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麒麟(16)老兵は死なず

【概要】NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。斎藤道三と高政(義龍)の「長良川の戦い」。范可。ダグラス・マッカーサー。織田信長の思惑。マムシから龍へ。本木道三。


前回コラム「麒麟(15)道三の三本の道」では、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第十五回と第十六回に関連し、斎藤道三と息子の高政(義龍)の決戦前夜までの話し、道三の選択、道三と光秀の永遠の別れ、人の上に立つ者のことなどを書きました。

今回のコラムは、「麒麟がくる」の第十七回「長良川の対決」に関連し、「長良川の戦い」のことを中心に、道三と高政の親子のこと、老兵の最後の選択のことなどについて書いてみたいと思います。


◇老兵は死なず、ただ消え去るのみ

日本でも、かつてのアメリカ軍の陸軍元帥、太平洋戦争時の連合国軍最高司令官、米国大統領になりかけた人物である、ダグラス・マッカーサーの名を知らない人はいないと思います。

近年、東京都心の、新橋と虎ノ門の間には、「新虎通り」と呼ばれる近未来的な大きな道路がつくられましたが、この道路こそ、かつての「マッカーサー道路」です。
いってみれば、東京湾岸地域と、霞が関あたりの官庁街やアメリカ大使館を結ぶ、大きな幹線道路といえます。
東京都心にありながら、非常に長い間、開発の手を入れることができなかった地域でしたが、近年の街の大変化には、まったく驚くばかりです。

日本各地にも、「マッカーサー道路」と呼ばれる道路が残っているのかもしれません。
戦車が走行、右左折可能な構造になっているともいわれていますが、私はよくは知りません。

* * *

このマッカーサーが、1951年に陸軍元帥を退役する際の議会演説は、「老兵は死なず演説」と呼ばれることがあります。
この演説の中に、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die. They just fade away)」というフレーズが使われたため、一気に、その言葉が世界中に知れ渡ることになります。

もともとは、米英などの軍隊での兵隊歌の一節であったそうです。
日本にも、「きさまと俺とは同期の桜…」、「さらばラバウルよ、また来るまでは…」、「守も攻めるもくろがねの…」などの、軍歌の有名なフレーズがありますが、それに似た、誰でも知っている米英の兵隊歌のフレーズのようです。
現代の今でも、歌や映画のタイトルに、この英語表現に似たものを見かけることがありますね。

「それは決して『死』なのではなく、消えていくのだ」…、たしかに、胸に突き刺さるような、永遠を感じさせる、深い言葉表現に感じますね。

大河ドラマ「麒麟がくる」の第十七回「長良川の対決」では、二人の老兵が消えていきましたね。
若い世代たちが、それぞれの武家の後の時代をつくっていきそうです。

今回のコラムでは、実際の「長良川の戦い」を、大河ドラマに照らしながら、少し書いていきたいと思います。


◇二人の老兵

今回の大河ドラマは、「働き方改革」で、もともと回数が減らされていたばかりか、スキャンダルでさらに減り、今回の新型コロナで、さらに回数が減らされてしまいそうです。

今回の道三の最期だけでも、放送一回分の内容があろうかとは思いますが、明智光安の最期とあわせて、二人分の「大いなる最期」が一回分にまとめられたような気もしています。

本木雅弘さんの感動も冷めやらぬまま、西村まさ彦さんも、後から相乗りするかのように、二人いっしょに、「消え去る」こととなりましたね。
後から消えるほうが、少しだけ…、と思わないこともないです。
とはいえ、二人とも見事な演技を見せてくれましたね。

前回コラムでも少し書きましたが、西村まさ彦さんが演じた明智光安の最期は、普段の「お気楽武将」の姿からのギャップが大きく、なんとも頼もしい、立派な武将像を見せてくれました。
一国の国守ではなくとも、一城の主として、立派な最期をむかえましたね。

二人の最期については、後でもう一度書きます。


◇長良川の戦い

1555年4月、今の5月くらいに、道三と高政(義龍)による、「長良川(ながらがわ)の戦い」はおきます。

今の岐阜市中心部を流れる長良川は、今とは少しだけ流路が異なるようですが、ほぼ同じような川の位置だと思います。
今の岐阜市の岐阜城の山のふもと…、長良川を挟んで、南側に高政(義龍)、北側に道三です。

