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麒麟(4)土岐のおいとま・蝶が帰る場所

【概要】NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。帰蝶(濃姫)の帰る場所。美濃国での、斎藤道三と土岐氏の争い。下克上への迷い。本木雅弘さんと高橋克典さんの存在感。


前回コラム「麒麟(3)美濃国」では、武士のこと、源平のこと、土岐氏の誕生のこと、水色の桔梗紋のことなどを書きました。

その中で、源氏と平氏の誕生と成長のことを書きましたが、あまりにも登場人物が多く、かなり複雑な内容で、全体像がよくわからないというご意見を頂戴しましたので、急きょ、ビッグネームの武将名だけにしぼり、簡単な内容でまとめてみました。

前回コラムにも追加掲載しましたが、今回のコラムでも同じものを、まずは以下に、ご紹介させていただきます。
794年、桓武天皇が、京都に都を移してから、戦国時代までのお話しです。
明智光秀につなげる話しですので、美濃国が中心にはなります。


〔家系についてのまとめ〕

天皇家、源氏、平氏、藤原氏の四つの家系の全体像を網羅した家系図があればいいのですが、なかなか見つけられません。
つくるのも、容易ではありません。

細かい部分を無視して、ごく簡単に重要な点だけを下記にまとめてみました。

* * *

桓武天皇の孫の代で、「嵯峨源氏(嵯峨天皇の子)」と「桓武平氏(葛原親王の子)」が、枝分かれします。
桓武平氏の子孫から、平将門や平清盛などが生まれます。

天皇家の数代の後、清和天皇の孫の代に源経基「清和源氏」、宇多天皇の孫の代に「宇多源氏」、村上天皇の孫の代に「村上源氏」が生まれ、枝分かれしていきます。
同じように、多くの「○○源氏」が枝分かれしていきます。

桓武天皇が、794年に京都に都を移し、天皇家周辺の家系がどんどん広がります。
源氏や平氏とは、みな天皇にはなれない者たちで、皇族の中から皇室を離れてその臣下になっていきます。
ですから、家系をさかのぼると、みな、各天皇にたどりつきます。

天皇家を中心に、源氏と平氏の家系がその横にあり、その三つの家系に、政治家の藤原氏の一族が深く絡んでくるという構図です。
母親が藤原摂関家ということも少なくありません。

* * *

平氏や藤原氏のことは割愛し、源氏の中心となる「清和源氏」のことだけを書きます。

清和源氏の祖、源経基の子からは、「尾張源氏」や「信濃源氏」が枝分かれします。後に「三河源氏」も枝分かれします。
源経基の孫からは、源頼信「河内源氏」、源頼光「摂津源氏(多田源氏)」が枝分かれします。

河内源氏からは、後に、「甲斐源氏」や「常陸源氏」、北関東勢の「上野(こうずけ)源氏〔後に新田義貞を生む〕」や「下野(しもつけ)源氏〔後に足利尊氏や足利将軍家を生む〕」が枝分かれし、河内源氏本流の「八幡太郎義家」の子孫から、木曽義仲や、源頼朝、源義経らの鎌倉勢が生まれてきます。

平安時代後期の平氏の時代を経て、河内源氏本流による鎌倉時代、後醍醐天皇の時代を経て、河内源氏の下野源氏の室町時代がやって来るのです。
そして室町時代後期、「〇〇源氏」から枝分かれしていった膨大な数の有名武家と、下克上で成り上がってきた武家が、入り乱れて戦う戦国時代に突入するのです。

* * *

こうした歴史の中で、源経基の孫の源頼光「摂津源氏」から枝分かれするのが、頼光の孫の国房「美濃源氏」です。

国房から五代後の光衡(みつひら)は「土岐(とき)という名に改名し、「土岐光衡」(土岐氏の祖)となります。
摂津源氏の流れの美濃源氏の土岐光衡は、鎌倉の河内源氏の頼朝を助けて、鎌倉幕府の有力御家人となるのです。

