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聖なる地(3)高野山

【概要】壮大な高野山パワー。金剛峯寺と東京別院。幽霊坂でどっこいしょ。金剛杵と仁王さま。空海(弘法大師)。聖地の方向と三鈷の松。


前回コラム「聖なる地(2)源泉と海岳の寺」では、泉岳寺のことをご紹介しました。
今回のコラムでは、泉岳寺のすぐ近くにある「聖なるお寺」をご紹介します。


◇幽霊坂

泉岳寺から、住宅街の中にある急坂を登った先の高台の平地に、「高野山(こうやさん) 東京別院」という大きなお寺があります。
歩いて10分くらいでしょうか。
そこを目指して歩きたいと思います。

坂道の途中にある高輪幼稚園の前に、「海抜25メートル」という看板がありました。
江戸時代の海岸線にあった旧東海道は、おそらくゼロメートル地域だと思いますので、海抜数メートルほどの泉岳寺から、一気に数分で、ここまで登ってきたことになります。
おそらく目指す高台は、海抜30メールくらいはあるかもしれません。

ようするに、この高輪は、海岸沿いの旧東海道のほぼゼロメートルの低地から、数十メートル登った高台まで、まさに坂だらけという地形なのです。
坂というよりも、崖のような場所さえあります。

私が今回登っている、住宅街の中の、この曲がりくねった細い急坂の名称は、なんと「幽霊坂(ゆうれいざか)」といいます。
暗がりの この幽霊坂で、赤穂義士の姿でも見かけようものなら、坂の下まで転がり落ちてしまいそうですね。

* * *

江戸東京には無数の「幽霊坂」が存在します。
日本各地に ありますよね。

たいがいは、お寺が集まる地域や、歴史的に何かがあった坂などですね。
不思議に、たいがいは、道ではなく坂です。
坂で速度が落ち、疲労と弱気になったところに、彼らはやってくるのです。

実際に、昼間でもあまり日差しがなかったり、人もあまり通らない、さみしく細い坂道だったりします。
何か、よくわからない音が聞こえたりする場合もありますね。
たいがいは、地形の関係で、遠くの何かの音がたまたま聞こえてくるだけのものですが…。

もちろん、そこに お住まいの方もたくさんおられますし、実際は、なんの問題もないと思います。
私は、職業が映像屋でもあるので、少し縁がつながりやすく、彼らに礼を逸することのないように気をつけています。
映像業界の人間はみな、そうしたものです。
この後、聖地であるお寺のお話しを書きますので、それでなんとか…。
△塩△

* * *

泉岳寺周辺の この高輪(たかなわ)地域も、お寺がたくさんあります。
その理由は、次回以降で書きます。

今でも、仏教に限らず、キリスト教や、現代の新興宗教など、たくさんの宗教施設がある高輪地域です。
日本最古のキリスト教の学校「明治学院」の流れをくむ「明治学院大学」も、このすぐ近くの高台にあります。
この高輪は、「生」と「死」と「宗教」が絡みあうような地域であるのかもしれませんね。
加えて「霊」も…。

この幽霊坂を少し行った先には、「幽霊地蔵」というお地蔵さまがおられます。
その姿は、ちょっと想像を越えます。
飴を毎日 買いに来る母子の、ある伝説も残っています。
子供も大人も、飴は 気をつけてなめましょうね。

この幽霊坂がぶつかる、もうひとつの坂が「桂坂(かつらざか)」といいますが、ここにも、ちょっと不気味なお話しがあります。
不気味でありながら、ちょっとニヤっとします。
次回のコラムで書きます。

とにかく、このあたりは急坂です。
次回のコラムでは、もはや歩いて登るのをあきらめて、住民用エレベーターを設置した、近くの別の地域のお話しも書きます。

こうした坂道を登る行動…、江戸時代は、今よりもっと、たいへんだったことでしょう。


◇高野山 東京別院

泉岳寺から、住宅街の中にある猛烈な急坂を、10分ほど登った先の高台に、「高野山 東京別院」という大きなお寺があります。
今回のコラム「聖なる地」のシリーズでご紹介する、二つ目の聖地です。

江戸時代初期、江戸幕府とともに、その歴史は始まりますが、そのことは後ほど書きます。




◇高野山

和歌山県にある「高野山(こうやさん)」は、真言密教(しんごんみっきょう)の聖地であり、真言宗の大本山ですね。
たくさんの堂塔が建ち並び、有名人たちのお墓も多数あります。
紀伊山地の奥深い山の中にある、広大な地域の仏教都市です。
「高野山」とは、山の名称ではなく、宗教そのもの、さらに、その仏教都市を示すものです。