高政軍の兵力は約1万8000、道三軍が2千数百です。
圧倒的な兵力差です。

織田信長は、今の羽島市のあたりまで来ていました。
信長軍の兵力はわかっていません。

* * *

この戦いの前年の「村木砦(むらきとりで)の戦い」で今川軍を蹴散らした信長軍でしたが、1000名ほどの敵の砦に相当に苦労していますので、おそらく信長が長良川に連れていけた兵力は、よほど多く考えたとしても、1000から1500ではなかったかとも感じます。
織田家内部には、まだまだ敵がいましたので、全軍をあげることはしていないでしょう。
ただ、「村木砦の戦い」では、信長軍の鉄砲隊が初めて大活躍したともいわれています。
長良川にも、かなりの数の鉄砲隊を連れていったようです。

信長軍が布陣した場所は、岐阜市の道三と高政の戦場からは、南に、おそらく10数キロから20キロメートルあたりの距離とも考えられます。
長良川と木曽川に挟まれた地域で、戦場からみたら、長良川の下流にあたります。
現代のクルマ社会の感覚からすると、非常に近い距離です。

当時、もし道三が船で脱出し、長良川を流れともに下れば、20~30分もあればたどり着けそうな気もします。
ただ、羽島までの長良川の当時の深さは、私はわかりません。

* * *

両軍は、これだけの兵力差です。
高政(義龍)は、おそらく信長が、これ以上は北上しないと見ていたとも思われます。

高政からみたら、絶対に道三を、信長のもとに逃げ込ませたくないと考えたかもしれません。
高政は、道三と信長のあいだ、長良川の南側に陣を移します。

* * *

私のあくまで想像ですが、信長は最初から、高政軍との大きな戦闘を考えていたとは思えません。
なにしろ、これから後の斉藤家の運命を決定づける西美濃三人衆(稲葉氏・安藤氏、氏家氏)らをはじめとする有力家臣がみな、高政側に回っていたのですから、これだけ兵力差のある大軍団勢力と真っ向勝負するとは思えません。
それに、前述の「村木砦の戦い」の時に、織田軍を支援してくれた武将たちが、高政軍に含まれているのです。

道三側には、明智勢ほか、一部のわずかな家臣しか集まっていません。

ひょっとしたら、信長は、道三の保護か、あわよくば親子を どさくさの中で…、あるいは、何らかの美濃勢へのけん制という考えではなかっただろうかと感じます。
それよりなにより、信長は、道三の兵力というよりも、道三という知将将本人を、ここで消え去らせることを、させたくなかったのかもしれません。

道三からすれば、信長のもとに逃げ込んで、もし、帰蝶が、信長との間に子をなせば、斎藤家の血は途絶えませんし、織田家の庇護にはなっても、斎藤道三の生き残った男子を立てて、高政への反転攻勢も可能だったと思います。

信長が、義父の道三がいる戦場にたどり着くのかどうかではなく、信長のもとに、道三がやって来るかどうかが、この戦いの最大のカギで、その選択は、道三次第だったのかもしれませんね。
実際には、そうはなりませんでした。

* * *

道三が、わが子の高政と、信長を、秤(はかり)にかけたのかどうかは、まったくわかりません。

私は、信長に美濃国をゆずる内容の「ゆずり渡し状」は、道三本人が書いたものではないと感じています。
今回の大河ドラマでも、登場しませんでした。
戦国大名は、陰謀で、ニセの書状を乱発しましたが、これも、そのたぐいのもののような気がしています。

結果的に、道三は、高政にも、信長にも、どちらにも自らの延命のチャンスを与えていません。
個人的には、大河ドラマと同じように、死ぬ時と場所を、道三が決意したのだと思っています。

前回コラム「麒麟(15)道三の三本の道」でも書きましたが、ドラマの中の道三は、「武将の進む道は、自らで切り開いていくもの…、チカラがあれば道は続き、非力ならばそこで道は終わる」という主旨の話しをしています。
これは高政も、信長も同じだということなのでしょう。
道三の道は、ここで終わりました。

* * *

こうした斎藤親子の争いの中で、明智勢が、少数派の道三側についたことは、信長に強い印象を与えたのは間違いないと思っています。
すでにこの時に、信長と光秀のあいだで、何かの密約があったとは考えにくい気がします。
「光秀は、興味深い武将だ…」。


