「映像&史跡 fun」は、映像・テレビ番組・史跡・旅・動画撮影のヒントなどをご紹介するコラムです。


「旅番組」シリーズ(10)
旅番組と人生 ③ / 稀にある 稀な旅


前回「旅番組と人生② / 人生の旅暦」からの続き


◇昭和、平成、令和のモテ男

前回、人生をお祝いする暦について書きました。
70歳の「古希(こき)」の名称の由来も書きました。

今回は、ある「旅番組」についてご紹介しますが、その旅人は、今年めでたく古希をむかえられた、俳優の火野正平(ひの しょうへい)さんです。
昭和生まれの方々でしたら、まず、そのお名前をご存じかと思います。
ドラマでなくて、ワイドショーで?
そうです。あのモテモテ男の火野正平さんです。

今は、令和の時代になりましたが、平成の時代でも、何かとワイドショーネタになる、女性にモテるタレントさんのことを、「平成の火野正平」とかテレビで言っていましたね。
ご本人も、まだ俺の名前かよと、この旅番組内でも言っておられました。
いい意味で憎めないモテ男の代表ということなのでしょう。
憎らしいモテ男のタレントさんは、山ほどいました。
火野さんは、引き際が見事なのか、誠実すぎなのか、私にはわかりません。
火野さんの名前ならモテモテぶりもイメージしやすいし、彼の名前なら世間も嫌悪感を抱かないのは事実だと思います。

男性から見ても、「この男ならモテるのはわかる」と言わしめる魅力を持っているタレントさんです。
現代でも、この手の方は、一部の女性層には圧倒的にモテるはずです。
どこか、先ごろ亡くなられたショーケンこと萩原健一さんとも、共通する魅力を感じますね。
この旅番組の中の火野さんには、古希の年齢になっても、十分、その片鱗を感じることができます。

* * *

私も、青春スターの頃から、時代劇、刑事もの、NHKの大河、そしてワイドショーと、その姿を何度もテレビで拝見しました。
いつの時代もテレビからいなくなることなく、昭和、平成、令和と、ずっとテレビに出っぱなしです。
ですが、いつもドラマの主役かというと、そうではありません。
それが、まさか、還暦から古希のこの年齢で、こんな大ヒットの彼の代表作品ができるとは思ってもいませんでした。

番組内では、小中学生あたりから、「NHKの朝ドラの後の自転車のおじさん」と、よく言われていますね。
火野さんはよく、自分のことを、別の俳優さんの名前を使って「役所広司(やくしょ こうじ)です」とか自己紹介していますね。
さすがに、恩人の「勝新太郎です」とは言いません。
中には信用する地元の方もいますが、火野さんは一向に訂正しません。
これも、大ベテランの余裕がなせるワザです。
こんな、かわいいウソとはいえ、どのタレントでもテレビ番組で許されるということはありません。


◇役者というものは…

火野さんは、旅番組の中のある回で、こんなことを言っていました。
ついつい、聞き耳をたててしまいました。

役者というものは、違うと思っても、監督がやれと言うのなら、やるんです。
そうやって生きてきたんです。
で、かろうじて生き残ってきたんです。
だから、言うこと、きいてるんですけど、とっても理不尽なんです。
(俺は)どこ向かってんねん!

この語り方、だれかに似ていませんか。
おそらく、そのモノマネです。

最近、中高年層でジワジワ人気急上昇の、ウクレレ漫談の「ぴろき」さんの口調です。
火野さんは、結構、お笑いが好きなようですね。
「ぴろき」さんの口調風に、ちょっと書いてみます。

その見た目は、かなり強烈なんですけど、
お笑いの内容は正統派そのものなんです。
中高年に受けそうな、その内容は格別なんです。
おそらく50歳代の遅咲き芸人かと思いますが、令和の「きみまろ」になれるかもしれないんです。
ヒヒヒヒ…。
私も注目して、楽しみにしてるんです。
彼の、あの微妙なヒヒヒの笑い声と、頭の上の噴水が、クセになるんです。
中高年の方々、笑いたいときは、どうぞおすすめしたいんです。

* * *

さてさて、この火野さんの発言はアドリブですが、この言葉、この旅番組をある意味、言い当てています。
古希の年齢の方に言われると、何か、胸をうたれるものがありますね。
まさに、旅をしながら、自身の人生を語ってくれました。

