「映像&史跡 fun」は、映像・テレビ番組・史跡・旅・動画撮影のヒントなどをご紹介するコラムです。


ぼんぼりの灯りは照らす
【麒麟シリーズ 番外編】

【概要】ひなまつりの灯り。私のぼんぼりの灯り。異例のひなまつり。ひな人形めぐりの小さな旅。孫のいないひなまつり。男たちのひなまつり。哀しきお人形。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。


コラム「麒麟(12)織田入り様のお蝶様」で、3月3日の「おひなさま」の歴史や、大河ドラマ「麒麟がくる」第七回のことを書きましたが、本コラムでは、その「おひなさま」についての続編を書いてみたいと思います。


◇異例の「ひなまつり」

最近の「映像&史跡 fun」では、新型コロナの話しを時折書いておりますが、そうしたこともあり、今年2020年の「おひなまつり」を、それぞれの家庭では、どのように過ごされているのかと、少しだけリサーチしてみました。

新型コロナの影響で、例年の「ひなまつり」の過ごし方とは、少し違うのだろうと思っていましたが、なんと想像以上の変化でした。

* * *

もともと、私は、子供の頃から現在まで、家庭の中で女性なのは母と女房だけで、家の中が男臭でいっぱいの中で過ごしてきました。
愛犬たちでさえ、すべて男だったのです。
ですから、「ひなまつり」には、ほぼ愛着や思い出がありません。

今回いろいろリサーチするまで、私は、「ひなまつり」の風景を、ほんの少ししか知らなかったことに、初めて気がつきました。
人生のこの年齢になるまで、気がついていなかったのです。

* * *

私は、仕事柄、毎年のさまざまなクリスマスの風景をたくさん目にするのですが、「ひなまつり」の風景を見ることは、ほとんどありません。
ひなまつりも、クリスマスと同じようなお祝いごとかと想像していましたが、まったく違う、いやそれ以上に、ひなまつりはバラエティにとんだ内容だということに驚かされました。
私の頭の中には、古い時代の「ひなまつり」のイメージしかなかったのです。

両者とも、何か赤色系ですし、日本には赤色系の大イベントが、年に二度あったのかと実感することになりました。
どうりで、ス―パーマーケットのチラシが、普段は野菜、肉、魚、家庭用品などで埋まっているのに、桃の節句の一週間あまり前になると、ひなまつり一色になるのがわかりました。
まさか、女子のいない家庭も含めて、こんなに大きな日本の一大イベントに成長していたとは、まったく知りませんでした。


◇女性たちの執念

もうひとつ、たいへん驚いたのが、「ひなまつり」に対する女性たちの思い入れとこだわりの大きさです。
男の私から見て、まさに、女性たちの執念のようなものさえ感じてしまいました。

もちろん、女性の全員がそうというわけではありません。
ただ、年齢に関係なく、その思いはずっとなくならないのではと感じます。
「ひなまつり」には、クリスマスとは、まったく別のものがあるということを知らされました。

* * *

わが家でも、今回いろいろな家庭の過ごし方を知った影響で、その日の食卓の色あいが桃色に染まりました。
生きてきて云十年、結婚して云十年…、私の記憶の中の3月3日に、このような桃色の食卓はありません…、いや、多少はあったような…?
記憶にないくらい、私の中に「ひなまつり」が入ってこなかったということです。

これから、毎年のこの日が、クリスマスと同様に、ちょっと楽しい日になりそうです。
年齢を重ねてくると、クリスマスよりも、ひなまつりのほうが、うれしい気分になるかも…。


