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麒麟(5)是々非々か、是々非々じゃないか

【概要】NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。まさかの家紋。斎藤義龍と明智光秀。是々非々か、是非に及ばずか。神泡か、神泡じゃないか。池端俊策さん。


前回コラム「麒麟(4)土岐のおいとま・蝶が帰る場所」では、美濃国の土岐氏の没落のこと、斎藤道三の下克上のこと、帰蝶(濃姫)のこと、などを書きました。

今回のコラムは、大河ドラマ「麒麟がくる」の第三回での衝撃シーンのお話しを書きます。


◇まさかの…

私は、大河ドラマ「麒麟がくる」の第三回を見ていて、思わず声をあげてしまった瞬間がありました。

それは、お医者さま「東庵」の助手の「駒(こま)」が、かつて火事にあった際、ある侍(さむらい)に助けられるシーンです。
幼少の頃の駒を抱きかかえる「侍(さむらい)」の後ろ姿が、映し出されたのです。

映像的には、分割式の残像を残すスローモーションと、さらに映像をあえて不鮮明にしてあるものでした。
その背中の着物には、おそらく家紋と思われる大きな紋様があったのです。
駒の顔のすぐ下に、大きくあったのです。

私は思わず…、「〇〇〇の家紋だ!まさか」と声を出してしまいました。

* * *

「麒麟がくる」の第一回にも、この侍は不鮮明な映像のかたちで登場しましたね。
大きな手を、私たち視聴者のほうに差し出します。

この段階で、歴史ファンの方々であれば、幾人かの武将をイメージされたと思います。
この侍は、「麒麟」をイメージさせるものでもありましたね。

第三回の、この侍の着物にある家紋…、不鮮明映像ではありますが、私は瞬間的に、あの家紋に見えました。
ということは、あの武将のことか…?

* * *

前々回のコラム「麒麟(3)水色桔梗」で、さまざまな家紋の話しを書きましたが、ちょうど、その話しの中でも、その家紋のことを少しだけ書きました。

第三回の放送内容は、「帰蝶」の存在がかなり重要な意味を持つ内容でしたが、それに合わせたように、あの家紋に見えました。
私が思わず声を上げたのは、「これで麒麟の謎解きが終わってしまった」と感じたからです。
それに、あの武将では、この物語の内容に合致しないはず…。

* * *

たまたま、私は、第三回の放送を録画していましたので、放送の後、さっそく その部分の映像を確認しました。
でも、私が思った、その家紋では、まったくありませんでした。

とはいえ、瞬間的には、不鮮明映像ではあっても、まるで、あの家紋に見えるような紋様だったのです。
「あの家紋のように見せるとは、NHKにやられたな」と思いましたが、違っていて、ほっと安心もしました。

私と同じように感じた歴史ファンは、相当たくさんいたと思います。
「安心してください。違ってますから…」(少し古いギャグ風…)

その家紋は、私には、まったく見たことのない家紋でした。
とはいえ、私には あの昆虫に見えました。

* * *

違ったことで、私は、今回の大河ドラマを見続けることができます。

冷静に考えれば、第三回で謎解きをするなど、どうかしています。
最終回まで、引っ張るに決まっています。
とはいえ、強者(つわもの)の歴史ファンなら、おおかた予想はしていると思いますが…。

私は個人的に、最終回まで見続けるには、ハードルがまだいくつかありますが、ひとまず今回は突破しました。
それにしても、NHKは、今回の大河ドラマの映像のことで、何かとドッキリさせてくれますね。


◇是々非々

歴史ファンとして、第三回の中で、ほかに興味深く感じたのは、明智光秀と斎藤義龍(よしたつ)の関係性です。
ずいぶんな親友のように描かれていますね。

これから、このドラマの中で、二人の心理や、立場の違いなどが、対比して描かれていくのだろうと思いますので、今のうちに、深い間柄にしておこうということなのかもしれません。

台詞を聞いてる限りでは、ベタベタの親友や同志という関係ではないように思います。
少なくとも、光秀は、「是々非々(ぜぜひひ)」の姿勢に見えましたね。

* * *

「本能寺の変」を描くドラマなどでは、本能寺の最後の時の、信長の台詞「是非(ぜひ)に及ばず」が、よく知られていますね。
それにも通じるような関係性を描こうとしているのかな、とも感じました。

