「映像&史跡 fun」は、映像・テレビ番組・史跡・旅・動画撮影のヒントなどをご紹介するコラムです。


昭和生まれっぽい発言しろ

【概要】ツイッターの世界。ジルバップの世界。ソニーの世界。昭和は「競争」。新しい文化創出。ウォークマン。ジャック&ベティ。


今、日本でも米国でも、何かとお騒がせの「ツイッター」ですね。
深刻な問題まで、発生させています。
とはいえ、50歳以上になると、とたんに利用者が少なくなります。

50歳などとっくに超えた私も、つい最近、試しに手を出してみました。
なにしろ、何かを「つぶやく」という行為を、まず、してこなかった中高年世代の男です。
語るなら、しっかりと…、無駄グチをたたくな…、クチは災いのもと…、そんな教育を受けてきた昭和世代です。

はっきり言うのか、言わないのか、相手がいるのか、いないのか、きっちり説明するのか、しないのか…、判然としない中での、ツイッターデビューです。
とにかく使用できる文字量が少ないのが、このコラム(ブログ)とは決定的に違います。
短い言葉で、ほとんど吐き捨て…。
言いっ放し…。

* * *

とはいえ、出会いたい人、自身が求めている人を、見つけるには、ブログもツイッターも、非常に便利で有効ですね。
「ハッシュタグ」とは、非常に便利な機能です。
思わぬ、新しい出会いもたくさんありますね。


◇昭和生まれっぽい発言しろ

私自身は、まだ手探り状態のツイッター利用者なのですが、ひとつ、はまっているものがあります。
ハッシュタグ「#昭和生まれっぽい発言しろ」です。

このテーマで、意見やら写真やらが、大量にツイッターでつぶやかれているのです。
この内容が、実に面白い。

なつかしい写真や言葉を、思い出させてくれるのです。

昭和生まれですから、少なくとも、このハッシュタグに反応する利用者は、30歳以上でしょう。
ですから、10代や20代の若者にありがちな、分別の無い言葉はない気がします。

そして、短い言葉の中に、さまざまな思いが込められているのです。

これなら、私も参加できそうだと感じ、最近、昭和世代ならではの「つぶやき」を投稿しています。
それを、今回、このコラムでも披露させていただきます。

私は、根が長文書きなので、ツイッターでも、文章にしてしまいがちです。
このコラムに掲載するにあたり、ツイッターの文字数では書けなかった言葉や文章を加えました。
若い世代向けに、若干の注釈も加えました。

* * *

実は、この短文の投稿作業は、仕事の気分転換や、「頭の体操(この表現も昭和世代?)」にもってこいだということも、わかりました。

「#昭和生まれっぽい発言しろ」…、この言い回しも好きです。

昭和生まれなら、昭和生まれらしく、つぶやいてやろうじゃないか…。
昭和のことなら、任せとけ…。

昭和の事なら、押せば命の泉沸く…てなもんや三度笠!
どっこい庄一、よっこい庄一!
けっこう毛だらけ、猫、灰だらけ!
今じゃ、東京中野は、まんだらけ!
おっと…、がってん承知の助!
底なし、銭なし、女なし…、酒なし、飯なし、家もなし…、甲斐性(かいしょう)もないときた!

昭和時代の表現力や流行は、まさに底なし…、自由奔放そのもの。
これからも、たまに、昭和時代を思い出し、楽しく書いていこうと思っています。


以下は、「#昭和生まれっぽい発言しろ」に、私が投稿した内容で、このコラム用に、若干の修正と追加をしています。


◇教科書から消えた歴史

1192鎌倉、645大化の改新、士農工商、仁徳天皇陵、足利尊氏像、聖徳太子…。
みな消えた。

注:昭和時代に教育現場で教えられていた、それぞれの内容は、いろいろな理由で変更、削除されていきました。


◇アプリ

昭和時代の終わり頃、「アプリ」と言っても理解されなかった。
ノートPCを見て、その箱は何をするものとよく聞かれた。
ポケベルなら知ってると言われた。
「携帯電話」vs「PHS」の大戦争が起きていた。
「MS-DOS」が「ウインドウズ」に進化する頃の、「イケイケ」時代のお話し…。