◇進化する「ひなまつり」

さて、今年の異例の状況下で、「ひなまつり」事情をリサーチしたと前述しましたが、多くの情報の中で印象深いもの、驚いたものを書いてみます。

・マスクをつけたお内裏様が結構いたこと。
・3月3日の当日に、やっぱりと思って、ひな段飾りを急きょ出したママがたくさんいたこと。
・コロナによる最近のあまりの忙しさに、3月3日の当日まで、ひなまつりを忘れていた人がたくさんいたこと。
・今や和菓子に負けないほど、ひなまつりケーキが、世の中にたくさんあること。
・3月3日がすでに、ケーキを買う日という認識になっていること。
・ひし餅型のケーキまであること。
・コロナの影響にからめて、「ひきこもり」と「ひなまつり」をかけたSNS投稿が多いこと。
・愛犬に、おひなさまのような着物「犬の晴れ着」を着せる方が多いこと。
・男の子が、怪獣やロゴで、お内裏様を作っていること。
・幼稚園や保育園、ケア施設などで、くふうを凝らした関連イベントが、そこらじゅうで行われていること。
・世の中に、膨大な種類のひな人形や、関連グッズ、ひなまつり食品があること。
・外国に住んでいても、ひな人形をしっかり飾る日本人が多いこと。
・「ひなまつり会」と「お別れ会」がいっしょに行われた幼稚園や保育園が多かったこと。

など数えきれません。

そして、パパたちは、ほぼありませんでしたが、ママたちの、がんばりと発想力、想像力には、頭が下がります。
世の中に、チラシ寿司の種類が、これほどの数があるのかと驚かされました。

どの家庭の、手作りひなまつり料理でも、それほど違わないだろうと私は思っていましたら、家庭ごとに、これほど違うものかと驚きました。
材料、色、かたち…、ママたちのあまりの想像力の豊かさに脱帽です。
まさに芸術分野の域にまで達しそうなものまでありました。
参考にしたいものだらけです。
特集した雑誌でもあれば、買いたいくらいです。

とにかく、この日の料理でのエビの消費量の多さには驚がくです。
一年で、もっともエビ消費量が多い日なのではと思ってしまうほどの量です。

ママたちの料理の想像力は、他のママたちのたくさんのアイデアを見ながら、さらに進化していくのだろうと感じます。

* * *

料理に限らず、手作りの、人形、お内裏様、ひな段飾りも、もちろんたいへんな種類です。

手づくり人形とはいっても、相当なレベルのものも非常に多く、その発想力と想像力には脱帽です。
子供たちが作った、手づくり人形の味わいは、ぜったいに販売している商品では出せないものですね。
本当にすばらしい。

各家庭での「ひな人形」たちの存在は、もはやクリスマスツリーやクリスマス装飾と、何も変わりません。
昭和の時代、大きな「ひな段飾り」は、お金持ちの家くらいにしかなく、私は、「ひなまつり」は裕福な家の行事だと思っていました。

ひな人形飾りが、大きくても、たとえ小さくても、今や、ここまで日本中の家庭で行われているのかと、私は、まさに腰を抜かすほどの驚きでした。

お店で販売している、関連の和菓子、ケーキ類の種類の豊富さは、ひょっとしたら、クリスマス以上ではないかとも感じます。
まさか、「桜餅」ひとつで、これほどの種類があったのかと驚かされました。

その日の近所のスーパーの夕方の混雑ぶりは、年の瀬以上でした。
もはや、近いうちに、クリスマスのように、家庭に女子でも男子でも、子供がいるかいないかも関係がなくなる日が、来るのかもしれません。

日本の「ひなまつり」は、英語では「ドールズ・フェスティバル」と言いますが、日本での「ひなまつり」の解釈や認識は、今後、どんどん拡大進化していくのかもしれませんね。

コラム「麒麟(12)織田入り様のお蝶様」でも書きましたが、「ひなまつり」はもともと、拡大進化をとげてきた風習です。
これからも、女性たちの手で、急激に発展していくのかもしれませんね。


◇子供たちが朝から自宅にいる「ひなまつり」

さて、前述のエピソードだけではありません。
本当にご紹介したい内容はこれからです。

今年は、新型コロナの影響で、ちょうど、この3月3日当日か前日から、小中高校生たちが休校になっていたのです。
そのため、3月3日は、たくさんの子供たちが、朝からずっと家にいたのです。