土岐氏は室町時代前期の頃まで、今の岐阜県南部(美濃)、愛知県(尾張)、三重県北部(伊勢)を勢力範囲とする一大大名家となります。

河内源氏勢の鎌倉幕府や、執権の北条氏から、政治の実権は、北関東の河内源氏である足利将軍家に移り、足利に近い源氏勢力が勢力を増していきます。
その中に、斯波(しば)氏がおり、越前(福井県東部)などの北陸や、三河や信濃、そして尾張は斯波氏の勢力範囲となっていきます。
斯波氏も、もともと河内源氏の新田の一族で、今の岩手県から始まりますが、鎌倉幕府の御家人でもありました。
鎌倉幕府から足利幕府へ、上手にシフトした斯波氏は、室町時代に大勢力となっていくのです。

シフトできなかった土岐氏は、濃尾平野でその勢力が衰え、美濃国あたりだけになっていくのです。
こうした、シフトできた武家と、上手にできなかった武家のチカラ関係が、後に「応仁の乱」の背景にもなっていきます。

* * *

チカラのシフトは、「下克上」というかたちになってもあらわれます。
斯波氏の家臣には朝倉氏や織田氏、土岐氏の家臣には斎藤氏、彼らが登場し下克上をおこし、その主君の座を奪い取るのです。
そんなことが日本中でおこるのです。

そして、土岐氏や斎藤氏の家臣であった明智光秀が、織田氏の家臣となり、その後、信長を討つのです。
ある意味、「本能寺の変」は、源平合戦の再来か、源氏の復権です。

* * *

武士や武家とは、現代からは想像できないくらいの、あまりにも過酷な環境の中で生きていたのですね。
本来、武士とは精神性の生きものではありません。
あくまで、戦って生き残ることが、生きる目的だったのかもしれません。
ただ、精神性がなければ、武士どうしが団結できないのも事実です。

ひとまず、まとめは以上です。
なんとなく、武士の歴史をイメージできたでしょうか。
歴史はもともと、学問ではなく、長編ドラマそのものなのです。


◇鎌倉時代

今回のコラムは、前述の美濃国の土岐氏が、鎌倉時代から室町時代にかけて、どのようになっていったかを、もう少し詳しく書いていきます。

前回コラム「麒麟(3)水色桔梗」の中では次のように書きました。
「土岐氏の祖である光衡(みつひら)から、光行、光定、頼貞と土岐家当主が続き、頼貞の九男である長山頼基の子の頼重が、土岐氏の一族の明智頼兼の婿養子となり、土岐明智氏の祖となります。
明智光秀は、頼重からおそらく八代後に、土岐明智氏の家に生まれた子孫である可能性が高いといわれています。」

これから書く話しの中に、突然、明智光秀が登場してきます。
光秀の幼少期がはっきりしていませんので、突然の登場となります。

* * *

1100年代終盤、ご存じのように、源頼朝や義経を中心とした源氏の勢力が、平家を打倒して、鎌倉幕府ができあがりました。

前述のとおり、源氏の勢力は、細かく分けると、さまざまな派閥があり、一族がいます。
土岐氏は、清和源氏の流れの摂津源氏の支流、「美濃源氏」という由緒ある武家です。

当時、鎌倉幕府の武士(御家人)たちは、関東から日本全国に勢力や領地を拡大していくのです。
そして、各地に定着していきました。
九州の島津家のことは、以前のコラムで書きましたね。
日本各地の有名な武家は、元をたどると、関東だったということはたくさんあります。
これは、鎌倉幕府が関東の地にあったからです。

土岐氏は、今の千葉県の一部や茨城県にも勢力を持っていたようですが、私はよく知りません。
ですが、これは、後に重要なことになります。

土岐氏は、美濃国(岐阜県南部)を中心に、「桔梗一揆(ききょういっき)」という武士団を形成し、少しずつ勢力を拡大させていきます。
ここで「一揆」の説明は割愛しますが、強力な武装集団という意味です。