注:スマホへの進化、インフラ環境整備により、「アプリ」は今、全盛期をむかえましたね。


◇御用聞き

一日おきに、お豆腐屋さんが玄関をたたいた。
金物のボールや、たらいを持って行き、お豆腐を受けとるのは、子供の役目。
お豆腐屋さんが、酒屋と同じ曜日に来ることは絶対になかった。
いつしか彼らは、玄関ではなく、勝手口の扉を、勝手にたたくようになった。
彼らは、各家の主人の給料日も、味の好みも、よく知っていた。
富山から年に一回やって来ていた「薬売り」が、来なくなったのはいつ頃だったろうか…?

注:「御用聞き」とは、各家に注文を伺いにくる人たちのことで、今の訪問販売員にも近い存在ですね。
昭和の時代、お豆腐屋さんは、直接商品を持って、各家にやって来ました。
牛乳を届けてくれるお店は、今もありますよね。


◇白熱電球

私が「便所の100ワット」と言われなくなったのは、いつ頃だったろうか…。
真っ白ではない、少し黄色みがかった温かい電球の光。
無駄な明るさではなく、やさしい明るさなのだ。
わが家では、40ワットにまで減らされた電球が、トイレで、まだまだがんばっている。
おそらく、最適な明るさで…。

注:「便所の100ワット」とは、無用の長物、無駄使いの意味で、昭和の時代によく使われた言葉表現です。


◇温かいご飯

ご飯の保存が、木製のおひつから、花柄の保温ジャーに変わり、炊飯器と保温ジャーが「ドッキング」したのには、相当に感動した。
本当に腰を抜かしたのは、電子レンジの登場!
ラップなる薄いペラペラにも仰天!ナニコレ!
戸棚に残された、冷たくカチカチのご飯やおかずが、生き返った。
平成以降、これほどの感動はまだない。

注:宇宙開発全盛期の昭和時代、ドッキング(合体・接続)という言葉もよく使われていましたね。昭和の時代に、保温ジャーや魔法瓶(お湯のポット)はみな花柄が大流行でしたね。フラワームーブメントとは関係ないと思いますが、頭の中がみな、花満開だったのか…、それとも何かを求めていたのか。
電子レンジが来てから、わが家では、「冷や飯」という言葉が消えました。


◇ハエ獲り紙

部屋の天井から吊り下げられた「ハエ獲り紙」が、顔にペタッ…。
その日が一日中、憂鬱(ゆううつ)になった。
ハエ男になった気持ちで一日を過ごした。
蛍光灯のひもに結ばれた長いひも…、これに首でもからまろうものなら、引きちぎらんばかりに、もがいた。
長いひもに、からんでやった…。

注:「ハエ獲り紙」とは、粘着剤を塗った長いガムテープのようなもので、直接、ハエを捕獲したのです。
今は、ハエがこないような薬剤のものを吊るしますね。わが家にも、たくさん吊り下げられています。でも、ぶつかることはありません。昔のように、瞬時に首をひねることもなくなりました。


◇銭湯

銭湯に行くと、そこにはケロリンの桶、貝印のカミソリ、タマゴシャンプーがあった。
親父には、MG5(エムジーファイブ)か、う~んマンダム!
柳屋のポマードもあった。落語家ではない。
お楽しみは、明治牛乳、森永マミー、プラッシー、ミリンダ、バヤリース…。
銭湯はワンダーランドだった。


◇水飲み鳥

今でも、時々、「水飲み鳥」のおもちゃを見たくなる時がある。
どうして、シルクハットをかぶっていたのか…?
「砂時計」を意味もなく眺めていた若い頃を思い出す。
そういえば、ヤシの木のおもちゃも、多くの人が持っていた。
鳥、砂、ヤシ…、南国にあこがれていたのか?

