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「旅番組」シリーズ(9)
旅番組と人生 ② / 人生の旅暦


「旅番組シリーズ」の「旅番組と人生」は、前回「旅番組と人生① / 旅に出ます」からはじまりました。


◇旅の名言

古今東西、旅に関連した名言は数多くありますね。

旅を人生の指針にたとえたもの、若い世代に冒険心を与えるもの、気をつけなければいけない心得、など種類も豊富です。

私にとっても、好きな名言、納得できない言葉など、たくさんあります。
これらの名言を意識するだけでも、実は、旅の仕方や、旅先の見え方が変わってくるのも事実です。
これらの言葉は、自分にとっての旅のあり方、ひいては自分の生き方にも、大きな影響を与えているのかもしれません。

私の好きな名言だけを、少しだけご紹介したいと思います。
こんな言葉を、旅先で思い出すだけでも、旅が少し面白くなるかもしれませんよ。

* * *

私の基準で、少し分類してみました。特に深い意味はありません。

(分類1. 「たしかに その通りだ」編)

*人が旅をする目的は到着ではない。旅をすることそのものが旅なのだ。(ゲーテ)
*人は各種各様の旅をして、結局、自分が持っていたものだけを持って帰るのだ。(ゲーテ)
*発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。(プルースト)
*旅は寛容を教える。(ディズレーリ)
*どんな旅にも、旅人自身も気づいていない秘密の終着地がある。(マルティン・ブーバー)
*人生は往復切符を発行していません。ひとたび出発したら、再び帰ってきません。(ロマン・ロラン)
*未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である。(湯川秀樹)
*どんなに洗練された大人の中にも、外に出たくてしょうがない小さな子供がいる。(ウォルト・ディズニー)
* 吹いている風がまったく同じでも、ある船は東へ行き、ある船は西へ行く。進路を決めるのは風ではない、帆の向きである。人生の航海でその行く末を決めるのは、なぎでもなければ、嵐でもない、心の持ち方である。(ウィルコックス)
*いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。(寺田寅彦)
*大きな旅立ちというものは、書物の、第一行の文章のように、重要なものなのだよ。その一行が、この一瞬が、すべてを決定づけるのです。(トーベ・ヤンソン)
*愛していない人間と旅に出てはならない。(ヘミングウェイ)
*あらゆる旅はその速さに比例してつまらなくなる。(ラスキン)
*どの港へ向かうのかを知らぬ者にとっては、いかなる風も順風たり得ない。(セネカ)
*旅を思い出すことは、人生を二度楽しむこと。(メンデルスゾーン)
*観光客は自分が訪れたであろう場所が定かではなく、 旅行者は自分が訪れるであろう場所が定かではないのである。(セロー)
*旅行をするのなら覚えておいてほしい。外国とはあなたが快適に過ごせるように作られているのではなく、現地の人々が快適に過ごせるように作られているのだということを。(ファディマン)
*年をとったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから年をとるのだ。(バーナードショー)
*長生きするものは多くを知る。旅をしたものはそれ以上を知る。(外国ことわざ)

人生の生き方を示唆するような名言たちですね。

長野県出身の私は、若い頃のある時期に、よく山登りをしていました。
山の頂上手前で、悪天候のため登頂を断念することも多くありました。実は、私にとっては、登頂にそれほどのこだわりはありませんでした。
それよりも、安全にその山の魅力を知ることのほうが優先でした。
雨の風景の山容も、それはそれでいいと感じて、山を眺めるタイプの山旅登山でした。
今でも、好きな山であればあるほど、その山への登山よりも、周囲の場所から眺めるほうが好きです。
富士山についても、私は、登る派ではなく、眺める派、知りたい派ですね。

ですが山小屋の中には、何をおいても、登頂することを優先する方々も多くいます。
頂上に立たなければ、その山を制覇したことではないというのです。
それが、その方の目的であるのでしたら、他人がとやかく言うことではありません。無事に戻ることを祈るだけです。
旅先には、そこにどんな風景があるのかに関心を抱かず、冒険や挑戦、試練、修行を目的に来る人たちも少なくありません。
そんな彼らにも、そうした時期を過ぎたら、いつしか旅として山を感じるときが、きっと来るのだろうと思っています。

