「映像&史跡 fun」は、映像・テレビ番組・史跡・旅・動画撮影のヒントなどをご紹介するコラムです。


昭和生まれっぽい発言しろ(2)
+オート三輪のお話し

【概要】昭和生まれのつぶやき。オート三輪の世界。ミゼットの輪。三丁目の夕日と東京タワー。サザンと稲村ジェーン。飯場のおっちゃんと昭和色。


◇昭和生まれっぽい発言しろ(パート2)

先般、コラム「昭和生まれっぽい発言しろ(1)+ラジカセのお話し」で、ツイッターの中でのハッシュタグ「#昭和生まれっぽい発言しろ」をご紹介しました。
そのコラムで、私のツイートを、いくつかまとめてご紹介しました。

予想に反して、意外に好評でしたので、またまた調子に乗って、書いてしまいました。
今回のコラムは、その続編をご紹介いたします。

「オート三輪」のお話しは、そのツイートのお話しの後に書きます。

* * *

このツイッターのハッシュタグにツイートする方々は、おそらく30歳以上の、昭和生まれの方々がほとんどだと思います。

とはいえ、前回の第一回目のコラムでは、若い方向けに注釈を加えました。

やはり、昭和40年代あたり以降の生まれの方には、注釈がないと、内容が理解しにくいものが多いと、ご意見をいただきました。
今回も、若干、加えておきたいと思います。

でも、筋金入りの昭和世代には、「言わずもがな」ですよね。

* * *

実は、こうした、相手に言わなくてもいいという意味の表現が、平成世代にはなかなか理解できないということが、最近わかりました。
昭和世代の間では、今でも、よく使う表現なのですが…。

ということは、「言わずと知れた」とか「いわんや」、「わが意を得たり」とか「以心伝心」も、言葉表現の意味は知っていても、そうした状況を経験していないのかもしれません。

先ほどの「言わずもがな」には、いくつかの意味があり、使う状況もいく通りかあります。
自分が相手に説明するまでもなく、相手がそのことを理解している状況。
それを相手に言ってはいけない状況。
それを相手に言いたくない状況。
相手がそれを知らないでいる状況に憤慨している状況。
などが、多くある場合です。

この言葉を聞いたら、相手がどの意味で使っているのかを、すぐに理解しなければいけないのです。
「言わなくても、わかるよね」には、相当な数の違った表現が用意されています。
昭和世代は、多くの経験から、そうした表現を身体で覚えていきましたね。
LINEやメールだけでは、なかなか身につけるのが難しい言葉表現なのかもしれません。

これは、昭和世代特有の「玉虫色」の表現にも感じますが、戦いや競争の激しい昭和の時代に、争いをできる限り避ける、ひとつの作法や表現と考えてもいいのかもしれません。
日本だけでなく、英国、フランス、ドイツ、イタリア、中国、韓国などの歴史の長い国には、こうした「玉虫色」の表現がたくさんありますね。

平成世代も、複雑な昭和世代の社会や心情に、どうぞ、ついてきてくださいね。
きっと、あなたたちも、「玉虫色」に少しずつなっていきます…。
それにしても、東京では、本物の玉虫を、もう何十年も見ていない…。

* * *

本コラムは、基本的に「歴史コラム」ですので、歴史や大河ドラマ好きが、たくさん集まってくれていますが、こうした集団であれば、ここは「推して知るべし」という、古風な表現のほうがしっくりくるのでしょうね。
平成世代の方々…、「何をおすの?」と聞かないで…ね。

* * *

ここから、ツイッターのハッシュタグ「#昭和生まれっぽい発言しろ」というテーマに、私が投稿した内容で、このコラム用に、若干の修正をしたものを書いていきます。
前回に引き続き、「パート2」となります。

さあ、始めます。


◇昭和を感じて…

*第二巻、第二幕、第二章、第二編、パート2、vol.2、続、続々、再びの、外伝…、何か、みな昭和っぽい表現。
シーズン2、スピンオフ、アナザーストーリー、サイドストーリー、チャプター、セクション、スペシャル…、何でもいいから、早くやれ!