* * *

彼の古希、70歳の誕生日も旅番組のロケでした。
彼は、こんなことも言っていました。
「NHKからしたら、これを、コキ使うというのです。」と。
なんと見事な台詞でしょう。
ある意味、ダジャレを超えて、意味深いです。

さすがに、古希ともなると、台詞も、「ソフト・アンド・ハード」ですね。
さすが女性にモテるのも、よくわかります。

そんな人間の人生がたくさん詰まった「旅番組」のお話しは、後で続きを書きます。

その前に…、
この「コキ使う」の「コキ」は、もちろん「古希」のことではありません。
「コキ使う」の「コキ」は、「古希」とはまったく別の意味です。
そのことを先に書きたいと思います。


◇扱き使う

「こき使う」とは、漢字で「扱き使う」と書きます。

「千歯扱き(せんばこき)」、「千把扱き(せんばこき)」という農機具を見たことはありませんか。
農業地域の昭和生まれの方でしたら、農家に置かれている古い農機具を見た方も多いと思います。

尖った大きな針のような刃(歯)が、横一列にたくさん並んだ機具で、そこに稲の束をこすりつけ、籾(もみ)を取るものです。
回転ドラム式のものもありましたね。もちろん電動ではありません。
昭和の中頃までは使われていたようです。

* * *

田んぼには、稲穂(いなほ)がたくさん実っていますね。美しい風景です。
でも、私たちが食べるお米になるまでには、たくさんの行程があるのです。

種もみ、種まき、育苗(いくびょう)、田んぼ作り、田植え、成長・除草・防虫・追肥、稲刈り、脱穀、乾燥、精米。
おおよそ、このような行程ですが、さらに細分化すると、かなり多く種類の作業があります。

青々とした稲穂が風にそよぐ、美しい田んぼの風景を眺めていると、きれいな白米になるまでの たいへんな労働作業のことを、ついつい忘れがちになってしまいます。
泥まみれの農家の方々には、深く感謝したいものです。

「千歯扱き(せんばこき)」という農機具を使って、稲の穂からその籾(もみ)をこすり取っていくことを、「稲扱き(いねこき)」といいます。
一般的には、「脱穀(だっこく)」といいますね。
その籾の中に、お米の粒が入っています。
昭和の中頃までは、当然、人間による人力作業です。

この稲を扱く作業は、相当に時間のかかる作業で、非常に疲れる作業です。
農家の納屋の隅に、今でも残っている農機具の「千歯扱き」には、農家の方々の苦労の歴史がたくさん詰まっていますね。

この「扱き(こき)」という言葉が、 人間を、チカラが出なくなるまで、そのエネルギーをこすり取るように無理に働かせることを意味する「扱き使う」という表現になったといわれています。

* * *

今は、脱穀機である機械の大型コンバインは、稲刈りから脱穀までを、一度に行ってしまいます。
作業者ひとりでも、比較的かんたんに行えます。
こうした農業用大型機械が登場してくるまでは、農家の方々は、かなりの労働量を強いられていましたので、この機械化によって、その労働量は相当に軽減されましたね。その疲労度もかなり軽減されたでしょう。

明治時代になって、旅が、徒歩やかご、馬から、鉄道に変わったことと似ているのかと思います。
農家の方々は、これまでの長時間の労働時間を、他の労働にまわせるようにもなりましたね。
おそらく健康の維持にも、大きく貢献したことでしょう。


◇農繁休暇


都会の方々は、あまり知っている方は少ないですが、農業地域には、いわゆる「農繁期(のうはんき)」という時期があります。
お米に限らず、果物も野菜も、種まきや収穫の時期という、たいへんに忙しくなる繁忙時期があります。

農業地域には、かつて、そうした農家の繁忙時期に、「農繁休暇(のうはんきゅうか)」というものがありました。
農家だけに限らず、職場も学校も、みな1週間から10日ほどお休みになるのです。
農家の子供たちはもちろん手伝いますが、親戚、友人、総出で農作業のお手伝いを行います。
そのくらい多くの労働力が必要になったのです。

春と秋にこの短い休暇期間がありました。
その分、子供たちの夏休みと冬休みは、都会よりも短くなっていました。
でも、休暇とはいっても、遊んでいる期間ではありません。
何か矛盾したような聞こえ方の言葉ではありますが、皆で、仕事するために、休暇を取る時期なのです。
昭和の中頃まで、このシステムがあったようです。
これは漁業でも、商業でも同じですね。

