「映像&史跡 fun」は、映像・テレビ番組・史跡・旅・動画撮影のヒントなどをご紹介するコラムです。


戻ってこい!

【概要】成人の日。桃田賢斗。


先般の「成人の日」に、コラム「みゆきの道(10)The 浜町・後編」を掲載しましたが、思わぬ反響で、少し驚いているところです。

本コラムは、読者が、小学生から80歳代までおられますので、さまざまな内容と表現でコラムを書くのですが、「成人の日」だったため、新成人を意識して、少しだけ「おせっかい」のような内容を書きました。

近年の若い世代は、両親や親戚、学校の先生、バイト先くらいしか、大人と接することがないと聞いています。
部活やスポーツ、ダンスや音楽など、世代を越えた大人と接する機会のある若者たちでさえ、ごく一部の大人の話ししか聞くことができないようです。
未成年相手なら、この程度の話しでいいだろうという大人が多いのも事実です。

ですが、近年、社会の中に、「おせっかい」ビジネスが、少しずつ増えてきているようです。
「何もしないのに、近くに立っているだけ」という不思議なビジネスも、先般、NHKテレビで見ました。

昭和の時代は、辟易するような「おせっかい」ビジネスが、たくさんありましたね。
でも、そのおかげで、幸せを手にできた大人も多かったはず…。
今の「ボランティア」とも、少し違う気がします。

今の若い世代が、「おせっかい」を本当に求めているのか、求めていないのか、私にはわかりません。
ただ、「ボランティア精神」は、かつての昭和生まれの世代よりも、確実に多いと感じます。
昔からそうであったように、他人(ひと)を応援したい、他人に応援してもらいたい、という意識が、人から なくなってしまったわけではないと思います。

先般のコラムで何となく書いた、新成人たち若者世代へのメッセージが、ここまで響くとは思ってもいませんでした。
いかに、中高年世代の大人と話しをしていない若者世代が増えたのかと、驚いた次第です。

たしかに、「近くの大人に相談していれば失敗しなかったのに…」と感じることが増えてきたように思います。
冒険・挑戦と、無謀とは、まったく別のものです。

* * *

ネットの「はてなブログ」や「アメーバブログ」を通じて読んでいただいている方、それ以外で読んでいただいている方…、多くの感想をありがとうございました。

本コラムは、政治や経済、音楽の話しをあえて避け、歴史や史跡、テレビ番組や映像に特化したコラムではありますが、今後、今回のような各世代向けの「おせっかい」も、何となく書いていくことになるかもしれません。

後で、そのコラムの、その部分だけを載せておきます。
本来は、料亭の世代や、ベテランの芝居ファン、春日八郎の歌を聴いていた昭和生まれの世代に向けた文章だったのですが…。
世の中、何が起こるか わかりません。


◇戻ってこい 賢斗!

「世の中、何が起こるか わからない」といえば、つい先日、今年の東京オリンピックで金メダル確実かといわれている、バドミントンの桃田賢斗(ももた けんと)選手が、大きな交通事故にあってしまいました。

負傷の度合いは、まだよくわかりませんが、報道によると、桃田選手は事故直後に、コーチにこう聞いたそうです。
「僕は、まだバドミントンができますか」。

私には、選手としてのダメージについては、よくわかりません。
私は、桃田選手について、「人は、やり直せば、ここまで戻ってこれるのか」と実感させてくれた人物です。
過去現在、スポーツ選手がたくさんいた中で、ここまでの選手は稀です。
ほとんどは、戻ってこれません。
正直いいまして、ここまで強くなって戻って来るとは、思ってもいませんでした。

「あの日、あの場所に戻れたら…」は、スポーツ選手にはありません。

あなたの戦う場所は、病院のベッドではありません。
その日、その場所こそが、あなたの「戦う場所」です。
あなたこそが、東京五輪の主役だぞ!
もう一度、戻ってこい、ケント!

* * *

もうすぐ、25年前に「阪神淡路大震災」が起こった、1月17日がやってきます。
「あの日、あの場所に戻れたら…」は、誰にも起こります。

令和の今日の日をむかえることができなかった、数えきれないほどの人々の分も、今をしっかり生きることが、残された人の「つとめ」、「戦い」なのかもしれませんね。


◇その日

コラム「みゆきの道(10)The 浜町・後編」の中で書きました、前述の、新成人への文章の部分を、下の写真の下に、もう一度、掲載させていただきます。

「成人の日」は、大人が、都合や、政治的な意味でつくったものかもしれません。
お祝いや区切りの意味は、後付けでしかないかもしれません。

「成人になる日」は、人によって、その日が違うもの。
あなたの 「その日」…「成人の日」は、自分でつくるものです。

新成人たちそれぞれの「その日」を待っています!