注:シリーズ化の表現は、時代によってさまざま変わりますね。


*昭和の時代…、「七難八苦(しちなんはっく)を与えたまえ」とよく言った。
そんな数では、到底足りなかった。

注:もちろん、その苦難の数に意味があるわけではありません。平成時代の化粧品のテレビCMにも、この言葉使われていましたね。


*昭和の時代…、「ただ(無料)ほど怖いものはない」とよく言った。
今は、有料でもかなり怖い。

注:昭和の時代は、まだお金を払えば、安心が買える気がしました。


*昭和の時代…、「灯台もと暗し」とよく言った。
だいたい、あんたの家に灯台などあるのか?
「裸電球」では、家の中が暗すぎて、何も見つからない。

注:昭和の庶民の家には、6畳くらいの和室に、安そうな笠のついた「裸電球(黄色い白熱球電球)」が天井から、ひも一本で、ぶら下がっていたものです。部屋の隅っこに、ねずみがいても気がつかないような部屋の明るさでした。


*昭和の時代…、赤ちゃんは、自分の胸の前ではなく、背の後ろ側にいた。
昭和の女性は、首痛に悩まされた。

注:昭和の時代は、お母さんが、おんぶひもで、幼児を背負い、家事に仕事に買い物に、がんばりました。


*昭和の時代、一本歯の下駄で街を歩く人…、まさに鼻高々の天狗に見えた。

注:今は、一本歯の下駄はもちろん、二本歯の下駄を、カランコロンと履く庶民をほとんど見ません。まあ、音がうるせぇのなんの…。


*昭和の時代…、腕っぷしの強い者より、逃げっぷりの上手い者が、たいがい生き残った。

注:昭和の時代は、腕力でも、政治力でも、強い者はやたらに強い。


*昭和の時代…、「逃げるが勝ち」とよく言った。でも、たいてい背中を狙われた。

注:山で、クマに出くわした時と同じ…。


*たまらないもの…、穴あきバケツに、貯金に、色気。
そんな昭和話し…、ストレスがたまる。

注:昭和の時代は、たまらないもの、つまらないもの…、など漫才や落語の、定番ネタがたくさんありました。


*今の街の夜は、昭和時代の色と違う。
自動車のヘッドライトの色が変わったのだ。

注:自動車のヘッドランプの進化はものすごく、白熱電球に似たものから、ハロゲン型、ディスチャージ(キセノン)型、LED型、レーザー型へと進化していきました。それぞれが照らす光の色は異なっていたのです。


*東京丸の内の、かつての東京中央郵便局…今は「KITTE(キッテ)」と呼ばれる商業ビジネスビル。
昭和感いっぱいのお名前。いつかは、意味も通じなくなる。

注:昭和の時代、切手収集は、趣味分野のトップクラスでした。いずれ切手は、歴史の中に消えていくのでしょう。


*「東京タワー、さんざん見たわ」。
一度は、自分のクチで語ってみたい昭和ギャグ。高さ333メートル。

注:個人的には、かつて増上寺にあった五重塔の高さにちなんでいると感じています。増上寺にとっては、東京タワーが、五重塔の代わりなのかもしれません。


*「6月でこの暑さ、8月には100度は超すわ」。
一度は、自分のクチで語ってみたい昭和ギャグ。

注:昭和の時代の、漫才ネタの定番です。


*幹夫さん、幹太さん、幹二郎さん…、たいていの「幹」のつくお名前…、昭和の新幹線とつながっていたりする。

注:昭和の時代、新幹線の開通は、まさに新時代の夜明け。1964年の東京オリンピックに、死にものぐるいで、間に合わせた。日本の鉄道に遅れは許されない。


*昭和の時代は、ポテトチップスを、自宅でスライスして揚げる家庭も多かった。

注:昭和の時代、売っている商品にはない、新鮮さと、この厚みがたまらなかった。


*象さんが本気で踏んだら、たいがい筆箱は壊れる。倉庫の屋根に100人乗ったら…?

注:昭和時代の、サンスターのあの筆箱と、イナバ物置のあの有名なテレビCMのこと。私は怖くて、自分のこの筆箱を踏むことなどできませんでした。


*甘味の好みは、家庭内で遺伝する。クリームソーダ、ミルクセーキ、自家製プリン、自家製ゼリー、鯛焼きのアンコの量…、昭和生まれの父母の好みは、たいがい、そのまま遺伝する。

注:昭和の時代、家族が、同じ甘味をいっしょに食べていたものです。父母がきらいな食べ物は、自然と食卓にもあがらなくなる。


*昭和の時代を特集するテレビ番組…、コメンテイターは、たいてい微妙にズレている。何が…?