◇室町時代へ

1333年、鎌倉幕府は、河内源氏の足利尊氏らに倒幕され、後醍醐天皇による「建武の新政」が数年間行われ、1336年に尊氏らによって「室町幕府」が開府します。

実は、鎌倉時代の後半は、源頼朝からの河内源氏ではなく、北条氏という、源氏とは関係のない、元は何の由緒もない一族が、鎌倉幕府を執権として牛耳っていました。
このあたりのことは割愛します。
北条義時は、再来年の大河ドラマの主人公のようですね。

室町幕府とは、もともとの由緒ある河内源氏の勢力が、北条氏や朝廷による政権を挟んで、政権を取り戻したというものです。

* * *

前回コラムでも書きましたが、実は、土岐氏は、源頼朝の時期からの鎌倉幕府の中枢の有力御家人でした。
ですが、朝廷側と結んで、鎌倉幕府の倒幕を画策し始めます。ようするに北条氏打倒です。
鎌倉時代終盤には、土岐氏から勇猛な武将が次々登場し、勢力範囲が拡大していきますが、その話は割愛します。

そして、摂津源氏の流れの美濃源氏である土岐氏は、河内源氏の足利尊氏を支えて、北条氏の鎌倉幕府を武力で倒すのです。
その後、足利将軍による室町幕府の時代が始まります。
土岐氏は、最大の勢力を誇った室町時代初期に、今の岐阜県南部、愛知県、三重県北部という広大な範囲を勢力としていました。

* * *

室町幕府の初代将軍である足利尊氏は、戦争は強いのですが、いまいち強大な政治力を発揮できません。
天皇がふたり同時に存在するという「南北朝時代」が生まれてしまいます。
その詳細は割愛します。

その後、強力な三代将軍 足利義満(あしかが よしみつ)が登場し、南北朝時代を終わらせます。
南朝を滅ぼすのです。

そして、義満の権力強大化の矛先は、室町幕府をつくった源氏勢力の有力な武家にむかいます。
将軍家を絶対的なものにするため、大内氏や今川氏など、有力武家のチカラを削ぎ始めるのです。
土岐氏もその対象となっていきます。

* * *

義満は、土岐氏勢力をバラバラにし始めます。
あまり細かく書くと長くなりますので、簡単に義満の手法を書きます。

美濃・伊勢・尾張などを土岐氏の兄弟バラバラに相続させ、不満でも言おうものなら没収です。
イコール、武力で叩きつぶすということです。
土岐氏は、尾張を取り上げられ、さらに多くの派閥に分かれていきます。
それぞれの地域で、チカラを持つ土着の勢力が加わって、一族内の競争が始まります。


◇戦国時代へ

絶大なチカラの義満の死後、足利将軍家のチカラは少しずつ弱体化し、各地の有力武将たちがグループを形成し、京都を中心にした「応仁の乱」という長い戦争が始まります。
「応仁の乱」のことは、ここでは割愛しますが、日本中の武士が、東軍と西軍に分かれて大戦争が起こるのです。

ざっと、参加した武家の名を書きます。
足利将軍家、細川氏、山名氏、大内氏、斯波氏、京極氏、畠山氏、伊勢氏、吉良氏、赤松氏、一色氏、六角氏、北畠氏、今川氏、島津氏、小笠原氏、大友氏、小早川氏、仁木氏、そして土岐氏、などです。
各武家のほとんどは、一族内で東西に分かれます。
土岐氏の主力は西軍側です。
西軍の瓦解で戦争は終了しますが、結局、勝敗はつきませんでした。

* * *

日本中が、国をまとめる権力者のいない、バラバラな状況になり、武家どうし、一族内など、争いが止まることはありません。
こうした状況の中で、下克上で、低い身分、あるいは没落した一族から、成り上がってくる武将も続出します。

濃尾平野周辺地域では、斯波氏の家臣の朝倉氏と織田氏、土岐氏の家臣の斎藤氏、京極氏の家臣の浅井氏、もちろん家康、秀吉、光秀らも そうした者たちです。
六角氏は、宇多源氏の流れの近江源氏の武家ですので、下克上とは少し違うのかもしれません。
ですが、「裏切り」をしたことのない武将など、ひとりもいません。