たしかに、戦国時代に、勝って生き残っていった強い武将たちは、ある段階まで「是々非々」の姿勢でありながら、最後に「是非に及ばず」という人物が多かったような気がします。

「是」も「非」もしっかり理解していなければ、最期の瞬間に「是非に及ばず」は、クチになかなか出てこないかもしれません。
信長が、この言葉を、もし本当に本能寺で発していたなら、それは、光秀のこと、戦国時代のこと、武士の生き方のことなどを、しっかり理解し考えていたということなのかもしれませんね。
もちろん、この言葉は、「仕方がない」、「どうしようもない」という意味では、まったくないはずです。

とはいえ私は、この言葉は、後世の人間が、信長に言わせたかった、言ってほしかった言葉であろうとも思っています。

これまで、「本能寺の変」は、小説やテレビドラマでは、たいてい信長側の目線で描かれてきました。
光秀側から見る「本能寺の変」というのは、相当に違う景色であろうと思います。

「是」と「非」が、逆転しているのかもしれませんね。

* * *

さて、「麒麟がくる」第三回の、光秀と義龍が話しをするシーンで、義龍は、父である斎藤道三を散々 批判しますが、「是々非々」というよりも、「是非に及ばす」のような姿勢にも見えてきます。
第三回では、義龍の出生の秘密もしっかり描かれていましたね。

一方、話し相手の光秀は、冷静沈着、「是々非々」の姿勢にも見えます。

歴史の史実として、この二人の関係が今後どうなるかは、ここでは書きませんが、二人の考え方や生き方が、この時点でかなり異なっていることは、このシーンの描き方でもよくわかるような気がします。

火縄銃による、ひょうたんの撃破シーンは、相当に「意味深」ですね。
光秀と義龍の、リアクション(反応)の違いの描き方も絶妙です。
歴史ファンには、ビンビン伝わってきますね。
大河は、こうでなくちゃ…。


◇神対応

何か、近年の大河ドラマ作品と、今回の「麒麟がくる」は、脚本の感じが違うなと思い、脚本家名を調べてみました。
やはり、中年層の脚本家ではありませんでした。

脚本を書いているのは、大ベテラン、巨匠の「池端俊策(いけはた しゅんさく)」さんです。
池端氏がたずさわった作品は、歴史ものも多く、重厚な内容が非常に多いですね。
歴史の意味にも重きを置きながら、人生のドラマ性や刺激性を追求するようなものが多いような印象を、私は持っています。
今回、ドラマの外でも、何かと刺激が強すぎですね…。

* * *

今回の「麒麟がくる」では、派手な台詞でなくとも、意味深な台詞が多いのは、池端氏だからなのかと納得できました。

歴史の見方や考え方は、人によってさまざまではありますが、その方が歴史が好きか嫌いか、好奇心が浅いか深いかは、私たちが その作品を傍(はた)から見て、すぐに感じたりしますよね。
私の中では、またひとつハードルを越えました。

最終回まで見続けたいとは思っていますが、あとは…、あの心配ごとが…。

今回の大河ドラマは、ドッキリだけでなく、結構 ヒヤヒヤもさせてくれますね。
視聴者としては、「是々非々」なのか、「是非に及ばず」なのか…?

* * *

そういえば、永ちゃん(矢沢永吉さん)や石原さとみさんが、これはキリンではありませんが、少し前のサントリーのビールのCMで、こう叫んでいましたね。
「神泡か、神泡じゃないか」。

ちなみに、石原さんが、そのCMで着ていたワンピースも、とても話題になりましたが、そのブランドの「 BEAMS(ビームス)」は、その後に、「神ってる」娘をゲットしましたね。

「全英女子オープン」の前に、あの娘をゲットするなど、まさに神業(かみわざ)です。
「神」が、まさかの場所にいましたね。

さあ、次回の「麒麟がくる」は、
神回か、神回じゃないか…?

* * *

今回のコラムは、歴史のお話しが少なくて、申し訳ありません。
これも是々非々。


コラム「麒麟(6)」につづく。


2020.2.4 天乃 みそ汁
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