注:昭和生まれのコメンテイターたちも、歳をとりましたね。中味も外見も…。


*柳沢慎吾さんの警察無線のギャグに、何か哀愁を感じ始めた。

注:まさか、今の警察官もLINE…?


*昭和生まれのお父さんどうしの会話…、かなりの確率で、ハラスメント!

注:このコラムでも、ヒヤヒヤもので、書けません。


*昭和時代の都会には、ハイヒールのかかとだけが、よく落ちていた。
昭和のドラマの中で、女性はよく裸足でかけていた。

注:昭和の時代、テレビでも、小説でも、歌謡曲でも、裸足の○○が大流行り。みんな、身軽に、素直になりたかった?


*昭和時代の街には、「赤ちょうちん」がたくさんあった。店のカウンターの隅っこで、ポスターの中の美女と語り合いながら、コップ酒だけで過ごす男が、各店にひとりはいた。
ポスターの美女と男の「昭和枯れすすき」。

注:今、平成世代に、「赤ちょうちん」という言葉が何を意味しているのか、わかるでしょうか?
昭和の時代の空前の大ヒット曲「昭和枯れすすき」は、男女の悲恋を描いた歌謡曲です。
「貧しさに負けた、世間に負けた、街を追われた、二人で死ぬ?死なない?」という歌詞です。
そんな「アベック(カップル)」が、赤ちょうちんには、たくさんいました。
そういえば、今の時代の赤ちょうちんには、頭の髪にカーラーをつけたままの、ママはいるのだろうか?


*アマビエの鬼瓦がついに登場した。昭和の鬼瓦魂、シャチホコ魂は、まだまだ健在!

注:先ごろ、アマビエ鬼瓦のニュースを見つけました。まだまだ、日本の地方には、瓦文化が、鬼の形相で残っています。


*昭和のお父さんは、飲み屋で、「帰ろかな、帰るのよそうかな」と帰り際に歌い出す。
そういうお父さんは、梓みちよの「こんにちは、赤ちゃん」を聞いて、たいてい涙を流す。

注:昭和時代の、北島サブちゃんの大ヒット曲「帰ろかな」と、梓みちよさんの大ヒット曲「こんにちは、赤ちゃん」です。
飲み屋から家に帰ろうかな、どうしようかな。でも、生まれたばかりの、赤ちゃんの顔も見たいな。


*尾崎紀世彦のヒット曲「また会う日まで」を好きな昭和の世代は、たいてい、フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」と、谷村新司の「昴」も大好き。

注:昭和の時代の、熱唱型歌手の方々ですね。まさに「歌い上げ」。トム・ジョーンズや、朱里エイコさんも、入れたかったですね。


*昭和の時代の「イージーリスニング」の帝王たちはみな、その呼ばれ方が大嫌いだった。
でも、その名称で、たいていの日本人はイメージできたし、そう呼ばれなければ、その音楽を聴くことはなかった。

注:昭和の時代の、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、フランク・プールセル、カラベリ、リチャード・クレイダーマン、ニニ・ロッソ…、数えきれない。


*昭和のお父さんは、「おかめそば」が、おかめの顔になっていないと怒りだす。

注:昭和の時代、きちんと顔になっていた気がします。たいがい、その食堂のおかみさんの顔だったりして…?


*昭和のお父さんは、冷そうめんに、缶詰のミカンか、サクランボが入っていないと、怒りだす。
中華丼に、うずらの卵が入っていなくても、怒りだす。

注:理由はわかりませんが、昭和の定番。


*昭和のお父さんの娘の二文字の名前は、たいてい、飲み屋に同じ名の娘(こ)がいる。あるいは、同じ名の、なつかしいアイドルがいる。

注:理由はわかりませんが、昭和の都市伝説。


*昭和の世代は、肉や魚の調理の際に、直火か遠赤かに、やけにうるさい。炭火至上主義も…。

注:家にあるコンロの「直火グリル」が嫌いな、昭和のお父さんは少なくない。網で焼け…網で!
やっぱり炭火焼きだよな…、石炭やたばこの世代の、昭和のお父さんの定番の台詞。



*昭和のお父さんは、回転ずし店で回っている、お寿司の皿を見て、ため息をついていた。

注:歯車、ベルトコンベヤー…、昭和のお父さんは、こういう言葉に敏感。高級寿司店に行けるのは、接待の時だけ。


*私は、新品の蚊取り線香の二巻が重なり合っている状態から、二つに分ける時の、あの微妙なチカラの入れ具合と、その一瞬の高貴な香りが大好きだった。
蚊には絶対にわからない、人間だけの愉しみだった。

注:私は、もう何十年も蚊取り線香を使っていません。平成時代も、一度も使っていません。もはや、都会の家には蚊もいない。


*平成世代の皆さん…、「てやんでぃ」とは、何かの記念日ではありません。

注:サービスday、プレミアム・フライデー…、てやんでぃ、すっとこどっこい!