◇長良川の戦場にいた武将たち

今回の大河ドラマのすごいところは、これまでの大河ドラマでは、まず登場してこないような武将たちが、姿をしっかり見せてくれることです。

竹腰道鎮(たけこし どうちん)」が高政軍の先鋒として、道三軍に突撃し、この「長良川の戦い」は始まります。
灰色の頭巾をかぶった道鎮が、テレビ画面の中にいたのです。
めずらしいというか、おそらく私は初めてテレビで見たと思います。

* * *

竹腰家は、土岐氏や明智氏と同じ、もともと源氏の名門の出です。
道鎮の孫の正信は、徳川家康の仕え、後に尾張徳川家の重要な家臣となります。
この正信の生母は「お亀の方」として、夫の死後に徳川家康の側室となります。

「後家殺し」と呼ばれることもあった家康は、過去の出産経験を考慮し、たくさんの女性を側室にしていきました。
もちろん武家の血筋も考慮したでしょう。

* * *

大河ドラマでは、圧倒的な兵力差で、道三軍が一方的にやられてしまうような印象を受けましたが、実際には、前述の高政軍の道鎮は、道三軍に討ち取られてしまいます。

* * *

そして、この大河では、道三と高政の「一騎討ち」という名場面がつくられていました。

まさに、「川中島の戦い」での、上杉謙信と武田信玄の一騎討ちを彷彿とさせます。

本木雅弘さんが演じる道三は、まさに「川中島の戦い」の時の、白頭巾の上杉謙信のごとく、馬上の黒頭巾で川を越え登場します。
この後は、道三のトレードマークの丸坊主頭をしっかり見せてくれますが…。

実は、実際の長良川の戦いでは、一騎討ちを行ったのは、高政軍の長屋甚右衛門と、道三軍の柴田角内という、二人の武将です。
この一騎討ちは、道三側の柴田角内が勝つのです。

これで一気に「怒りの炎」が点火した高政軍が、全軍をあげて、道三軍に、川を無理やり超えて向かっていったという流れのようです。

* * *

大河ドラマのように、高政は当初、道三を生け捕りにする考えであった可能性も十分にあると思います。

ドラマの中で、高政の家臣の稲葉良通が言っていたとおり、当時、「親殺し」は、通常の罪とはまったく意味が違います。
江戸時代までは、親子間の殺しは、通常の殺しの罪にくらべ、その罪の重さがはるかに大きいものでした。
もちろん、仏教や儒教の思想からです。
下克上の乱世とはいえ、親子間の殺害には、特別な意味があったと思います。

実際の戦いでは、高政軍の怒涛の攻撃により、大混乱の中、昔から道三に深いうらみを持つ長井家の武将が、道三を生け捕ろうともみ合っている最中に、功をもくろむ別の武士が、道三を討ったといわれています。

前々回のコラムあたりで少しだけ書きました、死後の道三への長井の行為は、もしかしたら、この時にあったのかもしれません。
真偽はわかりません。

* * *

道三討死を知らない信長軍のもとに、高政軍はすぐに攻撃に向かいます。
幾人かの犠牲の後、信長軍は、この地を脱出します。

この時に、本当かどうかはわかりませんが、信長自身が「しんがり」となって、逃げる全軍の最後部で高政軍と戦ったという話しが残っています。
織田家が残した書物ですので、真偽はわかりません。
ただし、もちろん最初から船を使って、川の流れの中、本人が退却することは考えていたはずです。
自慢の鉄砲隊が、ここでも大活躍したともいわれています。

信長にとっては、予想外の被害だったのかもしれませんね。
陣が深入りし過ぎたのか…?
ひょっとしたら、信長は、出陣に反対する家臣を押し切って、この地まで来たのかもしれません。
ドラマの中では、帰蝶が激怒していましたね。
「みな(信長・道三・高政)、愚か者じゃ」。


◇本木道三 vs 伊藤高政

こうした、一応の歴史の史実が、ドラマチックなドラマとして、大河ドラマ「麒麟がくる」でかたちづくられました。
道三と高政の「一騎討ち」となって、現代に戻って来ました。