平氏だの、源氏だの、藤原氏だのと、勝手に名乗っていましたが、本当のところ、みなどこの出なのか、よくわかりません。
その地域の権力者の座を、大きな武家から奪ったり、乗っ取ったり、下克上はもはや止まりません。
古くからの源氏がどうの、平氏がどうのという、神通力は、戦国時代は もはや通用しません。
とにかく、日本に一大権力者がいない、それぞれ強い者が その地域を牛耳るという、戦乱の世がやってきます。

* * *

ここまで、かなりザクっとでしたが、土岐氏を中心に、鎌倉時代から室町時代の武士の動向を書きました。
ですから、「武士」と、ひとクチで言っても、時代によって、登場する武家も、そのあり様も、かなり違ってきます。
ですが、共通するのは、武力で圧倒することです。

現代の今の日本…、武力に相当するものは何でしょうね…。

さあ、大河ドラマ「麒麟がくる」の第一回、第二回あたりまでの内容に、もうすぐというところまで、やってきました。

室町時代後期、かろうじて美濃国の守護大名として生き残ってきた土岐氏です。
土岐氏に有能な後継者の武将が登場してくれるのでしょうか。


◇下克上の準備

美濃国の守護大名として残っていた土岐氏の存在こそが、大河ドラマ「麒麟がくる」のプロローグともいえますね。

まずは、土岐氏をなき者にしようと画策し始めた、土岐氏の家臣たちがいました。
その中に、斎藤道三がいました。

斎藤道三の行動は、平安時代から鎌倉時代に、名もない北条氏が源頼朝に近づき、頼朝を利用し、いずれ頼朝からの源氏の血筋を消滅させたのと、よく似ています。
この時の北条氏の立場が、斎藤道三という人物です。

* * *

明智光秀には、たくさんの主君が入れ替わり登場します。
土岐氏、斎藤道三、朝倉義景、足利将軍家、そして織田信長です。

信長には主君はいません。父親や足利将軍は別の意味ですね。
秀吉には信長だけです。
家康には、しいていえば今川義元でしょうか。
光秀の主君の多さには驚きますね。

* * *

ここから、濃尾平野や周辺地域(岐阜県・愛知県・滋賀県・福井県)の戦国乱世のことを書きますが、この話しは、いわゆる織田・豊臣・徳川という「三英傑」の大きな戦国乱世の争いの歴史の、縮小版のようなものです。

新興の成り上がりの武家勢力は、鎌倉時代からの名門武家の内部抗争に乗じて、まんまと名門武家を滅ぼし、国を奪おうと画策します。
美濃国をめぐっては、「下克上(げこくじょう)」を絵に描いたような話しが次々に登場します。

武家勢力どうしの連合体も、次々に誕生してきますし、裏切りも続発します。
もはや美濃国周辺では、「武田氏 対 上杉氏」、「毛利氏 対 尼子氏」のような、大武家どうしの一騎討ちの時代が終わろうとしています。

武田軍のような連合家臣団の組織ともちがい、その状況、その戦局にあわせて、連合が変化したりします。
ですから、明日は、だれが味方で、だれが敵なのかも、よくわかりません。
連合や裏切りの連続でした。
ある意味、戦争スタイルの最先端をいっていたのが、この濃尾平野とその周辺地域だったのかもしれませんね。

* * *

とはいえ、戦乱のきっかけは、たいがい、武家の跡目相続に絡んだ内部抗争から始まり、それに乗じて、成り上がり者や、周辺他国の者が、入り込んでくるのです。
そんな中で、家臣どうしのライバル争いも勃発します。

下克上とは、したいと思って、すぐに始められるようなことではありません。
単独では、まず実現できません。
さまざまな長い準備期間を経て、その時をじっと待っていたり、同志や協力者を集めたり、火種を作ったり、きっかけをあえて作ったりするのです。


◇斎藤道三と、土岐氏の没落

美濃国(岐阜県南部)の土岐政房(まさふさ)は、長男の土岐頼武(よりたけ)ではなく、次男の頼芸(よりあき・よりよし?)に跡を継がせようと考え、室町時代の1517年に、両陣営のあいだで合戦がおきます。
土岐政房は、もともと次男の頼芸側で、正房の重臣の長井長弘も、頼芸側です。

