「映像&史跡 fun」は、映像・テレビ番組・史跡・旅・動画撮影のヒントなどをご紹介するコラムです。


「旅番組」シリーズ(5)
旅番組とお城 ③ / 馬と虎と犬と


前回コラム「旅番組とお城 ②」からの続き

前回「旅番組とお城 ②」では、天空の城 竹田城のお話し、応仁の乱と東山文化、お城の役割と変遷などについて、ご紹介しました。

今回は、あまりお城についてマニアックになりすぎない程度で、お城の構造などについて、ご紹介いたします。
旅ファンの皆様にも、お城に観光で行かれた際に、実際に目につく範囲のお話しですので、目にしたときに、あのときの話しだなと思い出して頂けましたら幸いです。

* * *

その前に…、この場を借りて…。
「旅番組とお城①」のところで、「門から攻撃を始めるなんて、こんな お城ごっこは面白くない」と書きました。
一部、関係者の方々はショックだったようですが、気にしないでください。オヤジのたわごとです。
「旅番組とお城」のお話しは、まだまだ途中ですよ。
歴史番組の制作の苦労は十分に理解しているつもりです。見せ方、切りクチ、考え方など、いつも批評にさらされていることもわかっています。
私が①で伝えたかったのは、旅番組の観光客目線で、お城を攻撃してはいけないのでは…ということです。

今回は、「桝形門」のお話しを書きますが、城主目線で書くつもりです。
「門からの攻撃を、どのように防ぐのか」という目線です。
実は、攻撃側も、この城主目線を理解していないと、攻撃できません。
今回では、書ききれませんので、「城主目線」のお話しは次回に書くつもりでいます。

同じ門でも、入っていく側と、侵入を防ぐ側とでは、まったく考え方が違うのです。
しかし、相手の考えを超えてこそ、はじめて勝者になれます。

一般の方の住宅でも同じですよね。家を建てる家主と、訪問するお客では、見方がまったく異なります。
訪問者には表面しか見えませんし、その事情や苦労も知りません。

「渡辺篤史の建もの探訪」とう超ロングヒットの名番組があります。
これは、新築住宅を、彼が訪問し、その家の特徴や魅力を家主に尋ねながら、家の中を見て回るという番組です。
裏事情を聞くことで、はじめてその構造を理解できるのです。目に見えない事情も理解できるのです。
新築を考えているような方々や、住宅に興味のある方々には、必見の番組ですね。
この番組の目線は、家主と訪問者の両方にきちんと目線が使い分けられています。
お城も同じだと思っています。

お城を自分で建てられたら、こんなうれしいことはありませんが、まず無理です。
でも、お城の城主目線を知ることは、いろいろなことに非常に役立つはずです。
旅で訪れても、新しい発見ができると思います。
そんなことを、これから書いていきます。

「テレビ欄に、「お城」の文字を発見したら、お城マニアは、とりあえず、その番組を録画予約すると思います。
とにかく、旅番組に負けないように、戦国時代の城主たちに負けないように、いろいろな見方やアイデアを考えてくださいね。

* * *

さて、皆さま、お城を語る上で、重要なキーワードがあります。
「天守閣」と「石垣」は、皆さま、よくご存じだと思います。

旅ファンの皆様、これに、あと二つ覚えておくだけで、もう、ちょっとした「お城通」と、まわりは呼んでくれますよ。

曲輪(くるわ)と「桝形門(ますがたもん)」です。

それ以外の専門用語は、ついでに覚えておいても損はないかもしれません。


◇「曲輪(くるわ)」と「縄張り(なわばり)」

お城の敷地は、曲輪(くるわ)と呼ばれる区画ごとに整備されています。
この単体の区画を「曲輪」といいます。

「この区画、グッとくるわ~」と覚えてくれても…。

ひとつの区画である曲輪は、塀やお濠、石垣などで分けられています。

お城には、「本丸」、「二の丸」、「三の丸」という場所がありますが、これも、それぞれ曲輪です。
お城によっては、「〇〇曲輪」という呼び方もあります。
天守閣は、たいてい「本丸」の中にあります。

ちなみに、この「丸」ですが、お城に限らず、船、人物、特に子供、犬、馬、刀、楽器、などの名前の後ろに「丸」がついていることがありますよね。
「問丸」は、船を使って物資を運ぶ問屋さんの意味でした。
この「丸」の使い方は、現代でも、解明されていません。歴史ミステリーのひとつです。
船の「丸」は、明治政府が施策として船名に付けさせていましたが、今は特に決まりはないそうです。