この広大な聖地を、大きくエリア別に分けると、「壇上伽藍(だんじょうがらん」、「金剛峯寺(こんごうぶじ)」、「奥の院」、国宝多宝塔のある「金剛三昧院(こんごうさんまいいん)」、「徳川家霊台」、「持明院(じみょういん)」などのエリアがあります。

平安時代の創建以降、それぞれ どの時代にもつながる歴史的遺構が、山のようにあります。
神社仏閣ファン、歴史ファンからみても、まさに「聖地」ですね。

まるで、今、生きている時代を忘れさせるような、時代を越えた神秘の別世界がそこにありますね。
各時代の人々も、きっと、そう感じたことでしょう。

* * *

かつては、高野山全体を「金剛峯寺(こんごうぶじ)」といったそうですが、明治時代以降は、高野山の中の特定の場所を「金剛峯寺」というそうです。
「金剛峯寺」という名は、「空海(くうかい))」が自ら名付けたそうです。

留学先の今の中国から帰国した僧侶の「空海(弘法大師 / お大師様)」が、嵯峨天皇から高野山の地を下賜され、寺の伽藍をつくりはじめたのは、平安時代の初め頃の816年です。





空海は、僧侶であり、学者であり、教育者であり、実業家であり、書道家でもありましたね。
まさに、当時の最新の仏教、思想、知識、教養、芸術、土木技術を身につけて、中国から日本に戻って来た人物です。

高野山には、日本全国の、歴史に名前が残るほとんどの戦国武将のお墓があります。
なんと、高野山を攻撃した織田信長の墓まであります。
この懐(ふところ)の大きさに、宗教を越えた、何か日本の心の中心地、魂の拠りどころを感じさせますね。

* * *

「高野山 東京別院」のサイトには、「首都圏の大師信仰の教化の拠点」と書かれています。
東京都内や周辺地域にも、「お大師様」と呼ばれる寺院はたくさんあります。
おそらく、目にしたことのない方はいないと思います。

日本全国に、「お大師様」の信仰は定着していますね。
空海や真言密教についてのお話しは、今回は このくらいにしますが、宗教を越えて、一度は訪れていただきたい「高野山」です。

高野山のサイト


高野山 東京別院のサイト


◇金剛杵(こんごうしょ)

今、高野山 東京別院の敷地内の門周辺では、整備工事を行っています。
完成すると、門から本堂までの きれいな道になりそうです。

そこには、さまざまな宗教関連の建立物がありますが、ひとつだけ、ご紹介します。
下の写真は、ある二つの方向を示しているものです。


写真内の上部にある、この仏法具を見たことがある方も多いと思います。

これは「金剛杵(こんごうしょ)」という法具の中の、「三鈷杵(さんこしょ)」と呼ばれる法具です。
先の刃が三本に分かれているため「三鈷杵(さんこしょ)」といいます。

コラム冒頭の写真は、金剛杵の中の、五本刃の「「五鈷杵(ごこしょ)」です。

* * *

「金剛(こんごう)」の漢字の意味は、非常に強く固い金属のことです。
平安時代に国産の金剛杵が作れるようになったのは、空海が鉱脈をたくさん発見してくれたおかげだと想像します。

「杵(しょ・きね)」は、今でも、お餅つきの「杵(きね)」という呼び方に残っているように、稲作でも、お餅つきでも、土木工事でも、非常に大切な道具です。
一方、この杵は武器としての意味合いもありました。

* * *

「天下三名槍」という、戦国武将の三本の槍の名品が残っていますね。

黒田節で有名な「日本号(吞み取りの槍)」、先にとまったトンボが斬れたという本多忠勝の「トンボ切り」、結城家から松平家に受け継がれた「御手杵(おてぎね)」の三本です。
「杵」の文字が入っている「御手杵」は武器の槍そのものです。

刀とは比べものにならない槍の殺傷力のすごさは、コラム「聖なる地(1)義士祭」でも書きました。
武人の象徴が、この「槍(杵)」ともいえますね。
槍の名手は、武士の中のヒーローでした。
後で書きます あの神様も、武器である、この杵を手にしています。

* * *

「杵(しょ)」は、仏教の大切な道具であり、生きるための大切な道具であり、強力な武器なのです。

ですから、「金剛杵(こんごうしょ)」とは、非常に硬い金属で作られた仏法具・宗教上の武器なのです。

金剛杵は、日本の真言宗、天台宗、禅宗などの儀式で使われるだけでなく、チベット仏教、インドの神話でも、たくさん登場してきます。
金剛杵は、東アジアの広い地域で見ることができますね。