*「引き出し」がないのではない。最初から「机」がないのである。

注:昭和の前半の庶民の子供たちは、能力や知識の蓄積がないのではありません。はじめから、そんな立派な机など与えられていなかったのです。


*昭和世代の古いほう…、成人式の着物の、あの白いフワフワの意味がわからない。

注:今でも、なかなか進化しませんね?


*昭和世代の古いほう…、亡き伴侶の遺影に向かって、「私もそっちに行くからね」が半分、「私は別の場所に行きますわ」が半分。

注:今、ちょっとした社会問題化していますね。死んでからも、姑や旦那と、どうして同じ墓に…。


*昭和世代の古いほう…、テレビの旅番組を見るたびに、「生きているうちに、ここに行くことあるかな~」と、伴侶に話す。

注:旅番組を見ていると、行ってみたいところ、行ってないところだらけ…、多すぎて順番待ち。


*昭和世代の古いほう…、どこの旅先の観光地でも、まずはトイレに向かう。

注:観光バスは、しっかり気を使っています。


*昭和世代の古いほう…、行った旅先のそれぞれで、「これが見納めか」と、内心、思っている。

注:来れただけでも、見れただけでも、ありがたいことです。


*昭和世代の古いほう…、「またお会いできる日を楽しみに…」と言いながら、まずその機会まで生きられないと感じている。

注:意外と、次の日に再会することも…。


*昭和世代の古いほう…、散歩中に、老犬に出くわすと、「俺より歳は上か?」と犬に尋ねる。
「一生懸命に生きろよ」と犬に言う。その言葉は自分にむけてのもの。

注:長生きの老犬が、街に増えましたね。人間と同じ、高齢化 犬社会。


*昭和時代の古いほう…、縦の糸はあなた、横の糸は私…、この斜めの糸は誰だ?

注:中島みゆきさんの名曲「糸」の一節。糸がほつれたり、からまらないように…。見たことない糸だな~。


*昭和世代の古いほう…、旅はまだまだ終わらないと言う。でも、いつかは終わる。

注:この文章を「人生」ととらえた方…、間違いなく昭和世代。


*昭和の世代は、とりあえず、お天気の話しから入る。

注:昭和世代は、しっかり会話術を身につけていますね。会話のおだやかな枕です。
でも、時々、この後に、たいへんなお願い事がまっている。



*昭和の世代は、自転車の後輪の上に荷台がないと、何となく落ち着かない。

注:昭和の世代は、何か損をした気分です。荷物は…、二人乗りは…。
バックミラーは、ウインカーは、かごもないのか。ブレーキやスタンドもないのか。もっと安くしろよ。



*昭和の世代は、電車、バス、飛行機、船が、人生と結びつきやすい。

注:じっくり、ゆっくり、車窓から、自分の過去や未来を眺めていました。
ああ上野駅。あずさ2号。岬めぐり。北国行きで。北ウイング。津軽海峡冬景色。



*昭和の世代…、なんだかんだいって、最終的に「軽トラ」に戻る。

注:すべての人ではありませんが、田舎のジィさまには、クワやカゴも、たい肥やバケツも載せられない「大八車(だいはちぐるま)」はいらねェ!
ベンツ…、どこの弁当ずら?



*昭和の世代…、着物にブーツでは、外に出られない。

注:せっかくの和装なのに、ブーツでなくても…。


*昭和の世代…、いろいろ沁みちゃうの、染みちゃうの、凍みちゃうの。

注:心にしみちゃうの、つい漏れちゃうの、エアコンで冷えちゃうの…。


*昭和の世代は、「ゆく○○、くる○○」という表現が大好き。

注:言わずと知れた、おおみそかのNHKのテレビ番組「ゆく年、くる年」のことですが、これに似た表現は、今でも山のようにありますね。
昭和世代は、去るもの、来るもの…「一期一会」が大好き。



*「手の冷たい女は、心が温かいの」…、昭和女性の猛アピール!