以前に、こんな話しを聞いたことがあります。
山に囲まれた地域の子供たちは、その山の向こうをめざそうとします。
海に囲まれた地域の子供たちは、その海の向こうをめざそうとします。
大きな川のある地域の子供たちは、その流れの先をめざそうとします。
大きな空が広がる地域の子供たちは、その空の先をめざそうとします。
朝日や夕陽が見える地域の子供たちは、太陽の先をめざそうとします。
歴史の深い神社やお寺、お城がある地域の子供たちは、歴史の先、思想の先をめざそうとします。

山国育ちの私にとっての山は、登る場所ではなく、超えるものだったのではと思っています。

さて、名言集に戻ります。
次は、

(分類2. 「あなたにとっては、そうなのですね。でも よくわかります」編)

*旅は私にとって、精神の若返りの泉である。(アンデルセン)
*希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。(スティーブンソン)
*幸せとは旅の仕方であって、行き先のことではない。(ロイ・グッドマン)
*あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない。(ヘミングウェイ)
*あきらめを十分に用意することが、人生の旅支度をする際に何よりも重要だ。(ショーペンハウアー)
*私は旅行に出る理由を尋ねる人があると、いつもこう答えるようにしている。「私は、自分が何を避けようとするのかはよくわかるのだが、何を求めているのかはよくわからない」と。(モンテーニュ)
*言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中で自分がたった一人だと言うことに気がついたときにである。(寺山修司)
*希望は頑丈な杖で、忍耐は旅の着物。(ローガウ)
*本当の世界は想像よりもはるかに小さい。(ニーチェ)
*ロバが旅に出かけたところで、馬になって帰ってくるわけではない。(外国ことわざ)

彼らの生きてきた経験にもとづくような言葉に感じますね。
他の有名な自信満々の言葉たちよりは、はるかに気持ちの伝わってくる言葉に感じます。
旅を決して否定するような内容でもありませんよね。

あなたの心に、引っかかった言葉はありましたでしょうか。


◇論語

古くから、中国の「論語」の中には、人生を旅にたとえたような部分がありますね。
これは孔子の言葉です。

十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順したがう。
七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず。

というものです。
この言葉を、簡単に説明します。

*「志学(しがく)」…15歳で、学問に目覚め、志しを持ちます。
*「而立(じりつ)」…30歳で、地に足をつけ、自分ひとりだけでも生きていけるようになる。
*「不惑(ふわく)」…40歳で、自分の生き方に迷いがなくなる。
*「知命(ちめい)」…50歳で、自分の天命や使命が何かということを知る。
*「耳順(じじゅん)」…60歳で、人の意見にきちんと、正確に耳を傾けることができるようになる。
*「従心(じゅうしん)」…70歳で、自分の心のままに行動したとしても、それが規範や道からはずれることはない。

現代は、満年齢ですので、この言葉の場合、1~2歳若い年齢を想像してください。
この表現を、皆さんはどう思われますか。

たいていの人間の、精神性や行動を、割合正確に、言い当てているように思いませんか。
30歳より前の年齢の方々には、これからやってくる心境ですので、まだわからないかもしれませんね。

今の日本では、40歳の不惑ばかりがクローズアップされますね。
15歳から40歳くらいまででしたら、たいていは放っておいても、この通りに進むと思いますが、難しいのは50歳から70歳までの、この言葉でしょう。

自然とそうなっていく方も多いでしょうが、いつもそうでいられるかと言われると、なかなか難しいですね。
最後の「従心」とは、そこまでの道のりをきちんと旅して来た人が、到達する境地ですね。
私には、まだまだ、幾つもの旅が必要のようです。


◇人生をお祝いする暦

人生の節目を示す言葉に、「還暦(かんれき)」とか、「古希(こき)」などがありますよね。
若い世代の方の中には、初めて聞いたという方もいると思います。
お爺ちゃんやお婆ちゃんが、60歳になったから、赤色のものを着て、家族でお祝いしようという話しを聞いたことはありませんか。

この60歳の年齢が「還暦」なのです。

古くからの東洋の風習で、人間の人生には「暦」があって、生まれてから60年を過ぎると、また生まれた暦に戻ってくるのです。
「還る(かえる)」は、戻ってくると同じ意味です。
「自然に還る」、「土に還る」などの使い方で、根本のところに戻る意味です。
「還暦」とは、根本の「暦」に還ってくることを意味しています。
赤色のものなどの風習のお話しは割愛します。