◇金剛杵と仁王さま

金剛杵は、その形状がいろいろにあり、名称もたくさんあります。

前述の「三鈷杵(さんこしょ)」や「「五鈷杵(ごこしょ)」の「鈷(こ)」とは、刃のことをいいますが、刃の数にも、それぞれに意味があります。
中には、刃ではなく鈴の形状の「金剛鈴(こんごうれい)」というものもあります。
他の形状もあります。

手でつかむ中央部分には、大日如来を意味する「鬼目(きもく)」が付いています。

* * *

金剛杵の中には、一本刃だけのものもあり、これを「独鈷杵(どっこしょ・とっこしょ)」といいます。
この独鈷杵を手にしている方を、皆さまも、何度も見ていると思います。
そうです。「仁王(におう)さま」です。

仁王さまは、「金剛力士(こんごうりきし)」ともいいますね。
サンスクリット語の「バジュラダラ」は金剛力士のことですが、その意味は「金剛杵(バジュラ)を持つ者」という意味だそうです。

ですから、「仁王門」とは、二人の神様が、お寺の門のところで、武器を手に、両側からにらみをきかしているということです。

今度、仁王さまがいるお寺の門に行かれましたら、どんな形状の金剛杵を、手にしている、あるいは身に着けているか、どうぞ見てみてください。
手にして、振り下ろそうとしていたら、もはや一刻を争いますね…。


◇どっこいしょ

「どっこいしょ」という日本語がありますよね。
この言葉の由来ははっきりしていませんが、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」からきているという説が有力とも言われています。
六根とは、眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)のことで、それらを清らかにする意味です。
私は昔から、この説は、腑(ふ)に落ちません。

むしろ「独鈷杵(どっこしょ・とっこしょ)」のほうが、音も近いし、「しょ」とは何かの道具ではないのだろうかと感じています。
畑で鍬を「どっこいしょ」、重い身体を「どっこいしょ」、何かを手で持ち上げようとして「どっこいしょ」…、何か顔をしかめて、大きくチカラを入れて事にのぞむ、金剛力士の姿にも似ているように思います。
「どっこいしょ」するときに、「六根」のことを考えるのでしょうか?

あなたも、「金剛杵(こんごうしょ)」を、もし どこかで手にする機会がありましたら、きっとクチにすると思います。
「重っ(おもっ)!、どっこいしょ」。


◇阿吽(あ・うん)

寺の門の金剛力士が、片方は「阿(あ)」のクチで、もう片方は「吽(うん)」のクチをしていることは、皆さまも よくご存じかと思います。
神社の狛犬もそうですね。

「阿吽(あうん)」は仏教用語ですが、始まりと終わりも意味しています。

お相撲では、力士たちの「阿吽の呼吸」で取り組みが始まりますね。
この呼吸は、言語を使わない人間どうしの間合いといいますか、ある意味、コミュケーションのようなものですね。
そのとおり、息づかいであり、意思疎通でもあります。
「空気を読む」も、これに近い気もします。
これは決して、日本だけのものではありませんね。

お相撲は、神様の前で二人の金剛力士が、呼吸を合わせて、組み合って戦う神事なのでしょうが、ひょっとしたら、その精神や勝敗よりも、この阿吽(あうん)の呼吸のほうが大事なのかとも思ってしまいます。
呼吸の合わない者どうしに、神様の前で戦う資格などないのかもしれませんね。
呼吸とは、単に空気を吸ったり吐いたり、読んだり、間合いを取ったりするものとは違うものなのでしょうね。

* * *

そういえば、昭和の時代に、「金剛(こんごう)」という、金星かせぎの人気のお相撲さんがいましたね。
もう亡くなられましたが、その破天荒な言動は、今の時代では なかなか通用しないかもしれませんね。
「強さ」と「破天荒」は、紙一重?
この両者の呼吸も合わせてほしいもの…。


◇聖地の方向

前述の写真(下)の、「金剛杵(こんごうしゅ)」が示す方向に、和歌山県の高野山があるそうです。
そして、両足の向く方向には、仏教の聖地であるインドのブッダガヤがあるそうです。
東京別院から見ましたら、両者が同じ方向ということなのですね。