この曲輪は、いろいろな形状をしており、複数の曲輪が、いろいろな組み合わせ方、並び方でつながっています。
つながり方は、橋であったり、門であったり、さまざまです。
この組み合わせ方や並び方、ようするに曲輪の配置こそが、お城の強さをもっとも左右します。
これは、築城術、軍学として、それぞれの武家で、代々伝えれていきました。

この曲輪の配置を「縄張り(なわばり)」といいます。
皆さん、子供の頃に、「あそこは、あいつの、なわばりだよ」とか言いませんでしたか。その「縄張り」です。
お城ファンは、よく「縄張り」という用語を使いますので、これも知っておくと、話しが早いですね。

曲輪の周囲は、たいてい、石垣や土塁(どるい)、塀、お濠で囲まれています。
この形状も、さまざまです。
皆さんも、お城に行ったときに、石垣がところどころカクカクしていたり、わん曲している様子を見たことがあると思います。
これを「塁線(るいせん)」といいます。

一方、白い塀に、小さな穴がたくさん開いているところを見たことがありませんか。
白色なのは、土の上に白い漆喰(しっくい)を塗ってあるためです。雨からの防水機能です。

この壁の穴からは、鉄砲や弓矢の矢を放ちます。
その穴のかたちは、四角、三角、長方形、丸形などがあります。
それぞれの武器を使用するときの格好や背の高さに合わせてあります。
ようするに、石垣を登ってくる敵兵や、橋を渡ってくる敵兵を攻撃するためのものです。

一直線の石垣では、鉄砲や矢を放つ際に、死角ができます。
真四角の曲輪ですと、四すみの角は、矢が正確に当たりません。どうしても死角ができます。
そこで、カクカクさせて、死角をなくし、敵兵に向けて横から矢を放つのです。
この横から矢を放つ行為のことを、「横矢を掛ける」と言います。
お城ファンは、この言い方もよく使いますよ。

「大坂の陣」のとき、大坂城内では響き渡っていたでしょうね。
「横や、横や、横や ま…」

自分の城の橋に向かって、鉄砲や矢を放つのであれば、その橋は木造よりも、土で固めた土橋(どばし)のほうが、何かといいですよね。
曲輪どうしが橋でつながっている場合、木造の橋であれば、壊してしまえば、敵はその橋を使えません。
跳ね上げることができる橋であれば、下ろせば、またすぐに使えます。
土橋は横矢で敵を攻撃しても丈夫ですし、大きな重量にもたえられます。水をせきとめるダムにもなります。
木造の橋と、土橋は、その役割が違います。

曲輪どうしが、つながるところには、たいてい通路がつけられています。
こうした人が出入りする部分を、虎口(こぐち)といいます。
虎が口を開けているように、出入り口がキバをむいていると思ってください。
この虎口には、たいてい門がついています。
門は、非常に複雑な構造になっています。
種類もたくさんありました。

ここでは、ひとつだけ門の種類をご紹介します。
これだけ知っていれば、旅ファンには、十分だと思います。

「桝形門(ますがたもん)」です。


◇「桝形門(ますがたもん)」と「横矢(よこや)」

旅ファンの皆様、お城に行かれた時、まず門を入る時に、変だなと思われたことはありませんか。

まるで裏木戸のような、妙に小さな門を、まず通らされ、そうすると、今度は、大きすぎるほどの豪壮な門が目の前にあらわれます。
最初からこの巨大な門を見せておけば、お城が立派に見えるのに…と旅ファンの方なら思われるでしょうね。
これには、理由があります。

* * *

東京の武道館にコンサートなどを見に行ったときのことを思い出してみてください。
両側にお濠が見える、何かおかしな坂道を進むと、妙に小さな門を通らされ、右側に曲がると、巨大な門があります。
そこを通り抜けると、やっと武道館が見えてきます。
この門は、江戸城の「田安門(たやすもん)」です。詳細は省きますが、田安さんのお名前からきています。

また、霞が関の警視庁方面から、皇居に向かう時に、あの桜田門を通ります。
あの井伊直弼(いい なおすけ)の暗殺があった「桜田門外の変」のあの門です。
ここも、武道館の時と同じかたちになっていますね。