今、前述の機械化による、労働量の軽減で、こうした社会のシステムは、ほぼなくなりました。
学校を休んで、家業のお手伝いをする子供も、ずいぶん減ったと思います。
まして、会社はなかなか休めません。
今でも、農繁休暇のようなものが残っている地域が、ひょっとしたら、あるのかもしれません。

ですが、野菜や果物の収穫時期は、今でも、労働力がかなり不足します。
農家自体の後継ぎ不足、少子高齢化、人口減少による労働力不足からです。
その時期は、農作業のための外国人労働者が、たくさん日本にやってきますよね。

「こき使う」という言葉は、死語ではありません。
今でも、「扱き」の現場はたくさんあるのだと思います。

スーパーに行くと、野菜や果物が、いつも当たり前のように並んでいます。
その陰で、誰かが、こき使われているのかもしれません。

「私だって、いつも、こき使われているわよ」と、皆さんもお考えでしょう。
何歳になったら、こき使われなくなるのでしょうね。
70歳の古希になっても、無理かもしれませんね。


◇米つきバッタ


昔、「米つきバッタ」という言葉もありました。
最近はあまり耳にしなくなりましたね。
結構、未熟な自論でも、恐れず自己主張する若者も増えてきました。
決して悪いことばかりではないと思います。

「米つきバッタ」とは、上司にへつらって、頭を何度もペコペコさせる部下の姿が、昆虫のあるバッタの種類に似ていることからきた言葉です。
今、奈良公園の鹿たちも、人間に向かって、何度も頭を下げますね。これも似ています。

「米つき」とは、今でいう精米に近い作業です。
その作業のかたちはいろいろありました。
「お餅つき」の臼(うす)と杵(きね)のような大型のスタイルから、
一升ビンに籾(もみ)を入れて、ビンのクチから棒を差し込み、その棒を上下に動かすものまであります。
よく戦時中を表現したドラマにも、このシーンは登場しますね。

この昆虫のバッタは、ショウリョウバッタという種類のバッタで、今でも田んぼの近くにはたくさんいます。
頭の先が尖った細長いバッタです。
ユーチューブでも、このバッタが頭を上下させる様子の映像を見れると思います。
お餅つきを想像させますね。

* * *

こき使われながら、さらに「米つきバッタ」のようでいなければならなかった、古い時代の農家の方々の苦労は並大抵ではなかったと想像します。
農業分野に限らず、現代でも、さまざまな分野で、そうした境遇の方は少なくはないはずです。
何か、また新しいコンバインが登場してくれたらいいですね。

さて、「米つきバッタ」のような素振りを時々する、「扱き」ではない、「古希」の火野正平さんの旅番組の話しに戻します。


◇にっぽん縦断、こころ旅

この旅番組は、NHK-BSプレミアムの「にっぽん縦断、こころ旅」という番組です。
もう10年ほど放送しています。
現在も、「春の旅」と「秋の旅」として、一定期間に放送されます。

この番組は、日本各地を、自転車で旅する番組です。
火野正平さんが、案内役の旅人となり、実際に自転車のペダルをこいで旅をします。
見ているほうが、ちょっと心配になるほどの、火野さんの疲労度の回もあります。
「もうダメ」、「もうヤダ」の連発です。
でも、がんばってくれています。
そんな火野さんを、テレビの前で視聴者は、結構、笑って応援しながら見ていることでしょう。

* * *

この番組のシステムが、非常に画期的です。
朝の15分間で、旅の始まりからお昼の昼食あたりまでの内容を放送します。
これを「朝版」といいます。

その後、夜の7時になると「とうちゃこ版」として、30分間放送されます。
文字通り、旅の目的地に到着する内容なのです。

この「とうちゃこ」というフレーズも、昭和の香りプンプンの懐かしい表現ですね。

ですから、視聴者は、朝、出発する風景をテレビで見て、ひと仕事して家に帰って、夕食の頃に、その旅先に到着するシーンを見ることになるのです。
まさに、旅人の火野さんと、一日の時間を共有するような感覚になる不思議な番組システムなのです。
視聴者は、朝版を見て、無事に到着できるかなと思いながら日中を過ごし、確認のために夜の放送時間を待つのです。
もちろん、夜の「とうちゃこ版」だけを見ても、成立できるような作り方にはなっています。

こんな贅沢な放送時間の使い方は、NHKでしかできませんね。
民間放送では考えられません。NHKは、その強みを遺憾なく発揮しています。

こんな不思議な感覚を視聴者に持たせられるテレビの旅番組は、他には思い出せません。
まさに視聴者にも、旅をさせているような旅番組です。

次回以降に、関口知宏(せきぐち ともひろ)さんの「列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜」のお話しも書きますが、それともまた違う感覚です。