* * *

昭和の時代の歴史教育やテレビドラマでは、斎藤道三(さいとう どうさん)は僧侶や油商人を経て、戦国武将に成り上がったというように表現されていましたが、今は研究が進み、僧侶や油商人の後、武士になったのは、道三の父である「松波庄五郎」ではないかとも言われています。
道三と庄五郎は同じ人物であるという 昔からの説ではなく、実は別人であり、父親なのではないかという説です。
光秀と同じく、道三の若い頃の素性も、よくわかってはいません。

本人なのか 父親なのかは別として、その油売りで大成功し、大店の油問屋をも 手中にした「松波庄五郎」なる人物は、次は武士になることをめざします。
持ち前の知略と、武芸の精進で、前述の頼芸側の長井長弘の家臣になることに成功し、ついには「西村勘九郎正利」という武家の名前を手に入れます。
松波(道三?)は、その後、長井長弘をも抹殺したのかもしれません。

* * *

さて、その両陣営の合戦では、頼武側が勝利し、頼芸は尾張(愛知県)に逃亡します。

翌年の1518年に、頼芸は巻き返し、再び合戦となり、今度は頼芸が勝利します。
頼武は、朝倉氏を頼って越前国(福井県東部)に敗走します。

この二度の戦いで、頼芸を、その気にさせたのが、長井長弘や松波庄五郎(道三?)だといわれています。
ようするに、土岐氏を葬り去る準備段階です。

* * *

1519年、正房の死後、朝倉勢は美濃国に侵攻し、頼芸らの勢力を撃破、頼武を美濃国の守護にします。
前述の長井長弘は敗走します。

その後、1525年に、長井長弘は、頼武とともに挙兵し、近江(滋賀県北部)の浅井氏の支援を受け、頼武側を攻撃します。
頼武は、再び朝倉に支援を頼み、近江南部の六角氏もそれに加わり、まさに大勢力の対決の様相になっていきます。
岐阜県南部の抗争劇が、琵琶湖周辺や福井を巻き込んで、戦闘範囲が一見 拡大したようにも見えることになります。

そうした争いが続き、1530年に、頼武はまた越前に逃亡し、頼芸は一定の地位の座に返りざきます。
この頼武の越前逃亡を引き起こさせたのも、松波庄五郎(道三?)です。

* * *

頼武は、朝倉氏と六角氏の支援を得て、再び頼芸らと合戦を重ねますが、その後病死します。
頼芸の相手は、今度は頼武の後を継いだ甥の「土岐頼純(よりずみ)」となります。
朝倉氏と六角氏は、頼純につきます。

* * *

1536年、頼芸は美濃国の守護となります。
その後、頼芸側は六角氏を懐柔し、六角氏とだけ和睦し、両陣営のバランスが崩れます。
六角氏は、頼純を見限って、頼芸側に回ったということ(素振り?)です。

六角氏が斎藤道三と、何かを企んでいた可能性もある気がします。

1539年、頼純は、しぶしぶ頼芸と和議を結ぶことになります。
実は、この和議の裏で、道三は頼純側の城を次々に落としていき、戦力を奪っていくのです。
頼純は、朝倉氏のいる越前に逃亡します。

いつの時代もそうですが、和議とは名ばかりということが常ですね。
裏に何かがあります。
歴史の中では、和議は、次の戦いの準備やきっかけ作りということも少なくありません。

斎藤道三にとっては、ここはまだ、下克上の通過点です。
ここから、道三の土岐氏つぶしが、本格的に始まります。

* * *

1541年、道三は、美濃国の守護となっていた頼芸の弟の頼満を毒殺し、道三と頼芸の対立状況をつくり出します。
ずっと頼芸側にいた道三でしたが、次の狙いは、土岐頼芸の排除でした。
そして1542年、頼芸は、道三によって尾張国に追放されてしまいます。