そして、パパやママが、まだ休暇をとれない中、たくさんの子供たちが、家で「ひなまつり」の人形をせっせと作っていたのです。
男の子なのに、今日は「ママの日だね」と言って、見よう見まねで「ひな人形づくり」なのです。

多くのママたちが、お昼に、子供たちの昼食をつくるために、急いで仕事場から飛んで帰り、昼食をつくるのです。
そして、子供の作った人形を見て、感動するのです。
ママはママで、普通のインスタントラーメンの上に、お内裏様の装飾がついた「かまぼこ」を2枚…、チャーハンの上に錦糸卵を少しだけ…、そしてまた仕事場に戻っていくのです。
そんな光景が、ネット上にたくさん紹介されていました。

ネット上には、子供たちが手づくりした「ひな人形」のオンパレードです。
子供たちの手づくり人形といい、ママたちの行動といい、見たり読んだりしていて、思わず涙ぐみそうになりました。

まさか、休校措置が、こんな光景を生み出すとは…。


◇孫を思う「ひなまつり」

それから、感動するのが、孫を持つ、お爺ちゃんお婆ちゃんたちの姿です。

ひな段飾りは、代々、家庭で受け継いでいるという家庭も多いと思います。
今でも、実家に大きなひな壇が残っているという方も多いと思います。

通常であれば、孫が祖父母の家を訪れ、ひなまつりをいっしょに祝ったりしているのでしょうが、今年は事情が違います。
大きなひな段飾りが飾ってある祖父母の家に、孫たちは訪れることができないのです。
もちろん、高齢者に影響の大きい新型コロナが原因です。

それでも、お爺ちゃん、お婆ちゃんたちは、そのひな壇を飾り続けているのです。
「今年は孫に会えない おひなまつり」という内容を、ネット上でたくさん目にしました。
「ひなまつり」は親子のイベントだけではありません。祖父母も含めた、家族のイベントだと実感しますね。

きっと、祖父母の願いは、孫に届いていることでしょうね。
一年後に、遠くにいる「ひな人形」たちは、必ずやって来てくれるでしょう。


◇母娘の小さな「ひなまつり旅」

次に、とても興味深く見た内容を書きます。

3月3日に、ある母と幼い娘の二人で、街の「おひなさま巡り」をしたという内容です。

これは、茨城県の真壁町でのお話しです。
街の古民家などが集まる地域を歩いて回り、古くからの大きなひな段飾りや、ひなまつりの装飾、昔懐かしい古い街並みを見て回る「母娘の小さな旅」なのです。
SNS上には、素晴らしい風景写真の連続でした。

私が子供の頃の昭和の時代は、家に大きなひな段飾りがある家は、それほど多くはありませんでした。
当時から、相当に高額なひな段飾りです。
前述したとおり、お金持ちの家のひな段飾りを、わざわざ見に行く女子は多かったと記憶しています。
今のような、コンパクトサイズのひな壇や、お内裏様だけのものなどは、昔はそれほど なかったと思います。

そんな女の子たちが、「ひな人形を買って…」と親に言えるはずもありません。
まして「ひな段飾り」などは、夢のまた夢です。

現代の今、昭和時代のある時期のような、格差社会がまたやって来ました。
今の世の中の、ひな段飾りの所有状況はよく知りませんが、もし家庭にひな人形がなくとも、この「ひな人形巡りの小さな旅」は、とてもいい思い出になりそうです。

「街にある、このお内裏様が、私のお内裏様…」でも、十分によい思い出になるはずです。
それに、誰かが、しっかり管理保存してくれています。

世の中には、「この公園のこの桜の木が、我が家の桜です」と言われる方が、結構います。
「ひな人形」がそうであっても、まったくおかしくありませんね。

もちろん、子供のいない方々でも、昔持っていたひな人形を失った方々でも、十分に「ひな人形巡り」は楽しめそうです。
一年に一度、その日しかできない「小さな旅」というのもあっていいのかもしれませんね。