皇居に見学に入る時の「坂下門」は正面を向いているよと、言われる方もおられると思います。
実は、あの門も、かつては、こうしたかたちになっていました。
明治以降、門の石垣を壊して、大きな門自体を、90度向きを変更させたのです。
戦国時代の門のかたちのままでは、大勢が安全に皇居に入ることができないからです。
後でそのことは書いていきます。

皇居の半蔵門も、江戸時代までは、桜田門のようなかたちでしたが、坂下門同様に変更されています。

この門は、徳川将軍が、いざ脱出という際に使用するために造られた門で、ここを出て、新宿方面に向かい、甲州街道を通って、甲州(今の山梨県)方面に逃げる目的で造られたものです。

もちろん、服部半蔵(はっとり はんぞう)の名前から付けられた、門の名称です。
服部家は、もちろんあの伊賀忍者の一族で、前述の脱出ルートに屋敷がありました。
戦国時代の徳川家康の有名な脱出劇「伊賀越え」の際に、重要な役割を果たした一族です。
治安、警護、情報収集、諜報活動、不動産管理を行っていた武家です。

ここで、ちょっとだけ忍者のお話しを…。


◇にん…


弥七、かげろうお銀、あずみ、サスケ、赤影、カムイ、ライオン丸、嵐、カクレンジャー、ハットリくん、乱太郎、ナルト、おじゃる丸、カバ丸、伊東四朗さん…のお話しではありません。

織田信長は甲賀忍者と親密で、伊賀忍者とは対立関係にありました。
信長は、伊賀忍者たちと死闘を繰り広げていました。
その流れで、甲賀忍者は豊臣秀吉とも関係が深く、家康を監視する役目を担っていました。

家康は、「伊賀越え」のあたりから、伊賀忍者と親密になります。
甲賀忍者と、伊賀忍者は、対立したり、友好関係だったりを、繰り返していました。

甲賀忍者は、今の滋賀県あたり。
甲賀忍者は、どちらかというと、毒や薬、今でいう手品を得意とします。
だから滋賀県は薬メーカーが今でも多いです。
今、手品師に、滋賀県出身者が多いのかどうかは知りません。

伊賀忍者は、今の三重県あたり。
伊賀忍者は、催眠術などの忍術、手裏剣などの武器、いわゆる技…テクニック、火薬を重視しました。
両手を組んで、人差し指を立てるポーズは、伊賀忍者です。
変わった忍者屋敷を作るのも伊賀忍者です。

築城や石垣の名人と言われた武将の藤堂高虎(とうどう たかとら)は、伊賀の国の領主で、伊賀忍者を使いこなした、いわゆる曲者(くせもの)の武将でした。
徳川側の諜報活動や隠密行動、築城は、たいてい高虎の仕事です。
怪しい匂いのするところに、高虎ありです。

彼が設計した宇和島城は、外からは四角形の構造に見えますが、本当は五角形なのです。
この錯覚を利用して、攻撃や防御を行うものでした。
こんな仕掛けは、高虎の城だけです。
高虎の造った城に、死角はありませんでした。

実はこの人、甲賀出身です。おまけに、父親の名前が「虎高(とらたか)」って…。
どこまで煙にまくのでしょうか。
あの肖像画のお顔も…ほめているのです。

俳人の松尾芭蕉は伊賀者ですが、ひょっとしたら本業とは違う側面もあったのかもしれません。
奥州を旅して、俳句を詠んでいる他にも、何かしていたのかもしれません。

そういえば、日本地図を作った伊能忠敬も、実は、本業のお役人というよりは、大実業家です。
弘法大師も、大実業家の側面がありましたね。
皆さん、副業もしっかり…。

そうしたこともあり、江戸時代になり、甲賀忍者の勢力は衰えていきます。

甲州(甲斐の国)、今の山梨県にいた武田信玄の軍師の山本勘助に忍術を伝えたのは伊賀の忍者です。
それも、勘助が、今川家にスパイとして潜り込んでいた時期です。
この後に、今川義元が討ち取られる「桶狭間の戦い」が起きるのです。
義元を討ったのは、甲賀忍者と親しい織田信長です。
この頃、武田は織田と手を組んでいた時期です。

このあたりのことは、まったく解明されていません。
忍者が形跡を残すわけはありませんが、いったい、どんな暗躍があったのでしょう。
歴史の中の深いナゾです。
現代人も、煙にまかれてしまいました。