頼芸は織田信秀の支援を受け、頼純は朝倉孝景の支援を受け、なんと、対 道三という協力体制をつくります。
それにより、ひとまず頼芸は美濃国の守護に復帰するのです。。

* * *

1544年、頼純は、朝倉孝景と織田信秀の支援により、越前から美濃国に戻ろうとします。
織田信秀は、道三のいる稲葉山城を攻撃しますが、なんとここで大敗します。
これが大河ドラマ「麒麟がくる」の第二回の戦闘シーンですね。
頼純は、朝倉勢とともに越前に戻ります。

この時点ではすでに、朝倉氏は主君の斯波氏を、下克上で滅ぼし、越前の守護になっています。
おそらく朝倉孝景は、兵力数で圧倒的に優位な織田軍に、道三が大勝した状況を見て、何か考えを変えたのかもしれません。

1546年、頼純・頼芸・道三による話し合いの後、ある合意がされます。
実は、この時に、なんと朝倉孝景は、斎藤道三と和議を結び、手を組むのです。

この和議の条件が、頼芸の守護職退位と、頼純の守護職復帰なのです。
かつて頼芸側に回った六角氏も、この時に頼芸を説得したようですが、頼芸には、もはや味方してくれる勢力など、なかったのでしょう。
その合意に、はむかうことなど できなかったと思います。
土岐頼芸は、この後、日本各地の源氏の武将を頼って動き回り、財力も失い、最後は甲斐の武田家に拾われていました。
そして哀れな敗者の戦国武将は、最後に美濃国に戻してもらって亡くなります。

* * *

さて、朝倉孝景のことですから、道三が、ゆくゆくは土岐氏を滅ぼすことを理解したのだと思います。
彼の知略と武力を認識したのだと思います。
孝景は、道三に、自分と同じ 下克上の匂いを感じたのかもしれません。
当面、敵に回す相手ではないと思ったのかもしれませんね。

ひょっとしたら、この時点で、斎藤・朝倉・六角は、土岐氏滅亡で合意がなされていたのかもしれませんね。
知らぬは、土岐氏と織田氏だけだったのかもしれません。

* * *

道三のすごいところは、この時に、道三の娘「帰蝶」を頼純に嫁がせることを決めるのです。
「帰蝶」は娘でありながら、その大役をしっかり果たすと、道三は考えたのかもしれません。
嫁ぐとはいえ、今で言えば、まだ12歳程度の年齢です。

「帰蝶」は後に、織田信長の妻となりますが、「あのマムシの娘」と呼ばれますね。
「マムシ」とは、誰もが知る、道三のあだ名です。
ただの普通の小娘でしたら、こう呼ばれることはなかっただろうと想像します。
マムシの娘は、やっぱりマムシだったのかもしれませんね。

* * *

織田信長が幼少期である「吉法師」の頃の逸話に、次のような話しがあります。

庭先で小さなへびを捕まえた吉法師が、家臣に「これが勇敢ということか」と尋ねると、家臣は「小さなへびなど、恐れるに足りません」と返します。
そこで吉法師が言い返します。
「へびの毒は大小ではない。小さいからといって恐れないというのなら、敵の城主が幼少だと、その城主をあなどるということか」と。

この有名な逸話は、実は幼少期の吉法師の頃の言葉ではなく、帰蝶と結婚してからの信長の言葉で、あえて幼少期の話しだということにしてしまったのではないかとも、勘ぐってしまいます。

このヘビとは、マムシの娘である「帰蝶」のことなのかもしれませんね。

* * *

話しを戻します。

そして、1547年、「麒麟がくる」の第二回に出てきました、道三による「頼純の毒殺」はここで起きます。
猛毒を持つ「マムシ」に噛まれたら、まず助かりませんね。

実際は、頼純の急死としか、歴史には残っていません。
ですが、道三による暗殺である可能性は極めて高いものです。

鎌倉時代からの大勢力「美濃国の土岐氏」はここに滅びます。

かつての源氏の名門、斯波氏も、土岐氏も、この地域から消滅します。
実は、土岐氏は別系統が復活しますが、そのことは、おいおい書きます。


◇下克上への迷い

「麒麟がくる」の第二回では、織田氏と組んで、土岐氏の家臣の斎藤道三を攻撃した土岐頼純という「裏切り者」を、ちゅうちょなく殺害した道三と、土岐氏を裏切って織田方についた明智城主の明智氏という「裏切り者」を殺害できなかった光秀が、対比するように描かれていましたね。