この母娘が、毎年、こうした旅を行っているのかどうかは知りません。
家庭にひな段飾りがあるのかも知りません。

でも、二人にとって、忘れられない思い出の旅になったのは、間違いないだろうと思います。
何十年後かに、この母娘が同じ場所を二人で訪れてほしいものです。

なにより私自身が、ネット上とはいえ、小さな「ひなまつり旅」をさせてもらえたことは、とてもうれしい出来事でした。


◇負けるはずはない

もうひとつ…、この「ひなまつり」の時期には、高齢者のケア施設でも、多くの「ひなまつり」関連イベントを行っていることを知りました。
高齢の女性たちは、実に楽しそうな表情です。
男性高齢者との表情の違いは歴然としています。
女性の方々…、きっと、娘時代のこと、両親のこと、娘のことなどを、たくさん思い出していることでしょう。

* * *

私自身は、今年の異例な状況下での「ひなまつり」のおかげで、さまざまな「ひなまつり」のことを知ることができました。

そこに、たくさんの思い出や、夢や希望、願い、想いがあり、それを実際の行動で行っている人たちがたくさんいるということを知りました。

これだけ思いを込めた行動を実行できる国民が、コロナウイルスくらいに負けるはずはないと確信しました。
人間の強い思いや願いは、ウイルス程度に侵されることは、これからもないのだろうと思います。


◇パパたちの「ひなまつり」

さて、世の中に、人が好きなもの、好きなこと、趣味分野などは、膨大な種類ありますね。

男女ともに共通な、好きなもの、好きなこともあれば、それぞれに、おおよそ傾向が分かれるものもあります。

昔は、野球やサッカー、プロレス、ボクシングなどのスポーツは、男性向きに形づくられていましたが、今や共通の楽しみです。
武道も、ほぼ男女共通の楽しみですね。
マリンスポーツも釣りも、もはや男女共通ともいえますね。
アイドルの追っかけも、それぞれいます。
音楽分野や美術分野も、そこに境はありません。
スマホの登場以来、カメラや写真の分野は、完全に共通の趣味になりました。

本コラムは歴史分野ですが、これも男女差はありません。
お城マニア、戦国武将ファンは、男女ともに、たくさんいますね。

* * *

とはいえ、男女それぞれに、かたよる傾向にある分野も残っていますね。

いわゆる道具や乗り物系のコレクションにはまるのは、男性が多いかもしれません。
クルマ好き、バイク好き、ラジコン好きなどは、男性のほうが圧倒的に多いかもしれません。
今の、ドローンブームをけん引しているのは大人の男性ですね。

昭和の時代に、大人の男性が、万年筆や時計、高級ライターにはまった人がたくさんいましたね。
これも、ほぼ道具好きの男性の好みといっていいのかもしれません。
私は「フィギュア(精巧な人形の一種)」は、人形好きというよりも、道具系のコレクションに近いような印象を持っていますので、それで男性ファンが多いのかもしれないと思っています。

昭和の時代に、小中学生の男子たちのあいだで、プラモデルの大ブームが起きたことがありました。
女子には波及しなかったと記憶しています。

女性たちから見たら、まるで「がらくた」のようなものにこだわっているのが、男性たちの趣味だったりします。
「子育てを女房にまかせっきりにして、自分だけ…」と、女性たちが怒りまくっていたのが昭和の時代だったのかもしれませんね。

* * *

かたや、文房具や料理道具のコレクターは、男性にはあまりいません。
どちらかといえば、男性は家電やオーディオに向かいます。

これは、文房具が、手芸やお化粧道具の延長上にあるということなのかもしれません。
私の勝手な想像ですが、女性特有の子供時代の「お人形好き」や、「ひなまつり」への思いが、何か関係しているのではと感じています。

男性が、子供の頃に「ひな人形」のような人形にはまることは、ほぼないと思います。
人形という視点であれば、それは、クルマや電車などの乗り物、怪獣や恐竜やヒーローなどの人形、あるいはヒーローが手にする武器などにむかいますね。武器は、道具そのものです。
前述のプラモデルの大ブームも、その延長上なのかもしれません。
さらに、その先に、クルマや電車、万年筆や時計、カメラ、オーディオ、靴や帽子などがあります。
男性は、作ったり、所有したりするのが大好きな生きものですね。