注:歌謡曲「忘れていいの」の歌詞に、「指先の冷たい女は、おくびょう者だから…」というのもありましたね。ほんとうなのか?


*昭和の世代は、プロ野球の野球場を、「甲子園」を除いて、たいてい「ドーム」か「球場」としか呼ばない。
だいたい、正式名称を覚えるのを放棄している。

注:今は、命名権(ネーミングライツ)の売買によって、野球場や大型施設の名称がコロコロと変わりますね。それも、よくわからないカタカナ名。せっかく覚えても、次の年に変わっていたりします。


*昭和の世代は、今のプロ野球球団を、昭和時代の球団名に置き換えないと、何となく、しっくりこない。

注:ついこの前まで、横浜ベイスターズを大洋と呼んだり、西武を西鉄と間違える人が、結構いました。聞かされているほうも、置き換えに忙しい。
楽天が、もともと、どのチームだったのかも忘れてしまいました。イニエスタは神戸で、オコエは仙台、梨田さんはどこにいたんだっけ…?



*昭和の世代は、お金を落として拾うと、お金に頭を下げる。スポーツ選手は、競技場やグラウンドに頭を下げる。

注:お財布を地面に落として拾う時、その人の行動を見ていてください。野球選手やマラソン選手の行動も…。


*昭和世代の多くは、お城の敷地は、桜の花見のために存在していると思っている。

注:「平和の時代」のお城の新しい姿です。戦乱の世よりは、マシか…。


*昭和の世代は、「氷点」も、「笑点」も、大好き。

注:昭和の時代、三浦綾子の小説「氷点」が空前の大ヒット。それにあやかって、立川談志が、自分のテレビ番組に「笑点」と命名しました。
もちろん、今でも放送している番組「笑点」のこと。



*昭和の世代は、「足湯」に、まだまだ抵抗感を持つ人がいる。温泉とは別もの…。
「マイ・スリッパ」を信じている。

注:昭和の時代は、足の病気「水虫」が大流行り。スリッパでも共有しようものなら、すぐに感染です。
今では、水虫薬のテレビCMを見なくなりました。
でも、「マイ・スリッパ」持参の旅行者は少なくありませんね。「マイ枕」も…。



*昭和の世代は、モノをはめ込むような機構システムを、「カセット」と呼びたがる。

注:昭和の時代、音楽用のカセットテープは代表格。カセットコンロ、カセットボンベ、カセットデッキ…。
平成世代は、「カセット」という名称のもつ、独特な現象の意味を理解できるでしょうか?


*昭和の世代には、「指きり」をして、小指を骨折した人が少なくない。

注:今は、幼稚園くらいでしか、「指きり」を見たことがありません。サインや印鑑さえ、消えていきそう…。


*昭和の世代は、「スポーツ系青春ドラマ」にその気にさせられた。
オリンピックやスポーツ文化に、どのくらい貢献したのか?
そのドラマの主役俳優は、今でも当時の役名で呼ばれる。

注:野々村先生(夏木陽介)、河野先生(村野武範)、沖田先生(中村雅俊)、ほかにも竜雷太、浜畑賢吉…。
「ヨシカワく~ん」と叫んでいた学生の森田健作さんは、ずいぶん後に、政治家の先生に。今は千葉県知事。
60~70年代の青春学園ドラマは、その後も、膨大な数の、学校を舞台とした青春ドラマを生んでいきましたね。


*昭和の世代は、「民衆」、「大衆」、そして「皆の衆」という言葉が大好き。
そして、思わず両腕を広げる。

注:「皆の衆(みなのしゅう)」とは、昭和時代の、村田英雄さんの大ヒット曲。歌詞の冒頭が、「皆の衆、皆の衆」で始まります。
昭和の時代の、会社や団体、町内会や親族会などの会合では、その長老たちが、まずは「皆の衆」とあいさつが始まることが少なくありませんでした。
長老の話しを聞いているふりをしながら、「皆の衆」を心の中で歌っていた人も多かったはず…。
村田さんは、この歌では腕を広げるアクションをほとんどしなかったと思いますが、なぜか、そのようなアクションを思い出させる村田英雄さんと三波春夫さんです。