大河ドラマの劇中で、光秀は、「勝っても、それほど めでたい気分ではない…、裏切り者の首をとることを ためらった自分がおろかだ…」という意味のことを言います。
堺正章さんが演じるお医者さまは、光秀に、「よいではありませんか。それで、お勝ちになった。」と声をかけます。
門脇麦さんが演じる お医者さまの助手の「駒(こま)」は、お医者さまについて部屋を出ていく時に、振りかえってこう言います。
「おめでとう ございます」。

これは、どういう意味の「おめでとう」なのか…。
相当に意味深です。
光秀にとっての「本能寺の変」を考えさせられる、台詞とシーンのように感じますね。

もし、このお医者さま…、「本能寺の変」の直後にその場にいたら、光秀に何と言うのでしょうね…。

* * *

「裏切り」を、武士として、どのように受け止めたらいいのか、まだまだ悩む光秀なのかもしれませんね。
光秀が、斎藤道三のような「裏切りの権化」の域に達するのは、まだまだ先のようですが、道三から、たくさんの影響を受けていったことは確かだろうと想像します。


◇伊右衛門とイクメン

それにしても、この二回分の大河ドラマでは、斎藤道三を演じる本木雅弘さんが、主役以上の存在感ですね。
あのヒゲもいいですね。
本木道三が、お茶を入れるシーンは少し笑えました。
まさか、「伊右衛門」では…。

それにしても、土岐頼純を、よりによって お茶で毒殺するとは…。
たしかに道三は、お茶や茶器集めが趣味でしたが、この大河の演出は、思い切り狙っていましたね。

道三の正妻の「小見(おみ)の方」の役を、サントリーのテレビCMのように、宮沢りえさんが演じたら、もっと笑えますが、それは少しやりすぎかもしれませんね。
とはいえ「麒麟」があるなら、それもありかと…。

道三の見せ場は、まだまだ たくさんありますから、楽しみにしたいと思います。

* * *

あわせて、高橋克典さんが演じる織田信秀の、織田家にあるまじき台詞、「城へ帰って、寝るか~」も笑えましたね。
高橋さんの子煩悩な「イクメン」ぶりを想像してしまいました。
世の子育て中のパパたち…、早く家に帰ってあげてください。

個人的には、本木さんや高橋さんの、この手の演出や台詞はあっていいと思っています。
「イクメン」や「育休」を許容できるような心の余裕は、いつも持ちたいものですね。


◇蝶が帰る場所

さて、斎藤道三の正妻である「小見(おみ)の方」の父親は、明智光継(みつつぐ)といいます。
実は、光秀は、光継の息子であるという説があります。
それなら、光秀が教養が高く、道三の家臣になったことも うなずけます。

織田信長の妻(正室?)となる「帰蝶(きちょう / 後の濃姫)」は、道三と「小見(おみ)の方」のあいだの子です。
そうなると、帰蝶は、光秀の叔母であった可能性があります。

「麒麟がくる」でも、光秀と帰蝶は、昔からの旧知の仲であるように描かれていますね。
劇中では、どのような関係性に持っていくのかわかりませんが、この「麒麟がくる」では、「帰蝶」と、お医者さまの助手「駒」は、かなり重要な女性になりそうな気がします。

駒がいなければ、この世に麒麟はやって来ないような気もします。
今回の大河ドラマは、光秀にというよりも、ドラマにとって、女性がキーになる役割を果たしそうですね。
すでにもう…。

* * *

実は、「帰蝶(濃姫)」は、「本能寺の変」の際に、信長とともに本能寺にいたという確証は、まったくありません。
ですが、大河ドラマの中の「本能寺の変」で、本能寺のその時に、濃姫がいないなど、視聴者としては許せませんね。
これは、史実の正確さの問題ではなく、制作者の感性と、芸術性の問題、「皆さまのNHK」という問題です。

今回の大河ドラマでも、帰蝶は本能寺で登場するのだろうと、勝手に思ってはいますが、さて、どうなるのでしょうか?