モノにこだわるからなのか、男性は、やたらに定義づけや分類、根拠、目的、意義などを気にします。
さらに、男性は、妙に「達成感」が好きです。

競争したがり屋である反面、ライバルの存在を肯定する傾向にあるのも、男性のほうが多いかもしれません。
頭で納得しないとなかなか動かない、面倒くさいとすぐに言う、これも男性の特徴でもありますね。
そんな男性たちが、「ひなまつり」に思い入れが起きないのは仕方のないことなのかもしれませんね。

コラム「麒麟(12)織田入り様のお蝶様」で、桃の節句が女子に、端午の節句が男子にと、それぞれの内容に分かれていったと書きましたが、まさに自然な流れのように感じます。


◇私の中の「ぼんぼりの灯り」

私は、男性よりも、女性のほうが、時間を有効に使うとか、楽しむという感情を大切にするということに、執着するのだろうと感じます。
「有効」と「効率的」は、そもそもまったく別の話しです。

「ひなまつり」…、女性たちにとって、そこにあるのは、お人形としての愛着だけではないはずです。

そこには、思い出があり、夢があり、希望があり、愛があり、まさに過去現在未来の歳月があるのだと思います。
そして、女性の目には、ひな壇の前や中に、自分や愛する人がいるのかもしれません。

5月の「端午の節句」には、夫婦としての「お内裏様」は存在しません。
あるのは、武器(道具)と夢、空に向かう野望かもしれません。

* * *

昭和の時代に、リカちゃん人形の大ブーム、フランス人形の大ブームなどが、女性の間でおきました。

多くの家庭の玄関や応接間に、大型のガラスケース入りのフランス人形がたくさんありましたね。
昭和時代の和室に、あまりにも不似合いな大型フランス人形がたくさんあったのです。
これをけん引したのは、大人の主婦層です。
今の若者たちに、「フランス人形」といっても、イメージできないかもしれませんね。

少し前の、「ゆるキャラ」の大ブームを支えていたのは、中年主婦層でした。
子供たちではありません。
キャラたちを、たえず、目につくところに置いておく、身に着けておくという行動も、男性の傾向ではありませんね。

洋服などのファッションでは、男性は好きな服を着るのに対し、女性は、自分が着たいとう理由だけではありませんね。
自分に似合う服、自分が周囲から魅力的に見える服、自分がそれを着て楽しめるかどうかを気にしますね。

こうしたことは、それぞれ「性」の違う生きものが、「人形」を見るのに、決定的に影響する気がします。

女性たちが、「ひな人形」を見た時に、意義や定義、目的、野望をイメージしているとは思えません。
男性たちは、男性たちが見たいものを、「ひな人形」の中に見出せないのかもしれません。

男性たちは、「ひな人形」の中に、「ひなまつり」を見てこなかったのかもしれません。
あるいは、女性たちの「心」を見ようとしてこなかったのかもしれません。

* * *

人は、森の個々の木ばかりを見ようとすると、森全体のことがまったく理解できませんね。
私は、今年の「ひなまつり」を通じて、そんな森の存在を感じました。

私の中の、ひな壇の「ぼんぼり」に、やっと「灯り」がともったのかもしれません。

私は勝手に、「ぼんぼり」が照明器具だとばかり思い込んでいたのです。
来年からは、この日が楽しめそうです。

* * *

私は、今年の「ひなまつり」のいろいろな光景を目にして、こんな異例な状況下であっても、日本各地の多くの家庭の「ぼんぼり」に、しっかりと「灯り」がともり、そのやさしくゆらぐ「灯り」が、人の心にも、しっかり光を照らしてくれているのだということが、よくわかりました。