*昭和の世代は、カナと漢字の名前をすぐに覚える①。
アントニオ猪木、ジャイアント馬場、ジャッキー吉川、トニー谷、松尾ジーナ、キャロライン洋子、山本リンダ、ペギー葉山、フランキー堺、ハナ肇、ミッキー吉野、マイケル富岡、カールスモーキー石井、プリンセス天功…。

*昭和の世代は、カナと漢字の名前をすぐに覚える②。
サンプラザ中野、ラッキィ池田、ルー大柴、ポール牧、マギー司郎、デーブ大久保、パンチ佐藤、パンチョ伊東、プリティ長嶋、パパイヤ鈴木、ドン小西、イッセー尾形、クルム伊達公子、滝川クリステル…。
今も同じ。

注:カタカナだけ、漢字だけ、ひらがなだけ…、よりも、なぜか頭に残りやすいお名前ですね。
理由はわかりませんが、昭和だけでなく、今でも非常に多い芸能人の名前のパターンですね。今では、地名や建物名も…。



*昭和の世代に、ドラマの中の刑事や警察官は…と尋ねたら…、それは皆、人情派!

注:「かつ丼」食うか?


*昭和の世代に、「フレンチ・ポップス」といったら、あの歌手、あの曲…。それ以外にない。

注:シルヴィ・ヴァルタン、フランス・ギャル、ミッシェル・ポルナレフ、アダモ、ジェーン・バーキン…。
サッカー界で「シェリーにくちづけ」が、復活大流行した時期は、たしかに、フランスチームは最強だったですね。
「イエイエ」のレナウンは、フレンチポップスのように、突然、息を吹き返えせるのだろうか?



*昭和の世代と、テレビ東京は、「サテライト」という言葉が大好き!

注:テレビ東京では、朝・昼・夕・夜に、「サテライト」が飛びます。個人的には、この昭和の「こだわり」が好き。


*昭和の世代のお父さんの、親父ギャグや、ベタなダジャレの裏側には、脳の衰えとの激しい攻防戦という現実が隠れている。

注:まだまだ、回路も、センスも、イケてるのか?


*昭和の世代は、とりあえず、「急がば回れ」が好き。
でも、昭和の時代に、たいはんの人は大遅刻。

注:超スピード優先の猪突猛進(ちょとつもうしん)の昭和時代。ついてこない奴は、おいていく。
じっくり考えて、遠回りしていたら、皆においていかれる…、そんな昭和時代でしたね。


*昭和の世代は、とりあえず、「大は小を兼ねる」が好き。
でも、たいがいは、大き過ぎ。

注:とりあえず、でかいほう…、テレビ、自動車、家、ビル、施設。人も多かったですし…。


*昭和の世代は、人の集団を「〇〇族」と呼びたがる。

注:太陽族、みゆき族、アンノン族、カミナリ族、暴走族、親指族、竹の子族、クリスタル族、ローラー族…、日本は部族の集合体なのか?
今は部族が皆いなくなって、相当な数の「○○系」…新幹線みたい。



*昭和の世代は、「この、タコ!」が、まだ通用すると思っている。
なんとも「ハハ のん気だね~」の、「ヤッコさん」たちである。

注:昭和時代には、タコ親父、タコ野郎、タコ社長…、たくさんのタコがいましたね。
そういえば、宴会で「タコ踊り」をするサラリーマンもいましたね。



*昭和世代の言葉「いろいろあって…」の半分は、本当は大したことではない。
でも、半分は、相当に深刻。

注:戦前・戦中世代の「いろいろあって…」に、あまり深入りして話しを聞くことはできません。
いつの時代も、あまり話したくないことは、たくさんありますね。


*昭和の世代は、就活で、やる気と好感度を見せれば何とかなると思い込んでいる。
また、実力さえあれば、何とかなるとも思い込んでいる。
何とかならない。

注:今は、人生で第二の就活期をむかえる、定年退職組も少なくありません。時代変化についていけるのか?


*中元、歳暮、飲み会、カラオケ、ゴルフ、冠婚葬祭、慰安旅行…、昭和の時代は、これ見よがしの上司へのご機嫌取りの機会がたくさんあった。
平成世代は何を使って出世しているのか?