* * *

この番組の特徴は、もちろん、これだけではありません。
やはり、この旅人自身の個性と、その旅へのアプローチ方法が、かなりユニークなのです。

実は、次回、このアプローチ方法とよく似た、三宅裕司さんの「ふるさと探訪」のことを書くつもりでいますが、この二つの番組には、共通したものがたくさんあります。
おそらく、この両番組を、両方とも見ている視聴者はきっと多いのだろうと思っています。

そんな共通点については、次回書きますね。

* * *

そんな「こころ旅」ですが、テレビ番組によくある、いわゆる仕込み、予定調和の演出が、ほぼ見当たりません。
もちろん、民放の旅番組にある、ビジネスや営業、宣伝の匂いも、一切しません。
食べるものも、低価格の庶民の味ばかりです。いわゆる、その辺の弁当まであります。
有名俳優がそれを食べているシーンは、放送していいのだろうかというものまであります。

火野さんが、スパゲティ・ナポリタンにタバスコを大量にかけて、むせるシーンは、この番組の名物です。
しばらく そのシーンがないと、そろそろやるかという雰囲気です。
ふつうなら、飲食店からクレームがきそうな話しです。
この番組は、一向に「おかまいなし」です。

飲食店で、カレーに市販のソースをかけるなんて、庶民でさえ、なかなかできませんし、やりません。
でも、火野さん世代にとっての、ウスターソースの醍醐味と思い入れは、とてもよくわかります。
昔のカレーは、今とはまったく違っていましたね。
カレーうどんに油あげというのも、よくわかります。

ナポリタンといい、カレーといい、さすが表現者ですね。
最近の若い俳優には、こういうものが足りない気も少しします。

仕込みや演出という意味では、もちろん事前の準備や、スタッフのみが知りうる内容はあるでしょうが、突然のハプニングもたくさん起こります。
中には、ふってわいたような感動的な話しもたくさんあります。
何か安っぽい仕込みや演出よりも、はるかに素敵なハプニングを見れるのが、この番組なのです。
この「ほったらかし感」が、むしろ面白さを生むのかもしれません。
それより何より、実際の旅とは、仕込みなどない、そうしたものですよね。

私が知りうる範囲ではありますが、少しだけ、感動ハプニングをご紹介します。


◇そよ風の少女

北海道は旭川市(358日目)の旅のお話しです。
ある丘が旅の目的地となりました。
その丘に向かう途中で、かわいらしい小学生の少女に出会います。
火野さんが、その少女に出会い、道を尋ねます。
元気よく言葉を返してくれる少女でした。

そこでいったんお別れしますが、丘のふもとあたりで、もう一度、その少女に出会うのです。
火野さんが道に迷っていないか心配して、クルマで祖母と来てくれたのでした。
仲良くなって、火野さんは、その少女とともに、その丘を歩いて登ることになりました。

火野さんは、がんばれ、がんばれと、少女に声をかけます。
火野さんは、少女に、「おんぶしてはダメだよ」と言います。

みるみる、その少女の顔色が変わっていきます。
息遣いもおかしくなってきました。
少女は疲れはてた様子で「疲れた」と言います。

やっとの思いで、丘の頂にふたりは到着しました。
そこで、初めて、火野さんは、その少女が病気で「かけっこ」を止められており、あまり健康な身体でないことを知るのです。
可哀そうなことをさせてしまった火野さんは、その少女に謝ります。
そして、丘の頂の小さなベンチで、二人は並んで座り、ふもとに見える田んぼの風景の話しを始めるのです。

少女が言います。
「風が吹いているから、田んぼがなんか動いている」
田んぼでは、青々とした稲穂が、そよそよと風になびいています。

火野さんは、少女に、あれは何に見えると聞きます。
火野さんは、あれは「風の足跡」と言うんだよと、やさしく語ります。

きっと、この少女は、この丘から見た風景と、火野さんとのこの会話を、生涯忘れることはないでしょう。
この「こころ旅」のもうひとつのタイトルがあるとしたら、それは「こころの風景」です。
たとえ、同じ場所の同じ風景でも、人によって、「こころに刻まれる風景」は違いますよね。

まるで、ドラマのワンシーンのようなことが、突然にやってきたのです。
お爺ちゃんと孫の、まったりとした風景がそこにありました。
それを実感させてくれる感動的な回でしたね。