(コラム「みゆきの道(10)」の一部をそのまま抜粋)

◇玄冶店の濱田家

今 この浜町の明治座の近くにある老舗料亭「濱田家(はまだや)」さんは、前述の三田政吉の父親である五三郎が、大正元年に創業したものです。

この料亭がある地名を、江戸時代は、「玄冶店(げんやだな)」といいました。

有名な歌舞伎の演目「与話情浮名横櫛(よわなさけ うきなの よこぐし)」の中に出てくる、 劇中の「源氏店」のお富の家とは、この「玄冶店(げんやだな)」の家のことです。
昔の恋人の お富に再会した、与三郎の台詞「いやさ~、お富、久しぶりだ~な~」は、昭和生まれの方なら、子供の頃にものまねをしたものですね。
おじいちゃんやお父さんに聞いてみてください。
たいていの人は、上手に台詞を言ってくれると思いますよ。

与三郎:御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、 いやさ、これ、お富、久しぶりだ~な~。
お富:そういうお前は…。
与三郎:与三郎だ。
お富:えっ。
与三郎:お主(のし)、おれを見忘れたか。
お富:えええ。
与三郎:しがねぇ恋の情けが仇(あだ)。命の綱の切れたのを どう取りとめてか 木更津から…。

ここまで語れる方も、少なくないかも…。
そのくらい有名な場面でしたね。
この与三郎やお富の役は、歴史的な名優たちが、みな演じています。

* * *

昭和から平成まで活躍した、歌手の春日八郎さんの大ヒット曲「お富さん」のほうで知っている方も多いと思います。
歌詞の一部、「死んだはずだよ、お富さん。生きていたとはお釈迦様でも、知らぬ仏の、お富さん。え~さお~、玄冶店(げんやだな)」で、「玄冶店(げんやだな)」を知った方も多かったと思います。

この曲の、なんとも ただよう「歌舞伎感」と「与三郎感」、それに「料亭感」…、今の作曲家には、こうした「江戸感」をつくるのはむずかしそうですね。
歌詞にある「見越しの松」なんて、今の都会では、よほど広い敷地の大豪邸でしか見られません。
むしろ地方の古いお屋敷のほうが、たくさん残っていますね。

歌詞に出てくる、「明鳥(暁烏 / あけがらす)」、「地獄雨」、「茶碗酒」…、昭和の時代を感じる用語で、今はほぼ死語になりましたが、なかなか想像力豊かな、粋な表現に感じます。
つくづく、人の音楽表現は、その時代のあり様を映すものだと感じますね。

* * *

老婆心(ろうばしん)ながら、本日の成人式で成人になる若い世代の方々にちょっとだけ…。
新しくビジネスを始めたり、重要な交渉をする際に、こうした古い言葉表現を知っておくと、スムーズにことが運んだりすることが現実に多かったりします。
「見越しの松」は、はじめての名刺交換の際の「上句(かみのく)」だったりすることもあります。
しっかり門構えやビルの外を見てから、門戸を叩きましょうね。

これから相手にするのは、同世代ばかりではありません。
交渉事や挨拶に困ったら、昭和時代の言葉表現を探してみるのもいいと思いますよ。
「昭和」は、ある意味、戦いの時代でしたから、社会の先輩たちは、「百戦錬磨(ひゃくせんれんま)」の強者たちです。
真っ向勝負は、チカラをつけてから…。
「海千山千(うみせんやません)」なんて、先輩たちに言ってはいけませんよ。
「矍鑠(かくしゃく)として…」という言葉表現も、中年層でさえ、その使い方に細心の注意を払いますので、平均年齢がますます高くなってきた今の時代、くれぐれも気をつけて…。
伝わる方には、しっかりあなた自身のことが、最初の数分で伝わりますよ。

人が、社会で認められ、その存在を確かな者として認識してくれるのは、「成人の日」からではありません。
その日は、あなた自身がつくるのです。

お父さんやお母さんに聞きにくいのでしたら、「じぃじ」や「ばぁば」に尋ねてみてください。
いい応えと、おこづかいを、返してくれるかも…。
失敗を防ぐ…、人生経験のときを短縮する…、いろいろな「歴史」は、人生にも役立ちますよ。

「おせっかい」はこのくらいにして、さて、この「お富さん」…、ネットで「お富さん」と検索すれば、曲を聴けると思います。

そんな、老舗料亭の「玄冶店(げんやだな)濱田家」さんです。
そんなって、どんな?

「濱田家」のサイト では、歴史なども紹介しています。

* * *

もともと、この「玄冶店(げんやだな)」とは、徳川家の御典医の岡本玄冶が、三代将軍 家光を病気から回復させ、その功績で、この地を拝領します。
そして、この地に庶民向けの借家をたくさん建て、住まわせたそうです。
その名称が「玄冶店(げんやだな)」なのです。
いってみれば、「玄冶さんが経営するアパート」のような意味です。

江戸時代の浮世絵師の歌川国芳(うたがわ くによし)も、この玄冶店で暮らしていたようです。
玄冶さん…、なかなかのお医者さま・実業家でしたね。

* * *

この料亭「濱田家」さんのすぐ近くには、前回コラムで書きました吉原に移転する前の人形町遊廓の「大門通り」があり、「濱田家」という花街芸者の置屋(おきや)が明治の末まであったそうで、明治時代末に廃業となります。

三田政吉の父、五三郎は、大正元年、この人形町に深いつながりと歴史がある「濱田家」という屋号を譲り受け、修行した日本橋の料亭から独立営業を始めたそうです。

歴史が消えることなく、伝えられていくとは、こうしたものなのですね。
三田一族は、江戸の料亭の味だけでなく、「玄冶店(げんやだな)」と、置屋だった「濱田家」の名前、それと「明治座」をしっかり今に残してくれました。
人形町にとって、三田氏は、有馬家や細川家に匹敵する貢献度かと思います。

昭和の時代、この料亭でも、春日八郎さんの「お富さん」を相当に歌っていたでしょうね…。
みんなで、「玄冶店(げんやだな)」の部分を大合唱していたのかも…。

コラム「みゆきの道(10)The 浜町・後編」



2020.1.14 jiho
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