武田の軍師、山本勘助が、築城が上手かったのも、軍略に長けていたのも、こうした背景があります。
これで、武田信玄の山梨県につながりましたね。
江戸城と、服部半蔵と、甲州(山梨県)がつながりました。

この甲州の忍術は、信州上田の真田十勇士の真田忍者へと、つながっていきます。
徳川は、その後 結局、信州の上田城で、伊賀流の戦い方に、してやられるのです。

何だか、歴史とは、忍術にかけられているようですね。

さて、門の話しに戻ります。


◇「桝形門」で敵を待ち構える

江戸城だけでなく、大坂府庁方面から、大坂城に向かう時も、やはり緩い広い坂を登って、小さな門を通り、今度は左に曲がると、巨大な門が待っています。

これらの門は、みな「桝形門(ますがたもん)」という形式の門です。

桝形門の「桝形」とは、なんでしょうか。

四角い桝(ます)を思い出してみてください。
祝いの席などで、たる酒の鏡開きのあと、四角い木製の桝でお酒を飲んだりする、あの桝のかたちのことです。

江戸城 桜田門(外桜田門)


小さな門を入ると、四角い桝のようなスペースにいったん入ったように感じませんか。
周囲を、石垣や塀、やぐらで取り囲まれていますね。
こうした四角いスペース全体を「桝形門」といいます。

* * *

まずは、5~6人が横並びで通れるような小さな門を通ります。
お城によっては、小さな門というよりも、単なる木製の四角い枠のようなものも多いです。
たいがいは簡単に入れる門です。

とにかく、一度に通れる人数を少なくするように設計されているのです。
ですから、入ってしまったら、大勢でいっぺんに出にくくもなっています。

この小さな門を通ると、少し広めの四角い空きスペースがあります。
そして右を向いた先に、大きく頑丈そうな門がそびえているという構造です。
たいがい右回りで曲がります。

このスペースは、わざと敵兵を誘い入れる、あるいは、いったんとどめさせるスペースです。
敵兵が入ってきた時点で、三方向か、四方から、敵兵に向かって、鉄砲や矢で攻撃するのです。

陸上競技場をみてもわかるように、人間の基本行動は左回りです。
安心して俊敏に動くには左回りです。右回りは、一瞬、動きを鈍らせます。

日本人はほとんどが右利きですので、たいていは右手に武器を持っています。
城内側は、そこを左側、正面、背面から攻撃します。
時に、左回りもありますが、ほとんどは右です。
左回りの場合は、たいてい追加防御策があると思います。

お住まいの近くのお城を思い出してみてください。
そんな構造になっていませんか。

敵兵から見たら、目の前にある二つ目の頑丈な門は、門というよりも、小さなお城です。
通常は、簡単に突破できる門ではありません。
鉄材を使って補強されていたり、門の真上から、何か落ちてくるような構造になっていませんか。

昭和の時代でしたら、「黒板消し」が落ちてきましたね。

こうした桝形門は、お城の規模や、城主の考え方によって、さまざまな姿をしています。
江戸城くらいになると、この空きスペースの中に、水をはったお濠さえあることがあります。

上の写真の桜田門には、この小さな門の先の空きスペースの向こうに、水を張ったお濠があります。
その先には高い石垣があり、かつては塀がありました。
もしお濠に落ちたら、そこを狙い撃ちです。

前述の大坂城の大手門には、この桝形門の前に、これも前述した横矢を掛けるための大きなやぐらがついています。
石垣の塁線もそのようになっています。

一つ目の小さな門の手前にある土橋に敵兵がやってきた時点で、敵兵に横矢を掛けるのです。
その横矢をすり抜けて、小さな門に侵入してきた敵兵は、この桝形の中で、攻撃するのです。
「横矢桝形」という形態です。

* * *

多くの場合、桝形門の手前には、木製の橋や土橋がかけられています。
ここを木造にすると、もし橋を落とされた場合、敵側に完全に孤立化させられてしまいます。
ですから、その重要度や役割にあわせて、木製であったり、土で固めてあったりします。
そして、この橋の両側には、横矢が掛けられるような、石垣の塁線、やぐらや塀が整備されています。