注:年功序列、終身雇用は、ある意味「守られた社会」。仁義なき「立身出世」の戦いは、相当な知恵やチカラが必要になりそうですね。


*昭和の世代には、プロのサラリーマンという職業があると思っている人が少なくない。

注:第二の就活で、課長ならできる、部長ならできる…と、真顔で語る定年退職組が、本当にいるそうです。


*昭和の世代は、業界専門用語やカタカナ用語が、何となくカッコいいと思う人が多い。
でも、本当に賢い人は、もっとも、人にやさしい言葉を使う。

注:論点の不明瞭化や入れ替え、相手の不明瞭で不十分な理解への誘導、議論の時間稼ぎ、博識風、都会的…、和製英語や、英語への変換は、時に都合がいい。
要は、自身の語彙力不足か、相手にしっかり内容を理解してもらっては困るのだ。
今は、不思議な「たとえ話」も増えてきた…。


*昭和の世代は、「考えるな、感じろ」の言葉の裏には、相当に考え抜いた経験が必要だと、わかっている。

注:ブルース・リー主演の映画「燃えよドラゴン」により、この言葉が好きな昭和世代も多いですね。
ブルース・リーが、あの域になるまで、どれほど練習したことか…。


*昭和の世代…、新型コロナ問題は、金でなんとかなると思っていた。
やっと、そうでないことに気づいた。

注:ノーコメント。


*昭和の世代…、お互いの病気談義は、最良の妙薬。
いつしか、自分のほうが症状が重いと、優越感を感じるようになる。
本当は、逆である。

注:お互いを、なぐさめあい、助け合うのはいいことですね。
その悲しみや苦労を、互いに話すことで、何らかの癒しになるのであれば、たくさん話してください。
でも、間違った方向の競争心は、時に身体によくない。
競争大好きの「昭和世代」は、気をつけましょうね。



*昭和の世代は、さすらい、とまどい、まなざし、たそがれ、うつろい、という言葉に弱い。

*昭和の世代は、名前のない…、言葉にならない…、無名の…、無言の…、という言葉に弱い。

注:小説、テレビ番組、歌謡曲の歌詞…、たくさん出てきましたね。


*昭和の世代は、コーヒーのなつかしいCMの曲を耳にすると、たいてい遠くを見つめる。

注:年齢に関係なく、知らぬ間に、コーヒーが大好きになっている日本人はたくさんいますね。
いつから砂糖いっぱいの、甘いコーヒーを飲まなくなったのか?
昭和時代の有名なコーヒーのテレビCM…、あんなに甘く切ない楽曲ばかりなのに…。
甘く切ないのは、本人の思い出のほう…。



*昭和の世代は、アリとキリギリスの話しに共感しながらも、裕福で長生きしたキリギリスもたくさん見てきた。
いつしか、別の昆虫探しに向かった…。

注:昭和の世代は、アリでもなく、キリギリスでもない、別の生き方を探していましたね。


*昭和の大半のお父さんたち…、「今にみてろ」と言いながら、誰にも見向きもされなかった。
見返すこともできなかった。でも、がんばった。

注:昭和の世代は、自分自身の中の、何かと戦う人が少なくなかったですね。いろいろあって…。


*昭和の世代は、訃報を報じる有名人が、自分より年下だと、かなりあせる。
自分より年上だと、ほんの少し安心する。
それは年齢順でなどないことを、すっかり忘れている。

注:昭和の世代は、順番が好き、並ぶのが好き。何かちょっと安心する。


*「明治は遠くなりにけり」は死語となった。
今、「昭和は遠くなりにけり」ということを忘れてはいけない。
私たちは、遠くからやって来た客人…?
それとも、未来への水先案内人…?

注:「明治は遠くなりにけり」は、昭和時代の有名な流行語。
明治時代の人々は、ある意味、昭和や大正時代よりも、自由で、パワフルで、発想の豊かな人が多かったような気がします。
今は、ほとんど明治生まれは残っていませんね。


以上。

* * *

…昭和生まれは、空気を読み合わなくても、共感しあう。
おそらく、たぶん、きっと、ひょっとして、願わくば…。

昭和世代は、こんな「大から小へ」、「強から弱へ」の表現も、使ったりしますね。

少し前に、若者たちのあいだで、「語彙力(ごいりょく)」に関する書籍がブームになっていたそうです。
古い時代の、言葉表現や、用語を探しているようです。

現代の若者も、何かをより繊細に表現したくて、何かをしっかり理解してもらいたくて、仕方ないのかもしれません。

これからも、本コラムでは、昭和生まれっぽい古い言葉と表現を、願わくば、少しずつ書いていきたいと思っています。


◇昭和の輪

ここで、「オート三輪(さんりん)」に関する、「昭和ツイート」を…。

*昭和のオート三輪…、ぬかるみにはまって、さあたいへん。

「オート三輪」…若い世代の方々には、聞きなれない言葉かもしれません。
この「オート」とは、この場合、自動車の意味です。
「三輪」とは、三本のタイヤ(輪っか)の意味です。
「オート三輪」が初めから正式名称だったかは、よくわかりません。