* * *

江戸時代ごろまでは、一般庶民のたいはんは、おおよそ50歳代ごろが人生の終点です。
そんな時代に、60歳である還暦を迎えられることは、たいへん喜ばしいことですね。

70歳を「古希(こき)」と言いますが、この呼び方は、唐の時代の中国の詩人・杜甫(とほ)の「曲江(きょっこう)」という漢詩の一節からきているといわれています。
その漢詩は、「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」です。
この「古来稀なり(こらいまれなり)」が「古希」の由来とされています。

この漢詩の意味は、「飲み屋の酒代のツケはどこにでもある話しだが、古来より70歳まで生きる人はめったにいない」というものです。
これが詩なのかどうかの話しは、横に置いておくとして、70歳まで生きるとは、いかに珍しい、希(まれ)なことであったのかがわかります。

* * *

前述の論語も、人間の年齢を最大でも70歳までしか想定していません。
現代のような長寿は、まったく想定の範囲ではなかったのです。

今では、70歳以上ですと、喜寿77歳・傘寿80歳・米寿88歳・卒寿90歳・白寿99歳・百寿100歳・茶寿108歳・皇寿111歳などがあります。
喜寿(きじゅ)の「喜」の文字を草書体で書くと「七十七」に見えます。
傘寿(さんじゅ)の「傘」は、「仐」とも書きます。
米寿(べいじゅ)は「米」の文字の中に、「八十八」が入っています。
卒寿(そつじゅ)の「卒」は、「卆」とも書きます。
白寿(はくじゅ)の「白」は、「百」の文字から「一」を引いたものです。
茶寿(ちゃじゅ)の「茶」は、草冠の「二十」と、その下の「八十八」を足した数字が108です。
皇寿(こうじゅ)の「皇」は、白の99と、王の12を足して111です。

このあたりは、ほとんどダジャレか、親父ギャグのようなものですね。
若い世代の方々も、こうした呼び方と同時に、漢字のダジャレも覚えて、祖父母や両親をお祝いしてあげてくださいね。
祖父母から、「うちの孫は、けっこう賢いの~」とか言われながら、おこづかいが…。
高齢者を頻繁にお祝いする行事があるのは、いいことだと思います。

お祝いを受ける側も、論語に書かれた、人生後半にある「知命」、「耳順」、「従心」、を肝に銘じておきたいものですね。
そうすれば、おのずと「人生の良い旅」になることでしょう。


◇風の旅人

俳人の松尾芭蕉(まつお ばしょう)は言いました。
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。」

旅をしているのは人間ばかりではありません。
年月もまた、旅をしているのだと。

人の生き方は、千差万別。
人の数だけ、旅の種類があります。
そして、人の生き方の分だけ、旅に対する考え方があります。

* * *

2006年に、秋川雅史(あきかわ まさふみ)さんが歌った「千の風になって」という楽曲が、世代を超えて大ヒットしましたね。
この楽曲は、もともとアメリカにあった詩で、新井満(あらい まん)さんが訳詞しました。
新井さんが曲をつけて、あの名曲が誕生しました。

お墓で眠ってはいません。風で葬るなど…、いろいろな論争が起きましたね。
でも、そんなことを吹く飛ばすほどの大ヒットとなりました。
宗教観や死生観は、いろいろあっていいのだと思います。

私は、この曲は、本当は「旅の歌」なのではと思うことがあります。

お盆が近づく季節になると、ついつい聴きたくなる名曲です。

この楽曲を聴くたびに、亡き人たちの顔を思い出し、彼らの人生を思い起こすのです。
歌詞の通り、彼らの人生が、風になって、大きな空を、今でも駆け巡ってくれているのであれば、とてもうれしい気持ちになります。

ほどほどの気持ちのよい風であってほしいと願っています。

千の風は、千の人生であり、千の旅がそこにはあったのだと感じます。
そして、長い年月もまた、旅人なのですね。

* * *

さて、今回はテレビの「旅番組」がひとつも登場せず、申し訳ありません。
次回は、古希をむかえた旅人が出演する「旅番組」からご紹介していきます。

その旅人は、「年寄りをコキ使う」と、番組内で言っていました。
あの旅番組です…。



次回「旅番組と人生③」へ続く

2019.8.2 jiho
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