上杉謙信と武田信玄の「一騎討ち」のことを前述しましたが、戦国時代はこの頃になると、そろそろ「一騎討ち」の時代が終わる頃になります。
カリスマ武将のもとでの大軍団どうしの戦いから、国どうしの同盟よりも、もっと現実的な各国の連合軍体制になる時代の直前の頃です。
今回の戦いは、「一騎討ち」の美学が、まだまだ残る時代の戦ともいえますね。
信長も、秀吉も、家康も、基本的には戦で「一騎討ち」などしません。

西欧でも、銃での一騎討ちは、ある段階で終わりましたね。
西部劇の名シーンではありますが…。

とはいえ、「一騎討ち」のアクションや台詞は、戦国時代劇の華ですね。

「本木道三」の、謙信を彷彿とさせる登場は、とてもカッコいいものでした。
受けて立つ、伊藤英明さんが演じる斎藤高政(義龍)も、これまでの迷える高政の姿ではなく、武田信玄ばりの堂々たる姿を見せてくれました。

* * *

道三は、高政(義龍)の胸の中で、生涯を閉じます。
最期は、「下克上の中の下克上の武将」ともいえるような、「マムシ」の道三ではなく、父親として…。
「わが子…高政、愚か者」。

その瞬間、手にしていた数珠(じゅず)を、自らの手で、バラバラにしながら…。
これでもかというほど、強い思いを残していきましたね。

ドラマ冒頭の帰蝶の言葉「愚か者」と、この道三の「愚か者」は、かなり意味が違っていそうです。

ドラマでの道三の最期の言葉、「勝ったのは…、道三じゃ」は、いろいろな意味が混在していそうですね。
「勝ち」とは、何を意味しているのでしょうか…。
わが子に最後に残したのは、何だったのでしょうか…。
視聴者により、想像させるものが違うのでしょうね…。

高政は、「親殺し」の汚名を乗り越えてこそ、有力な戦国武将になれるのでしょうね。
道三からの最後の贈りものでした。
世の中には、こういう父親も少なくないですね。

現代の皆さまのまわりでも、殺し合いはないにしても、こうした親子の別れはめずらしくないのでは…。
最期は、父親として、母親として、夫として、妻として、家族として…。

歴史の中の、高政(義龍)は、この勝利をどのようにとらえたでしょうか…。
どうも、ドラマの中の高政は、しっかり受け止めていないような…。

さらに、稲葉良通ら西美濃三人衆や、長井氏をはじめとする、高政の有力家臣たちは、どのようにとらえたでしょうか…。

斎藤家に、「下克上」は、さらに厳しい現実を与えそうです。


◇光秀の決意

ドラマの中では、道三と高政の一騎討ちの後、その戦場に光秀がやってきます。
そこで、最後に、光秀はもう一度、高政に問います。

「まことの気持ちを聞きたい。
道三様は、そなたの実の父親ではなかったのか…」。

高政は答えます。
「わしの父親は、土岐頼芸 様」。

光秀は、悲しげな表情で言います。
「そうか」。
光秀の、最後の決断の時でした。

ここで、もし、高政が「道三じゃ」と言っていたら、光秀はどうしたでしょう…。
歴史が変わるほどの台詞になりますね。
光秀の新たな道が、ここから始まりました。

* * *

それにしても、道三親子の最後の別れと、光秀と高政の別れという、一連のシーンは、感情が強く込められた、見ごたえのあるシーンでしたね。
高政は、本当は、手離してはいけない大切な二人を、自らの手で、手離してしまいました。
手元に置いてはいけない家臣たちを、手元に残して…。
これも高政の宿命…。


◇ヒーロー 道三

本木雅弘さんが、PR動画の中で語っていましたね。
また、どこかで再登場かと…。

高政(義龍)と、光秀の、ふたりのそれぞれの最期の瞬間に、きっと道三が登場するのでしょうね。
「父上」。
「道三さま」。

歴史上の道三の評価は、現代人においても、ドラマの中の、高政的な見方なのか、光秀的な見方なのかによって、大きく二分されるのかもしれませんね。
「麒麟がくる」の道三は、ある意味、ヒーロー的な描かれ方にも見えます。

道三の登場用音楽のように使われていた、マムシがはう音…あの「ガラガラガラ」という音がもう聞けないのはさみしいですが、きっと、いつかまた聞けるのではと思っています。

本木雅弘さん…、見事なヒーローの道三でした。


◇范可(はんか)