注:昭和の時代、喫茶店のテーブルによく、コップの水をお辞儀をしながら飲む鳥のおもちゃが、置いてありました。
空前の大ヒット商品でした。
「水野みどり」というお名前の方…、結構、からかわれたようです。


◇チョークレバー

私は、1970年代まで自動車に装着されていた「チョークレバー」が嫌いではなかった。
プロレスの「チョーク攻撃」と意味は同じ。
エンジンを始動させるため、ドライバーが自動車にしっかり手を貸す行為なのだ。
さあ、エンジンよ、かかってくれ!
現代のような、すぐにエンジン点火では、一体感は感じない。

注:昭和時代のある時期までは、ハンドルの下あたりに、チョークレバーがついていました。冷たい空気を遮断する装置です。今はオートチョーク(自動)が当たり前。


◇まさかの録音方法

家族に、「静かにして…しゃべっちゃダメ」。
家族団らんの時間が、緊張の沈黙の瞬間に変わる。
テレビのスピーカーの前にラジカセを置いて、テレビ音声を録音するのである。
デジタルでも、アナログでもない、不思議な録音方法に家族は協力していた。
すごい団結力!
その時、愛犬が ワン!

注:私は、今では信じられない行為ですが、NHKの「名曲アルバム」を、よくこの方法で録音していました。その直後あたりに、赤色と白色のケーブルや、ラジカセやテレビに接続端子が標準装備されていきました。


◇ジルバップ

SONYの歴史的名ラジカセの「ZILBA'P(ジルバップ)」。
初代は1977年生まれだから、43歳。
わが家のジルバップは、声量も落とさず、まだまだ現役バリバリ!
当時の家電品の頑丈さは、現代の比ではない。
商売を忘れた職人魂があった!

注:ジルバップのことは、この後、書きます。

* * *

◇歴史的な名ラジカセ

1970年代から80年代にかけて、「ラジカセ」が大流行しました。
「ラジオ」と「カセットテープ」を合わせて「ラジカセ」です。

ラジカセ自体は、60年代後半には、誕生してはいましたが、音声はモノラル再生で、音質を云々語るような代物ではなかったと思います。
当初、割と貧弱だったラジカセが、音声がステレオ化し、本体が大型化、高性能化したきっかけが、ソニーの初代「ジルバップ」だったと記憶しています。
1977年発売です。
ソニーの「ウォ―クマン」は、その2年後の1979年の誕生だそうです。

ソニー製ですので、性能や音質は言うまでもなく、当時の最高レベルのラジカセでした。
80年代初頭まで、8機種が発売されたそうで、ベストセラー商品として、まさに最高峰のラジカセでした。

個人的には、所有しているということもありますが、性能といい、音質といい、外観といい、初代のものが最高製品だと感じます。
若者には「落ちつき過ぎ」のデザインに見えないこともありませんが、それがソニー製品でした。

* * *

個人的には、妙な電灯表示のメーターやデジタル表示ではない、この針の動きには、感動を覚えます。
スイッチ類の重量感は、今の時代の機器にはまったくない感覚です。
カセットテープをおさめる「ふた」は、瞬間的に軽く開くのではなく、ウォンと音をあげながら、どっしりと開くのです。
これも重厚感の演出のひとつ。
いかにも頑丈で、どっしりとした重厚感は、やはり当時のソニーの雰囲気が漂っています。

その頑丈ぶりは、前述のとおり、43年使っても、まだまだ大丈夫ということでもわかります。
もちろん、一部の劣化部分は修理していますが…。
今は、もちろんカセットテープ部は使用していません。

ラジオチューナー部の見た目は、当時のステレオチューナー級です。
まさに、世界のオーディオ機器の歴史に残る名器だと思います。


なにしろ、今のラジオ放送で、70年代や80年代の楽曲音声を聞いても、最新機器で聞くのと、このジルバップで聞くのとでは、まったく味わいが違うのです。

当時の音楽を、当時のオーディオ機器で聴くときの感動は、最新機器では味わえないような気がします。
これは、テレビなどの映像機器では生まれない感覚かもしれません。

オーディオ専用機器の特性かもしれませんが、その機器から出てくるものは、その当時の音楽だけでなく、当時の空気感や世界観まで再生してくれそうな気がします。

「昭和生まれっぽい発言」と言われようが、いっこうにかまいません。
きっと、平成生まれの若者たちも、いつか同じ感覚になるときが来ると思います。
時代がいくら経過しても、好きだったゲームの感覚は忘れないですよね。
それと同じです。