私たちは、そんな「灯り」を消してはいけないのだと思います。
「灯り」は、これからも、私たちの先をしっかり照らしてくれるのだと信じています。


◇哀しき「お人形さん」

ここで、ある曲のことを書きたいと思います。

明治時代の尋常小学唱歌である「人形」という歌です。

アメーバブログの中に、アボカドさんの「今日の一曲」という、すばらしいブログがあります。
一日一曲、心あたたまる楽曲として、やさしい時間を提供してくれています。
ここで、この「人形」の歌を聴くことができます。

このブログでは、もちろん、「♪灯りをつけましょ、ぼんぼりに…」の歌詞ではじまる「うれしい ひなまつり」を聴くこともできます。

コラム「麒麟(12)織田入り様のお蝶様」では、サトウハチローさんの歌詞の面白エピソードのことを書きましたが、この歌の歌詞は、ひな壇の前で、姉がお嫁入りをした妹の立場で、次は自分だという、ひなまつりやお内裏様へのあこがれや夢、期待と不安が語られています。
子供から見た大人のこっけいな姿も描かれています。
そして、晴れ着を着た時の、女性のうれしさがにじみ出た歌詞です。
あまりにも素晴しい歌詞で、内容に誤りがあろうと変更してはいけない歌詞だと、私は感じています。

アボカド様ご本人のご厚意で、ここで紹介させていただきます。

アボカドさんの「人形」のページ

アボカドさんの「うれしいひなまつり」のページ

* * *

さて、前述の「人形」という歌について書きます。

私が、この曲を聴くのは、おそらく50年以上ぶりだと思います。
祖母や母がクチにしていた気がします。

当時は、さすがに男の私の心にはあまり入ってきませんでした。
歌詞にあった当時の人形が、どんなものだったかも記憶にありません。
ですが、まぶたをパチクリさせる人形が多かったのを何となく憶えています。
大昔の私の耳に残る「よい人形」です。

その歌詞を下記に書きます。

(1番)
わたしの人形は よい人形
目はぱっちりと いろじろで
小さい口もと 愛らしい
わたしの人形は よい人形

(2番)
わたしの人形は よい人形
歌をうたえば ねんねして
ひとりでおいても 泣きません
わたしの人形は よい人形

私は、この歌詞を子供の頃に聴きましたので、その歌詞の意味に関心を持ちませんでした。
今、あらためて歌詞を読みますと、いろいろなことが想像できます。

童謡や唱歌は、表面的な歌詞の後ろに、別の意味を持たせていることが非常に多いですね。
特に作者や、生まれた年代が不明な楽曲は、そうしたものが多い気がします。
まさに、この歌詞もそんな雰囲気を感じます。

童謡の「赤い靴」のような直接的な表現ではありませんが、わらべ歌の「花いちもんめ」のような隠された意味が、この「人形」にもあるのかもしれません。
ものかなしげなメロディともあいまって、何か女性たちの切なさのようなものが、頭に浮かんできます。

* * *

「うれしい ひなまつり」の歌でも、たのしい、うれしい状況の中に、そこはかとない女性の哀しさのようなものが感じられます。

女性たちが大切にする「ひな人形」たちを、男たちは、「武者人形」や「こいのぼり」を見るような目で見てはいけないのでしょう。
私は、あらためて、この歌の世界…、女性の世界を、考えさせられました。

まさか、コロナウイルスによって、こんな感情まで引き起こされるとは、思ってもいませんでした。

「人形」と「うれしい ひなまつり」の楽曲…、また一年の眠りについてもらい、また来年の今頃、すがすがしい環境の中で、私たちのもとに、やって来てほしいと思っています。

* * *

今後、「麒麟シリーズ」のコラムの中では、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の中で描かれる「戦国の世の下克上」の犠牲者となっていった、悲しい女性たちのことを書いてみたいと思っています。
戦国時代の有名な女性たちだけでも、相当に人数は多いです。

「かなしい」は漢字で書くと、「哀しい」、「悲しい」、「愛しい」などがあります。
犠牲となっていった彼女たちもまた、ある意味、愛すべき「哀しきお人形」だったのかもしれませんね。


2020.3.8 天乃 みそ汁
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