さて、高政(義政)には、「范可(はんか)」という、もうひとつの名前がありました。
ある期間に使用されていたようです。

この名は、中国の故事に由来する名前で、「范可永」という将軍の名前からきているともいわれています。

陳朝(今のベトナム)の帝「順宗」は、後にベトナム王朝の初代皇帝となる「黎季犛」に、順宗の次の陳朝の帝の座を、黎の長男につがせることを、強引に受諾させられることになります。
その後、黎は、自軍の将軍の「范可永」に順宗を殺害させました。
この話しが、「親殺し」とどのようにつながっているのかは、詳しくは知りませんが、やむを得ない事情で親を殺すという象徴のような意味で、この「范可」という名前を使ったともいわれています。
詳しい理由は、わかりません。

「黎季犛」も、下克上で皇帝にまで成り上がった人物です。

おそらく、高政が、父親である道三を、追放あるいは討ち取ることを決意した時期に、自身につけた名である可能性が考えられます。
高政が、異母兄弟たちを殺害し、道三と激突する、直前のことだったと思います。

* * *

仏教には、古くから「結跏趺坐(けっかふざ)」と呼ぶ、瞑想のポーズがあります。
両足を組む、座禅に近いポーズです。

それに対して、「半跏趺坐(はんかふざ)」という、片足だけを、もう一方の足の上に重ねるポーズがあります。
京都の広隆寺や、奈良の中宮寺には、有名な「半跏思惟像(はんかしいぞう)」という仏像がありますね。
片方の手の指を、顔近くにもっていき、もの思いにふけるという、有名な瞑想のポーズです。

「范可」と「半跏」は関係がないのかもしれません。
とはいえ、兄弟殺し、親殺し…、高政は、相当に思案したのかもしれません。
いつも半跏思惟像のようなポーズで…。

「范可」という名は、道三の死後には使用していなかったようです。

下克上の乱世が、ふたたび「范可」を、美濃国に呼び寄せたのかもしれませんね。


◇マムシから龍へ

私は、今回の大河ドラマの配役の俳優陣の選出が、非常に見事だと感じています。

しょせん、歴史上の人物像は、想像にすぎません。
その想像は、ドラマ、映画、書籍、それに触れる各個人によってさまざまです。
正しいかたちは、ありません。

私は、「麒麟がくる」の、それぞれの役者さんの持つイメージや演技と、その歴史上の人物の配役が、とても気に入っています。
意外性もあれば、驚きもあり、納得もさせられます。

* * *

高政(義龍)を演じる伊藤英明さんも、ドラマの中の高政のイメージにピッタリで、その真面目さ、真っすぐさ、頑固さ、苦悩ぶり、そして狂気ぶりも、見事に表現されていると感じています。
現代人が考える武将像をしっかり見せてくれている気がします。

高政(義龍)は、現代においても、非情な「親殺し」者として見られがちですが、下克上の世では、それほど、めずらしいケースでもありません。
前回コラムだったでしょうか、私は、高政(義龍)を、秀吉の家臣であった石田三成とだぶらせて考えてしまうと書きました。

戦が、それほど得意ではなくとも、暗躍も含めて、かなりの政治能力をもっていた武将ではなかっただろうかと考えています。
二人に共通するのは、周囲に考えや理想が理解されにくかったり、猛烈な敵意を抱く敵をつくりやすい強引さを持っていたことかとも感じています。

「麒麟がくる」の中でも、彼の強引さが、たっぷりうかがえました。
ドラマの中で、高政が、これからどのように描かれていくのか、興味はつきません。

* * *

高政は、「長良川の戦い」の後、「義龍(よしたつ)」と名を変えますが、土岐氏に大切な「頼」の文字は一切使いません。
息子の「龍興(たつおき)」にも、使いません。
受け継がれたのは、「龍」の文字なのです。

まさに、道三の「蝮(マムシ)」が、義の「龍」となり、国を興すべき「龍」へとつながります。
ですが、最後は、「龍」のもとに、チカラが結集することはありませんでした。

ひょっとしたら、歴史の中の本物の「長良川の戦い」で、もし道三と高政が会話をしていたら、高政は、「父は道三じゃ」と叫んだかもしれませんね。

高政は、生涯、父親が目標であり、ライバルであったのかもしれませんね。

二人の肖像画を見ると、見事に異なるかたちの、異様なヒゲですね。
偉大な父親の、ヒゲのかたちにまで、ライバル心を燃やしたのかもしれません。
「伊藤義龍」さん…、さあどうします… ヒゲ?