本当に好きなオーディオ機器は、大事に残しておくといいように思います。
とはいえ、今は、オーディオ機器の、しっかりとした「かたち」がない…。


◇ソニーが生み出した世界

この「ジルバップ」は、当時の若者世代のあこがれの名ラジカセでしたが、妙な名称ですよね。

イスラム教の女性が、顔を隠す布を「ジルバップ」とも呼びますが、その意味ではありません。

音楽や舞踊のスタイルである「ジルバ」からきた造語です。

* * *

当時のテレビCMでは、1950年代のアメリカンポップスを使用しました。
今の若者世代が、70年代や80年代の歌謡曲やポップスを、初めて発見し、喜んで聴いているとも聞いていますが、同じようなことが、当時の50年代ポップスに起きていた気がします。


当時のテレビCM


ダニー&ジュニアーズ「踊りに行こうよ(At The Hop)」


このテレビCMのキャッチコピーが、昭和時代そのもの…。
「ステレオで踊ろう、ジャック&ベティ…、青春が響く、ステレオ・ジルバップ!」

この映像の中で、二人の男女の若者が踊るダンスこそ、「ジルバ」なのです。
音楽は50年代「フィフティーズ」なのです。

この言葉の中にある「ジャック&ベティ」とは、当時の中学生あたりの英語の教科書によく登場してきた、若い男性のジャックさんと、若い女性のベティさんのことだと思います。
初級の英語学習用の、いかにもたどたどしい英会話の登場人物たちです。
まさに、何かを初めて学んで、成長していく若い世代を象徴する二人の若者の名前です。

このラジカセ「ジルバップ」は、そういう若者に向けた商品だったということが、よくわかりますね。

今、このCM映像を見ると、昭和世代としては、泣きそうになります。
当時の若者の気持ちが伝わってきそうです。
この映像のように、当時の若者たちは、外に飛び出していったのです。

* * *

もともと、こうしたラジカセは、家の中で使用することが基本ではありますが、50年代…いわゆる「フィフティーズ」の再来とともに、「踊るシーンにラジカセあり」が定着していきます。
外に、ラジカセを持ち出す人が猛烈に増えていきました。

ジルバップも、初代の格調高めのデザインから、若者が外に持ち出してもいいように、デザインがポップになっていきました。
ラジカセの外観には、迫力や重厚感、注目されるような奇抜さも求められるようになっていきましたね。

よく70年代の映画には、キャップを斜めにかぶった若者が、超大型のラジカセを肩に担いでいるシーンが出てきますよね。
60年代の若者の姿を描いた映画「アメリカン・グラフィティ」のような、「フィフティーズ」や「シックスティーズ」の世界が、70年代に復活し、家の外に音楽を持ち出し、若者が集まっていったのです。

東京の代々木公園の道路に、ラジカセの大音量に合わせて踊る「竹の子族」が生まれたのは70年代後半から80年初頭でしたね。
ラジカセは、そのうちに生バンド演奏にも変化していきましたね。

ソニーは、「音楽を外に持ち出す」という新しい若者文化を創り出したといってもいい気がします。
この良質なステレオ音声のラジカセの誕生がなかったら、こうした文化は生まれてこなかった気がします。
この文化こそ、あの「ウォ―クマン」へと進化していきます。
「ウォークマン」の誕生は、世界中を一変させましたね。

* * *

私も、ウォ―クマンを初めて手にして、街なかを歩いた時の感動を、今でも覚えています。
目に見える街の風景が一変し、何か、新しい世界にやって来たような、その時の感覚は、今でも忘れることはできません。
私には、それが東京新宿の街でした。
あれから数十年経った今でも、新宿を歩くとき、時折、その時の街の風景と、感動を思い出します。
そして、その時の自分自身の姿を…。

こんな素敵な世界観が、世界中に伝わらないはずはありませんね。

* * *

70年代は、世界的にディスコ・ミュージックが大成長していった時代です。
ディスコ音楽には、身体に直接響く、重低音は欠かせません。
音質重視のラジカセがなかったら、その重低音は受け取れません。