* * *

実際の帰蝶は、ある段階で、消息がはっきりつかめなくなります。
信長の女性関係は、非常に謎です。
信長の長男である信忠の母親は、何人か候補者はいますが、断定できていません。
帰蝶でないことは、確かなようです。

帰蝶は、道三の死後に、道三の長男の斉藤義龍の元に戻ったとか、ある段階で病死したとか、本能寺の変の際は安土城にいたとか、かなり後の時代まで生きていたとか…、実はさっぱりわかっていません。
ですが、「本能寺の変」の時に帰蝶も本能寺にいたとは、考えにくい気がします。

* * *

断片的な史実では、尾張の織田氏の人間というよりも、美濃の斉藤氏の人間であるということを強く思っていたと印象づけられるような話しも残っています。
個人的には、はたして帰蝶が、信長に寄り添うような女性であっただろうかとも感じています。

帰蝶の幾度かの結婚は、当然のことながら、斎藤道三の政略結婚の道具として利用されています。
帰蝶も、織田氏との婚礼は、そのつもりであったはずです。
それは織田氏側からみても同様ですね。
斎藤家が思わぬ?展開となって、没落したので、織田氏からみたら、濃姫の存在はもう用済みになったとも考えられます。

* * *

斎藤家を継いだ斎藤義龍の実父は、土岐頼芸であるという説もあります。
織田信長が、長男の織田信忠の実父であるというのも、実は怪しいものです。
織田信長と妹のお市のあいだの子が、淀君であるという説もあります。
当時は、親戚どうしの結婚などたくさんあります。
この時代は、とにかく生き残りがかかっていますから、何でもありでしたね。
ちょっと恐ろしく感じてしまいます。

* * *

戦国時代は、女性の地位が、現代で想像している以上に高かったかもしれません。
当時は、男性以上にチカラのある「おんな城主」も幾人かいましたね。

幼少期から、下克上の中で育った「帰蝶」が、どんな女性だったのか、確かなことはわかりません。
現代に生きる女性像には、まったく当てはまらないタイプだったのかもしれませんね。
いったい、どんな「蝶」だったのでしょう…。

* * *

「麒麟がくる」では、川口春奈さんが「帰蝶」を演じておられます。
個人的には、この女優さんのことは、まったく知りません。
ですが、今年の12月頃には、女優としての顔つきが変わっていることでしょうね。
そんな気がします。
これまでの大河ドラマでも、皆さん そうでしたね。

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とはいえ、大河ドラマ「麒麟がくる」であれば、本能寺に帰蝶がいて、光秀の「水色桔梗」の軍旗を見て、どんな表情で、どんな台詞を言うのか、私は帰蝶に関しては、そこが最大の関心事です。
これまでの大河ドラマの「本能寺の変」であれば、帰蝶(濃姫)は、信長に寄り添うイメージですが、今回は、どのように描かれるのでしょう…。

劇中では、帰蝶が、人に知られない場所や安土城で、「本能寺の変」のことを知るでも、いいかもしれませんが、個人的には、帰蝶も本能寺で散ってほしいと思っています。

「帰蝶」が、どこに帰るのか…、楽しみにしています。

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今回の大河ドラマは、ドラマ性と歴史探求のバランスが、なかなかいいような気がしています。
私は、大河ドラマに限っては、ドラマ性だけでは、満足できません。

まだ二回分しか見ていませんが、歴史をふまえた、なかなかの構成力だと感じています。
最終回まで、しっかり維持してほしいと思います。

歴史知識がないと、少し理解しにくい場面や台詞があるかもしれませんが、歴史ファンとしては、「大河ドラマ」はこうであってほしいですね。

本コラムの「麒麟シリーズ」も、皆さまの参考になれば幸いです。


コラム「麒麟(5)」につづく。


2020.2.2 天乃 みそ汁
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