* * *

江戸城の大手門から奥にかけても、この構造が幾重にも張り巡らされていました。
大手門を入った先にあった、大きなお濠や、横矢の塁線、やぐら群は、今はすべてなくなっています。
明治政府が、お濠を埋めて、施設を建ててしまいました。
お濠を渡って大手門を通り過ぎたあたりの、宮内庁病院や皇宮警察、尚蔵館があるあたりです。
この場所は、日本各地からきた大名が、かごや馬から降りなければいけない場所です。お供の人数も、ここでぐっと減らされます。
江戸城本丸御殿には、少しづつ減らして、最終的にお殿様ひとりになります。

この風景は、江戸城最大の景観だったことでしょう。
今、残っていたら、姫路城の景観に負けなかったでしょうね。
江戸時代、大名たちは、この景観にまず度肝を抜かされます。
ここの城主の将軍様には、たてついてはいけないと実感させられたことでしょう。

大坂城にも、こんな景観が戦前までありましたが、なかなか再建してくれませんね。
意外と、江戸城と大坂城に、皆、冷たいです…。

江戸城には、さらに奥に、桝形門の極みのような構造の門がありました。
徳川家康が造ったものですが、息子の秀忠が「もう、いらない」と壊してしまいました。
三代将軍の家光だったら、絶対に壊さなかったでしょうね。
歴史・史跡ファンからしたら、何とも切ない…。
〇〇息子め!

* * *

旅ファンの皆様、ご理解頂けましたでしょうか。

歴史・史跡ファンが、桝形門のところで、周囲を360度見ているのは、こうしたものを見ているのです。
小さな門の手前で立ち止まって、両側の石垣の塁線をチェックしているのです。
土橋の規模、桝形の広さ、石垣の強度、敵兵の動線を見ているのです。
もたもた歩いているわけではありません。

私、先行くよ…。
先に行って、茶店で団子でも食べて、ゆっくり待っていてあげてくださいね。


◇「馬出し(うまだし)」

さて、この桝形門は、前述の虎口(こぐち)の形態のひとつですが、もうひとつ知っておくと、今度は戦国武将ファンにも、一目置かれますよ。

虎口の一種である、攻撃部隊の準備の敷地「馬出し(うまだし)」です。
たいがいは、桝形門の前に出っ張ったような形状で造られていました。

門とのあいだに水を張ったお濠があることも多かったです。
敷地の形状は、丸型や角形、半円形など、さまざまにあり、その広さもお城によって大きく異なります。
大規模な騎馬軍団であれば、馬出し用の大規模曲輪もありました。
馬の動線は、人とは違いますよね。

桝形門の前の、この「馬出し」の中で、防御することもあれば、「馬出し」から討って出て、敵に攻撃を仕掛けることもあります。
騎馬隊だけではもちろんありません。歩兵も当然います。
「馬出し」に入ったり出たりもします。

とにかく、防御と攻撃の両者を、臨機応変に行えるようなかたちにしておかなければなりません。
戦闘という意味では、馬出しは、お城に不可欠な機能でした。

現代のお城の史跡に、この「馬出し」が残っていることは、ほぼありません。
今は、駐車場や公共施設、お土産屋さんになっていることが、ほとんどです。

* * *

お城は、曲輪をいかに配置するのかが大事だと、先ほど書きました。
この複数の曲輪が結びついた全体像を「総曲輪(そうぐるわ)」といいます。
同じ漢字で「そうがまえ」と呼ぶときもあります。
この言葉も、大河ドラマなどの時代劇ドラマに登場することがありますよ。

実は、富山県富山市の中心部の商業地域に、「総曲輪」と書いて「そうがわ」と呼ぶ地域があるそうです。
かつて富山城の曲輪のあった場所なのだと思います。
「そうきたか!」、「そうくるは!」

この総曲輪の外周部に、前述の「馬出し」をどのように、いくつ配置するのかによって、この城郭要塞の強度がわかります。
お城を攻撃する側は、これを読み間違えると、たいへんなことになります。

「大坂の陣」の、あの「真田丸」は、ひとつだけでしたが、位置や機能において、「馬出し」に似ています。
真田丸は、それよりも規模の大きな「付城(つけじろ)」です。
「付城」とは、「出城(でじろ)」ともいいますが、城主のいる本城とは別の、攻撃用の砦(とりで)のようなものです。
規模や配置は、状況によりさまざまです。
この「付城」という言い方も、歴史・史跡ファンや、大河ドラマにはよく使われますよ。

