、神社やお寺にも使われていることを知りました。
共通しているのは、何かを行うこと、または何かを行ったことを証明するもので、この目で確認できる「お認め」のようなものです。
契約としての証明とは別に、日本人は、自分がどこに行ったとか、何をしたとかを他者にしっかり伝えたい、自分の思い出としてしっかり残したいという意識が非常に強い民族ですね。

まして、江戸時代には、「お伊勢参り」など、庶民の間で旅行の大ブームが起こり、今でいう観光情報誌や絵ハガキも大ヒットしました。町内の代表者が、特定の神社にお参りする旅もありました。
有名な「東海道五十三次」や「富嶽三十六景」、「東海道中膝栗毛」も、この延長上にあります。
旅行ブーム… 神社でも、お寺でも、いつの時代でも、「御朱印」に目を付けないはずはありませんね。
御朱印について、何か勝手に、堅苦しいイメージを持っていましたが、本来は、こんなに自由な「御朱印」だったのですね。

私は、子供の頃に、一度だけですが、写経というものをした経験があります。
お寺だったのか、学校だったのか、それさえはっきり覚えていませんが、長いお経を、時間をかけて写経したことは、はっきり覚えています。
とても大変な時間でしたが、終わったときの「うれしさ」と「満足感」は格別なものがあったことだけは、今でも覚えています。
その時は、「御朱印」を頂きませんでしたが、その行為は、何か言い知れぬ尊さとともに、 はっきり記憶されています。それ以降、人生において写経は行っていません。
かたちとして何も残っていない、記憶だけにある思い出ですが、今でも、やってよかったと思います。ここに「御朱印」が残っていたら、さらに思い出深いものになったのかもしれません。

「御朱印集め」は、「思い出集め」と思えば、それもまた良し…。
今の時代の「お布施」や「ご寄付」だと思えば、少々の高額でも良し…。
それが日本の文化の存続に役立てば、尚良し…。
お金だけ支払って「御朱印」を購入するという行為だけでは、ちょっともったいない気がします。集めて眺めているだけも、もったいない…。まして転売は、罰あたり…。
写経とまではいいませんが、お坊さまとちょっと立ち話しをしたり、鐘をつかせてもらったり、近くのお店で名物を食べたり、その土地の工芸品を見てみたり…。
御朱印に、自分なりの何かをプラスすると、より楽しめそうな気がします。
きっと「御朱印ガール」はそうしているのでは…。

* * *

今回、「御朱印」について無知な私に、崎津から、いろいろ教えてもらった気がします。
天草市は崎津の、「畳敷きの教会」と「杉ようかん」、「三宗教仲良し御朱印帖」、「海に向かって手を合わせるマリア様」…。

観光船で海の上から眺める、崎津の街並みと教会、岩に立つマリア像…さぞ素敵な眺めでしょう。

天草市崎津… 生きているあいだに、一度は、訪れてみたい、見てみたい場所になりました。


2019.5.14
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