実は、私たちの旅でも、こうした突然にやってくる感動的な出来事というものは、時々起こりますよね。
稀な話しのようで、実は、それほど稀な話しでもありません。
どうして、こんな旅先で、この人に再会するのだろうということもありますよね。

火野さんのような旅の仕方をしていると、自然に、どこかからかやってくる出来事なのかもしれません。


◇猫案内

これは人との出会いではありませんが、愛媛県鬼北町(609日目)の回のお話しです。

火野さんは、旅の途中で、ある猫を見かけます。
その猫は、火野さんに何か言いたそうな顔で、ニャーニャーと しきりに鳴いています。

火野さんは、ある小学校近くの場所を探すために、いろいろな方に尋ねるのです。
数十年も前の古い昭和の中頃のお話しを尋ねるのですが、なかなか地元の方々も思い出せません。

そんな会話の傍らで、その猫が、ずっとその様子を見ているのです。
いつしか、火野さんの歩く後を、ずっとついてくるのです。

地元の方々も、まったく知らない猫なのです。
地元の方は、その猫に、「火野さんについていくの」と言います。
火野さんは、猫に、「お前、どこから来た?」と語りかけるのです。

この猫は、ある時、自分のおトイレの様子を、カメラの前で見せるのです。
そして、しっかり後片付けをするのです。
火野さんはじめ、撮影スタッフは、その見事さに声をあげます。
猫にとって、それは偶然ではなかったと思います。
これは、あえて私たちに見せたと思います。

火野さんは、ある小学校に到着し、校庭内に入っていき、先生とおしゃべりします。
その猫は、まだずっと、火野さんの後をついてくるのです。
もはや、一緒に旅する仲間になっています。
校歌を歌ってくれた小学校の先生も、見たことのない猫だと言っていました。

この旅の目的地は、ある小学校の校庭にある大きなクスの木でした。
最後に、クスの木の下でお手紙を読むシーンでも、猫は一緒でした。

こんな仕込みや演出は、絶対にできません。
テレビ用のタレント動物でも、絶対にできません。

なぜ、地元の人までが知らない猫がそこにいたのか?
この猫は、本当に猫だったのでしょうか?
古い時代から何かが、やってきてくれて、案内してくれたのでしょうか?
こんなことがあるのだなと、ある意味、感動した回でした。


◇思い出の桃源郷

山梨県甲州市(247日目・519日目)の旅のお話しです。
ある桃の果樹園で、火野さんが、ここで休ませてもらっていいですかと、その果樹園の方に話しかけます。
ちょうど桃の収穫の作業中で、ある父と娘がそこにいました。
火野さんは、そのお父さんに桃の収穫の仕方を教わりました。

三年後、この娘さんからNHKにお手紙が届きます。
あの旅の回に登場したお父さんが亡くなられたという内容でした。
ちょうど、火野さんが訪れたときは、癌治療の真っ最中で、ちょうど果樹園に戻ったときだったそうです。
火野さんに会えて、父はたいへん喜んでいたと書かれていました。

三年後、火野さんは、記憶をたよりに、その果樹園に自転車で訪れます。
でも、そこには誰もいませんでした。
普通の旅番組なら、事前に連絡するでしょう。
でも、この番組はしません。

火野さんは、期待した娘さんとの偶然の再会はできませんでしたが、きれいな桃の花が迎えてくれました。
火野さんは、桃の花に手をあわせました。
そして、桃の花に話しかけ、その木の下で娘さんからの手紙を読みます。
最後に、その花にお別れのあいさつをします。
この番組が生んだ、三年間にわたる桃源郷の思い出の「こころの風景」という素晴らしい物語でした。

私も、山梨県の笛吹川近くを自動車で通過することが、時々あります。
濃いピンク色の桃の花の見事なじゅうたんを見ることもあります。
今度、私が、その桃色のじゅうたんを見たときには、きっと、このエピソードを思い出すことになるのだと思います。


◇風景に、こんにちは

この番組が始まったのは、2011年です。
回数も、今年の春の旅で、855回まできました。
日本を何度も縦断しています。

私は個人的に、これまでの生涯で、四つの都道府県で暮らしました。
この番組では、私が暮らした場所のすぐ近くの風景を、四か所とも見せてくれました。
一か所は、今はなき我が家の前を自転車で走ってくれました。
周囲の風景は変わっていませんでした。
他の三か所でも。数十年ぶりに、近くの山や川の風景も見ることができました。
おそらく、この番組の視聴者の多くが、同じ経験をしていると思います。