一応、書かせてください。
「武将風味の、馬だし!」
・・・。


◇「石垣」と「土塁」

お城マニアの中には、子供の頃に、天守閣に興味を持ち始め、そのうち、やぐらや門に進み、最終的に石垣や土塁に行き着くという方も少なくありません。
それほど、奥深い「石垣の世界」です。

「建物なんかあったら、その向こうの石垣が見えないじゃないか」とは、本気の言葉です。
石垣マニアには、建物など不要なのです。

たしかに、ここにどんな建物があったのだろうと考え始めると、あっという間に時間が過ぎますよね。

土塁の奥深さも格別です。
野球好きの方は、「塁」といえば、一塁、二塁、三塁、本塁、盗塁…ですね。
何か、盛ったかたちの構造物、それが「塁」です。

今、大注目のNBAの、八村塁(はちむら るい)選手、あの「塁」の名前はどこから来たのでしょうか。
ルイ・アームストロングあたりからなのでしょうか。それとも「土塁」からなのでしょうか。
「塁」のこと考え出したら、また夜も眠れなくなっちゃう!(古いギャグで恐縮です)

土で造ったものが「土塁(どるい)」です。

お城マニアには、子供の頃に、土や砂でつくったあの構造物が、巨大になって、目の前に広がっているかと思うと、ゾクゾクします。
それも実戦に備えた、遊びではない本気の「土塁」です。
男性のお城マニアの中には、特に土塁や石垣ファンが多いですね。

* * *

戦国時代は、石垣を積み上げる技術が、猛烈に進歩しました。
専門の石積み集団も登場してきます。

実は、お城の、特に天守閣や大型のやぐらの、その重量をいかに支えるのかが大命題でした。
重量が重すぎると、石垣が崩れてしまうのです。
この時期は、お城の建物をいかに軽量化するのかも同時に研究開発されていきます。

戦国時代後期、基礎工事の進歩と、建物の軽量化は、お城をどんどん巨大化させていきます。
石垣の強度、高さも飛躍的に進歩しました。

数年前の熊本の地震の際、熊本城のやぐらのひとつが、石垣の角の端の一線だけで持ちこたえているというニュース番組の映像を、記憶している方も多いと思います。
この石垣の角の石の積み方は、「算木積み(さんぎづみ)」という工法で、戦国時代に生み出されたものです。
とにかく、石垣の角を頑丈に、崩れないようにした工法です。
ほかにも、石積み工法は、たくさんあります。

私は、世界の石積み工法のことはよく知りませんが、日本のように、こんなに種類があるのでしょうか。
日本人だからこそある技術なのでしょうか。
見事すぎて、声が出ません。

少し古い時代の石垣は、さまざまな大きさの石が乱雑に、隙間も残しながら、積み上げられているような気もしますが、実は、これがまた強いのです。
匠の技術が、しっかり活かされているのです。

近年、毎年のように、土砂災害が日本各地で起きますが、こうしたさまざまな石積み技術で何とか防げないのでしょうか。
地方の山村に行くと、棚田などにも、小さな石積みが見られますが、こちらは結構崩れやすい粗雑なものが多いです。
現代の大きな高速道路では活かされていると聞いていますが、戦国時代からの石積み工法を、防災にもっと活かせたらと思っています。

一方、石垣を、平らに一直線に積み上げると、人は非常に登りやすいのです。
高さがいくらあっても、登れないことはないのです。
ですが、一定の角度で、わん曲させると、人は登れなくなるのです。
一般的に、「武者返し」の石垣と呼ばれているものです。
戦闘がなければ、こんなことは発見できなかったのかもしれませんね。

* * *

私は、ふと思うことがあります。
来年の東京オリンピックから、壁を素手で登るスポーツ・クライミングという種目が採用されました。
ボルダリングという呼び方もありますね。
日本は、この種目で世界のトップランナーです。

彼らに、本物の石垣を素手で登ってもらって、お城の石垣の難易度を調べてほしいなと思っています、
理論上ではなく、実践で比べてほしいですね。
オリンピックが終わったら、ぜひお願いします。
石垣づくりの名武将、藤堂高虎、加藤清正に、ぜひ挑んでほしいです。


◇犬が走る?