この場所に立ち、その方向に手をあわせるだけで、何か、それぞれの聖地につながるような気がします。
どうぞ、呼吸を整えて、目を閉じてみてください。


◇三鈷の松

高野山には、次のようなお話しが残っています。

空海は、留学中の中国の地で、金剛杵を天空に向かって投げたそうです。
その後、日本に帰国し、日本にも聖地をつくろうと各地を歩いた時に、この高野山の地で、ある松の木に金剛杵が引っかかっているのを見つけます。
嵯峨天皇にお願いし、この地を下賜されることになります。
その場所が、和歌山県の高野山です。

その松の木が、今も和歌山県の高野山にある「三鈷(さんこ)の松」だそうです。
「三鈷の松」の「三鈷」とは、前述の金剛杵の「三鈷杵(さんこしょ)」の「三鈷」のことです。
三本の「鈷(刃)」であり、三本の「鈷(松の葉)」なのです。
下の写真の右すみにある松の木がそれです。

古くから、その松の葉を、ご利益のあるお守りとして大切にする慣習がありますね。

* * *

下の写真の、奥の大きな塔は、「壇上伽藍(だんじょうがらん)」の中心的な建物の「根本大塔(こんぽんだいとう)」です。
現在の大塔は、1937年(昭和12年)に再建されたものです。
左の建物は、江戸時代、紀州徳川家によって再建された「御影堂(みえどう)」です。

高野山は、平安時代以降、各時代の権力により、しっかり再建整備・維持管理が行われています。


和歌山県の紀伊山地の山深い場所にある、高野山の多くの堂塔は、それぞれみな素晴らしい建築物ですね。
周囲の豊かな大自然のパワーも取り込んでいるように感じてしまいます。

歴史や密教を知らなくても、その大きなパワーに圧倒されますね。
これからも、未来永劫、日本の宝であり続けることでしょう。


◇高野山パワー

「高野山 東京別院」の元の建物は、名称は不明ですが、江戸時代の初期に「高野山」の江戸在番所として江戸の浅草に置かれていたそうです。
おそらく、1603年の江戸幕府の開府により、政治の中心である江戸にも拠点を置こうとしたのではないでしょうか。

その後、1665年、江戸幕府により、旧東海道のすぐ近くである江戸のこの高輪の地に移され、「高野山江戸在番所 高野寺」となったそうです。
1702年(赤穂浪士討ち入りの前年)に焼失しますが、翌年には再建されます。
そして、1927年(昭和2年)に「高野山 東京別院」という名称になったそうです。
現在の本堂は1988年(昭和63年)に再建された建物です。

* * *

「高野山 東京別院」は、和歌山の高野山のような山の中の神秘的な雰囲気ではありません。
近代建築のビルや、アスファルト舗装の道路で埋め尽くされた、大都会の真ん中に建っています。
本堂の前には、自動車も駐車されています。
周囲を見渡すと、高層マンションが建ち始めています。
本堂も、古式のお寺の姿ではあっても、なにか近代建築物のような姿にも見えてきます。

そして、驚くべきことは、この東京別院の敷地の地下には、大きな変電所があるのです。
実は、東京のような都市化の進んだ街では、地下に大きな変電施設があることは、めずらしくありません。
ですが、聖地の下とは驚きです。
でも、空海(弘法大師)も大実業家でしたから、きっと今 生きていたら、同じことをしたでしょうね。

東京の都会のど真ん中であれば、本堂や周辺環境がこうした姿であることは、そこに暮らす現代人には、むしろ最善のことだとも思います。
今の時代に、その土地に溶け込む、「高野山」の懐(ふところ)の大きさではなかろうかとも感じます。
これも「阿吽の呼吸」かもしれません。

和歌山の広大な聖域「高野山」も、平安時代以降の各時代を、それぞれに、すべて包み込んでいるようにも感じますが、東京別院も、壮大で懐(ふところ)広い、現代の「高野山パワー」を感じさせるお寺です。

整備工事が終了したら、もう一度、「どっこいしょ」と言いながら坂道を登って、東京別院に足を運んでみたいと思っています。

* * *

今回のコラムは、このあたりで「吽(うん)」としたいと思います。

ところで、最近はすっかり「〇〇聖(ひじり)」という名称を耳にしなくなった気がします。
「高野聖(こうやひじり)」という よく知られた名称も、ほとんど目や耳にしなくなりました。

この「高輪」の地は、「高野山」だけでなく、「高野聖」とも深いつながりがあるかもしれません。
そのあたりのことは、次回のコラムで書きたいと思います。

コラム「聖なる地(4)聖なる道」につづく


2019.12.21 jiho
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