このように、普通の旅番組では、まず登場しない風景ばかりなのです。
稀にも登場することのない風景ばかりです。

* * *

この番組に登場する旅は、通常の旅番組に出てくる旅ではありません。
心の中にある思い出の場所の旅でもない気がします。
朝から夜まで、ゆっくりと一日を使って、視聴者の心こそが旅をする、そんな番組なのかもしれません。

火野さんは、この番組の中で、よくクチにします。
「何のへんてつもない風景だけど、きっと大切な風景なのだろうな」と。

ガイドブックや旅雑誌で、まず紹介されることのない、「何のへんてつもない」そんな風景ばかりなのに、心をとらえて離さない、そんな風景たちなのです。
私たちも、実際の旅の中で、何のへんてつもない風景を、たくさん眺めていますね。

でも、何のへんてつもない風景の中には、本当に何もないのでしょうか。
何のへんてつもない風景の中にこそ、大切なものが隠れているのかもしれません。
旅番組は、名所旧跡、風光明媚だけが、そのターゲットではないことが、この番組で実感できます。

この旅番組は、目で見る旅番組ではありません。
心でみる、心で感じる旅番組なのです。
外見にとらわれてはいけない旅番組なのです。

なかなか素敵なアプローチ方法ですね。
簡単にやれそうで、なかなかできないことだと思います。
NHKならではかもしれませんね。

旅人である火野さんのチカラも大きいことでしょう。
さすがにベテランの俳優さんです。
言葉ではなく、仕草で表現する場面も、たくさんありますね。

* * *

火野さんは、この番組で、愛車の自転車に名前をつけています。
「チャリオ」です。
チャリオに、よく声をかけます。

お手紙を寄せてくれた視聴者には、「〇〇さん、来たよ」と声をかけます。

火野さんは、よく風景に向かっても挨拶をします。
「こんにちは」と。

火野さんがモテる理由がわかる気がしますね。

風景に挨拶する「こころ」、私たちも忘れたくないですね。


◇こころに従う

前回コラム「旅番組と人生② /人生の旅暦」の回で、論語のお話しを書きました。

*「志学(しがく)」…15歳で、学問に目覚め、志しを持ちます。
*「而立(じりつ)」…30歳で、地に足をつけ、自分ひとりだけでも生きていけるようになる。
*「不惑(ふわく)」…40歳で、自分の生き方に迷いがなくなる。
*「知命(ちめい)」…50歳で、自分の天命や使命が何かということを知る。
*「耳順(じじゅん)」…60歳で、人の意見にきちんと、正確に耳を傾けることができるようになる。
*「従心(じゅうしん)」…70歳で、自分の心のままに行動したとしても、それが規範や道からはずれることはない。

40歳までは、自然とそうなっていくものだが、50歳から70歳までが、非常にむずかしいと書きました。
私たちは、冒頭の写真のように、「耳順」の姿勢でじっとしているワンちゃんになれるでしょうか。

この番組の旅人に火野さんが選ばれた理由は、さまざまにあると思います。
ですが、10年で800回を越す旅を続けていられるには、それとは別の理由があるのではと思っています。

番組でその姿を拝見するに、火野さんは、物事のすべてを、ありのままに受け入れようとされる方なのではと感じることがあります。
だから、自分自身もありのままに表現されるのかもしれません。
自分の弱い部分、苦手な部分を隠すことはありません。
自分をことさら立派に飾り立てることもありません。かといって、世間の言葉に弱いだけでもありません。

古希の年齢といえば「耳順」を過ぎ、「従心」の段階です。
決して心を従わせるのではありません。
心に従うのです。
妥協することとも違います。

耳順から従心までの、火野さんの姿を、この「こころ旅」で拝見させていただきました。
この旅は、視聴者のお手紙に従った旅ではなかったはずです。
視聴者の心、火野さん自身の心に従った、素直な旅なのだと感じています。

この番組は、視聴者自身が旅をする番組です。
皆さまも、機会がありましたら、ご自身の「こころの目」で、一度、「こころ旅」をしてみてください。

* * *

次回は、この「にっぽん縦断、こころ旅」と、三宅裕司さんの「ふるさと探訪」との共通点を、少し書いてみたいと思っています。

最後に…、
「古希をコキ使うな…、人生下り坂、最高!」

火野さん、次は「喜寿(きじゅ)」ですね。



次回「旅番組と人生④」へ続く

2019.8.6 jiho
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