ついでに、もうひとつ。
石垣の最下部と、水を張ったお濠の境に、ほんの数十センチ幅の平らな土の道がついていることがあります。
この部分を、「犬走り(いぬばしり)」といいます。
犬が走れるほどの狭い幅だからという名称ではあります。

現代の一般住宅でも、「犬走り」と言いますよね。
お城であれば、石垣の崩壊を防ぐ目的です。
現代なら、家の壁の汚れ防止、雨による被害の防止などが目的かと思います。もちろん歩くのにも便利です。

お城の石垣には、傾斜のついた幅の大きな犬走り(これを「鉢巻き石垣」、「腰巻き石垣」ということもあります)ではない、水堀のギリギリのところについている犬走りが時々あります。

あまりひとに言ったことはなかったのですが、実は、「本物の犬が、石垣のこのスペースを走っている光景を、一度でいいので、見てみたい」というのが、私の子供の頃からの夢です。
犬好きの私としては、ぜひ一度見てみたい光景なのです。
犬は、本当に走ってくれるのでしょうか?

「お城の犬走りを、実際に走る犬の姿」
私の数少ない夢の一つです。
でも、お城は大切な史跡ですからね。かなわぬ夢でしょう。


◇上から石が…

こうした石垣には、よじ登ってくる敵兵に向けた防御機能も備わっていました。
石垣の上に建つ天守閣ややぐらに、「石落とし」といわれる装置がついています。

木のふたを開けると、その下に石垣が見えます。
そこから、石や油、熱湯を落とすのです。
よじ登ってくる敵兵には、たまったものではありませんね。


◇はふ~、しゃきん!

ついでに、書いておきます。
天守閣を見たときに、屋根に三角形の妙な構造物が付いているのを見たことがありませんか。
一般住宅には、まず付いていませんね。

この三角形は、「破風(はふ)」といわれる構造物です。
これは、外から見た時の装飾の意味合いもありますが、内部は、隠し部屋であったり、武器庫であったり、ここから鉄砲や弓矢で攻撃できるようにもなっていました。

* * *

天守閣の最上部の屋根には、「鯱(しゃちほこ)」というお飾りが二つ付いていますね。
頭が虎で、胴体は魚です。
名古屋城の金のしゃちほこは有名ですよね。

これも、装飾です。
しゃちほこの無いやぐらと、天守閣を見比べてみてください。
いかに、これがあると、天守閣が立派に見えることか…。
なかったら、まるでヘアセットしていないモデルさんのようです。

避雷針もない時代です。天守閣はしょっちゅう、カミナリによる出火がありました。
この「しゃちほこ」は、火事からお城を守ってくれる「おまじない」のような意味もありました。
でも、避雷機能は、まったくありません。


◇ここで、あそびたい…

お濠には、水を張った「水堀(みずぼり)」と、草地の「空堀(からぼり)」の二種類があります。
旅ファンの方々には、どっちでもいいですよね。

空堀の底には、今でいう「バラ線」のような、「痛い痛い」系のものを置いたりしていました。

下の写真のようなお堀もありますよ。
静岡県三島市にある山中城の「障子掘り(しょうじぼり)」です。


ちょっとワクワクしませんか。
ショッピングセンターにある「子供の広場」みたいに見えませんか。
子供だったら、大はしゃぎしそうですが、もし落ちたら、まず上がれません。ご注意を。


◇「城攻め」の恐怖

ここまで、お城の防御機能をいくつかご紹介してきました。
ですが、わざわざ、こんな危険なところに攻め込んでくる敵の武将がいるでしょうか。
真っ向突入なんて、そうそう、いません。
こんな痛い目はいやです。まずは、他の手を考えますよね。

もし、桝形門に敵が突入してくるとしたら、攻める側の戦況がかなり有利になっている段階のはずです。
そうでなければ、どれだけの味方が死ぬかわかりません。

城内で守る側からしたら、天守閣に突入されるまでの時間稼ぎくらいにしかなりません。

本丸の桝形門を突破されるときは、「城攻め」、「籠城(ろうじょう)」の、ほぼ最終局面です。
お城は、ほぼ陥落したのと同じです。

攻撃側からしたら、本丸の桝形門を突破したら、さほど急ぐ必要もないでしょう。
味方の兵士の犠牲を最小限にしながら、じっくり進めば十分かと思います。

* * *

たいがい、この段階までくると、すでに天守ややぐら、御殿に火がかけられていたり、他の石垣からすでに兵士が城内に侵入しているはずです。
戦国時代の城攻めの古い絵などには、石垣の四方八方から兵士がよじ登る姿がたくさん描かれています。
本丸の最終防衛ラインのどこか一か所でも破られたら、たいがい、もう終わりです。