* * *

ちなみに、個人的には、光秀のこれからの「キンカ頭(光る禿げ)」も…、気になって仕方ありません。
「キンカ頭」は、ずっと後に、信長が光秀につけた あだ名です。
秀吉には「ハゲねずみ」でした。
二人とも…?
「麒麟がくる」では、「キンカ頭」を無視するのかどうか…?
本木道三は、「ツルッ〇〇」が非常にお似合いでしたが…。
「長谷川光秀」さん…、さあどうします…髪?


◇もうひとりの老兵

さて、ドラマの中の、道三と高政の「一騎討ち」では、「父親の存在」が、最後まで重要な意味を持っていましたね。

この第十七回「長良川の対決」では、もうひとり、まったく違うかたちの「父親像」も描かれていました。
西村まさ彦さんが演じた明智光安です。

光秀の父の弟として、亡き兄にかわって明智家の当主だった明智光安です。
ドラマの中でも、光秀をあたたかく見守る父親のように描かれていました。

第十七回では、敵が迫る明智城で、家督を光秀に譲ります。
そして、光安は、光秀に、「父親の声だと思って聞け」と言います。
「逃げよ、逃げて、逃げて、生き延び、明智家の主として、ふたたび城を持つ身になってもらいたい」。

* * *

ドラマの中で、道三と、光安は、自ら「死」の道を選択した老兵となりました。

前回コラムでも、武士の「死」の考え方について少し書きましたが、おそらく、この時代はめずらしい考え方ではないと思います。

地位や名誉の大きさに違いはあっても、戦国時代の人間の「生きること」、「人生の結実」の理想のひとつが、ここにあるようにも感じます。
現代人には、なかなか実行できないものでもありますね。

こういうシーンは、毎年の大河ドラマで「つきもの」ですが、毎回、涙しそうになりますね。
役者さんたちは、こういうシーンを演りたいでしょうね。


◇新しい地へ

ドラマの中で、光安以外の明智家の人々は、落ちのびて生きる決心をします。

石川さゆりさんが演じる、光秀の母の「牧」も、「天城越え」ならぬ、「♪光秀と越えたい『白山越え』」。
石川さんも、次回そろそろ…。

光安の子の左馬助(さまのすけ)は、後の明智秀満。
伝吾(でんご)は、後の藤田行政。
今回の「長良川の戦い」の描き方から想像するに、この二人も、ドラマの中で、いつか華々しく散るのでしょうね。

まだ、あの斎藤利三(さいとう としみつ)が登場してきませんね。
光秀の最重要側近のあの人物です。
「長良川の戦い」の時も、すでに近くにいるはずですが、ドラマには出てきていません。

その後の斉藤家の運命を左右し、秀吉を天下人に導く竹中半兵衛は、まだ10歳くらいのはずで、すぐ近くの地域に暮らしていただろうと思います。
利三と半兵衛は、どんなかたちで登場してくるのでしょうね…。

* * *

物語の舞台は、次回から、美濃国から、越前国(今の福井県北中央部)と尾張国に移りそうです。
光秀は、美濃国に、いつ、どんなかたちで戻ってくるのでしょうか…?


◇消えても、死なないもの

今回のコラムの冒頭で、マッカーサーの演説「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」のことを書きました。
道三と光安…、ふたりの老兵は、その身体は消えても、まさに、この世に生き続けるような「魂」を残していきました。
「消えても、死なないもの」を。

まるで、「見えなくとも、くるもの」のようですね。

* * *

「麒麟がくる」は、私の周囲でも、巷(ちまた)でも、老若男女、近年 稀にみる人気です。
視聴率以上の何かを感じています。
「本木道三」の大人気には驚かされます。

今回の大河ドラマの回数減は、光秀でなくとも「無念じゃ~」と言いたいところです。

クオリティを下げることなく、最後まで描いてほしいものです。
「麒麟がくる」のを信じて、待ちたいと思います。

大河は、消えても、流れ続ける。

* * *

コラム「麒麟(17)」につづく。


(追)写真にあるものは、「マッカーサー・パイプ」です。


2020.5.12 天乃みそ汁
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