クラシック音楽界も、巨匠指揮者が相次ぎ誕生、世界のオーケストラも大型化していきました。

当時のソニーの、時代変化をしっかり認識した、新しい文化創出という発想と取り組みは、まさに新しいソニー時代の到来を予感させるものでしたね。
ソニーは、もちろん「音楽CD」を生み出した企業です。
クラシックも、ロックも、ポップスも、音楽文化へのこだわりは、他企業が肩を並べられるものではありませんでしたね。

当時のソニーのビジネス範囲は、現在のソニーとは少し異なりますが、今でも、新しい文化創出という姿勢は貫かれている気がしています。

当時のソニーは、新しい文化には、品質がしっかり担保された素晴らしい機器類が必要だと思っていたのかもしれません。
貧弱な機器類では、貧弱な文化しか生まれてこないとでも言わんばかりです。

このジルバップにしても、トランジスタ・ラジオにしても、トリニトロンにしても、ウォ―クマンにしても、音楽CDにしても、ベータマックスにしても、VAIO(バイオ)にしても、ハンディカムにしても、プレイステーションにしても、アイボにしても…。

ソニーが創ってきたものは、冷蔵庫や洗濯機、エアコンなどの生活家電や新しい生活スタイルではありません。
それらとは違いますが、人間には絶対に必要な文化意識や、生活の満足感のような気がします。

* * *

とにかく、技術者を尊重し、その技術力を大切にする姿勢も、他企業とは大きく違っていた気がします。

言ってみれば、大昔からある、日本人的な、日本人の意識や社風が、もっともよくわかる企業のようにも感じます。
時に、革新的な製品を生んだり、大胆な行動をするソニーですが、これも理想が高いこそでしょう。

日本人気質は本来、慎重で、命知らずではありませんが、時に、革新的であり、大海を渡る冒険者でもあるとも感じています。

「世界のソニー」となった今、ソニーのこれから先の道が、明るい道なのか、いばらの道なのか…。
でも、崇高な理想を捨てない限り、この日本的な企業は、道が途絶えることはないだろうと感じています。

何より、文化のトップランナーたち…、先端技術を求める者たち…、最高のエンターテイメントを求める者たち…が、世界に存在しているうちは、「とりあえずソニー…」はなくならないでしょう。

私も、人生の中で…、ビジネスで…、どのくらいソニーにお金を落としたかを考えると、少し恐ろしくなります。
私は、ソニーと生きてきたのか…?


◇昭和は「競争」

私の「ジルバップ」は、あと何年、働き続けてくれるのでしょう…。
まさか、彼と競争になるとは、思ってもいませんでした。

実は、わが家のサンヨーの洗濯機も、ジルバップの年齢よりも若干、若いだけで、30歳は越えているでしょう。
彼も、頑丈そのもの、今の時代にないサービス精神いっぱいです。
すご過ぎです。

* * *

昭和の時代は、学校でも、仕事場でも、大量の人間がいました。
私が小学校一年生の時は、ひとクラス60人程度、いち学年は18クラスでした。
校庭もいくつあったやら…。
校舎も知らない場所ばかり…。
校長先生の顔は、遠すぎて、よく覚えていません。

大量の人間がいるということは、ライバルがたくさんいて、同志もたくさんいました。
まさに、昭和は「競争の時代」でした。

平成の時代は、なんとなく競争もしなくなった時代に感じなくもありませんでした。
「助け合い」、「守りあい」、「落伍者へのいたわり」は、もちろん大切な姿勢です。

でも、「競争」は、ある意味、さまざまな人間が「共存」できるかたちでもある気がします。
「昭和生まれっぽい発言」なのかどうかは、わかりませんが、ライバルの存在や、崇高な理想は、人間を成長させることにつながるような気がしてなりません。

トイレに必要な明かりは、40ワットで十分なのかもしれませんが、ここに100ワットの明るさがあれば、何かまた、別の世界が拡がるのかもしれません。
私は、トイレの電球が100ワットであっても、悪い気はしません。

あなたの心にも、十分すぎる明かりを、今だからこそ、灯してください。

* * *

2020.5.31 天乃みそ汁
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