城内にいる者たちは大混乱になっているはずです。
火薬庫などは、まず攻撃ターゲットにされるでしょう。
大規模火災となったら消火は不可能です。
おそらくその時点では、城の水の補給路は敵により断たれているはずです。

それより何より、攻撃側は、食料や弾薬などが尽きるのを待っていたはずです。
よほど大きな城でなければ、持久戦は戦えません。

また、多くの場合、城内にはスパイが事前に潜り込んでいるものです。
敵側からしたら、おおよその城の図面なしに突入するのは危険すぎます。
城内を案内する兵士もいたでしょうね。

* * *

豊臣家が滅亡した「大坂の陣」では、大坂城の広大なお濠はすでに埋められ、天守閣は大砲で破壊され、多くの建物には火がかけられています。
そのうち、敵が城内になだれ込み、最後の瞬間をむかえます。
短時間のうちに、四方八方から何度も攻撃を仕掛けられていたはずです。
秀吉が暮らしていた頃の華やかさとは、雲泥の差の「地獄絵図」だったでしょう。

ここまで書いた最終局面のお話しは、多くの「城攻め」のかたちの中のひとつに過ぎません。
戦国時代の実際の「城攻め」は、前回までのコラムで書いたように、お城によって千差万別です。
百のお城があれば、百通りの「城攻め」があります。
必勝の一定の方法など、あるはずもありません。

お城に立てこもった側の、「城攻め」の恐怖たるや、想像を絶しますね。
その上、食料も水も弾薬もつきかけていたら、それはもう、なすすべがありません。

私は、戦時中の空襲体験はありませんが、ひょっとしたら空襲とは、このようなものに近いものなのかと想像してしまいます。
「城攻め」も「籠城(ろうじょう)」も、もちろん経験ありませんが。
なかなか、現代人には想像できない「城攻め」の恐怖ですね。


◇難攻不落

姫路城、熊本城、彦根城、松山城、和歌山城など、城の防御機能や、やぐらなどの建物が比較的残っていて、城郭要塞の雰囲気を感じさせてくれるお城もありますが、熊本城以外は、城攻めを受けた経験がありません。
熊本城も、明治時代の西南戦争ですから、戦国時代の実戦経験とは到底いえません。
これらのお城の本当の防御力は、未知数です。
石垣や土塁しか残っていないお城であれば、なおさらです。

あの大坂城でさえ陥落したのですから、絶対に落ちない城などは、この世に存在しないはずです。

前回までのお話しの中で、しきりに、「歴史・史跡番組」のことを書いてきましたが、
「お城を、攻撃する側の立場で歩いてみましょう」と言って番組が始まり、最後は「難攻不落の名城です」という言葉で番組は完結したりします。
実際には「難攻不落の城」なんて存在しないはずなのに…。
歴史・史跡ファンからしたら、「難攻不落を願って、知恵をしぼったお城です」あたりが、正確なのかもしれません。

「難攻不落」と聞くと、あの天下の名城、小田原城あたりを想像します。
姫路城を「難攻不落」とは想像しません。

実は、今の小田原城は戦国時代のお城の姿ではありません。場所も違います。
しかも、戦国時代の小田原城でさえ、お城で戦闘による決戦が行われていません。
なのに、「難攻不落」と言われています。

小田原城は、「城攻め」にあったことはあいましたが、お城自体が戦火で壊滅したわけではありません。
ですが、「城攻め」を受けて、降伏したのは間違いありません。

小田原城のお話しは、次回、もう少し書きます。

旅ファンの方々の中には、お城に明るくない方もおられると思いますが、
「難攻不落の城」という言葉は、戦闘に巻き込まれることが一度もなかったり、城攻めにあったがすぐに降伏してしまったり、攻撃側があまりにも弱すぎたので落とされることがなかった、くらいに考えておいてください。
無事に残ったお城は、すべて「難攻不落」と言っているだけのことです。
「どんな地震にも、絶対に、この家は倒れません」と言っている広告のようなものです。

「難攻不落」とは「不老不死」みたいな言葉ですね。
いや、「犬走り」みたいなことかな…?

そんなこと考えはじめたら、
また夜も眠れなくなっちゃう!


次回「旅番組とお城⑤」に続く


2019.7.20
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