オート三輪は、幼児用の三輪車のように、三本のタイヤに、自動車エンジンがついている乗り物です。
昭和の特定の期間に、大活躍した自動車です。

もう少し、しっかり説明しますと、1930年代から1960年代にかけて、栄枯盛衰をくりかえしながら、日本の成長に大きく貢献した小型車両です。
1930年は昭和5年、1960年は昭和35年です。

ちなみに、「太平洋戦争(大東亜戦争)」は1941年から1945年まで、「日中戦争」は1937年から1945年までですから、オート三輪の歴史は、日本の昭和の戦時と、丸かぶりといえます。
1950年から1953年の「朝鮮戦争」(現在、休戦中)は、日本の運命にも大きく影響しましたが、オート三輪の歴史はそれにも絡んでいます。


◇オート三輪の長所と短所

「オート三輪」は、大人が乗る「大きな三輪車」です。
車両の前方に、一本のタイヤ(輪)があり、後方に二本のタイヤ(輪)があります。
その逆のケースの車両が登場するのは、ずっと後のこと…。

今、四輪の自動車を運転するときは、曲がるときに、内輪差を考えながら運転しますね。
想像してみてください。
三輪だと、どのくらい小回りがきくか…。
内輪差もへったくりもありませんね。
とにかく、小回りがきくのです。

それに、タイヤが一本ないだけで、どれだけ製作コストが下げられるでしょう。
購入価格も安くすみます。
当初の販売価格は、国が価格を決めていましたが、いずれ自由価格競争の波に飲まれていきます。

* * *

こうした「オート三輪」は、ものすごい小回りの良さ、コストの安さではありますが、三輪ゆえに、四輪よりも、はるかに足腰が安定しないのです。
運転を誤ると、すぐにコケる(前方のどちらかの方向に傾いて倒れる)のです。

その運転者には、今の自動車やバイクとは異なる、ハンドルさばきと、ブレーキのタイミングが求められたのです。
急ブレーキを踏もうものなら、いったいどんなコケ方をしたのでしょう…。
それに、後方の荷台に、相当な量の荷物を載せようものなら、カーブの時に、前輪が浮き上がりそうです。

昭和の戦後の時期までは、舗装されていない道が多く、路肩は土が盛り上がっていたりします。
もともと、道路もガタガタです。
オート三輪が、いくら悪路に強いとはいっても、運転者の技能にゆだねられている部分は小さくありませんでした。

私は、古いドラマの中で、オート三輪を皆が人力で起こしたり、ロープを使って、田んぼに落ちたオート三輪を引き上げるシーンを見た記憶があります。
実際に子供の頃、田んぼの横の道路で、倒れているオート三輪を見ています。

* * *

こうしたオート三輪の構造上の安定性のなさでは、高速運転など、到底不可能です。
ですが、四輪にない強さも発揮します。

運転技量さえ身に付ければ、未舗装のガタガタの道路や、狭い山道などでは、四輪よりもはるかに優れた「力感(りきかん)」を発揮したのです。
当時の自動車の車輪のサスペンション技術など、今とは比べものになりません。
車輪が三つであるという特性を活かせれば、悪路には有利にはたらいたのです。

* * *

コケやすくて、高速はむり、でも悪路に強く、価格が安い…、これがオート三輪の最大の特徴でした。
ですから、この車両は、ドライブなどのレジャー使用には、到底、無理です。
工事現場、鉱山、森林、山道、物資の運搬…、そうした場所が、オート三輪の活躍する場所でした。


◇オート三輪の歴史

ごく簡単に、その歴史をご紹介します。

当初は、オートバイにリヤカーをくくり付けたような、かんたんな構造でしたが、エンジンの排気量は、350 ccから、段階的に大型化し、最終的には2000 ccクラスにまで大型化します。

初期は、無免許でも運転できるような、簡易的な荷物運搬車両だったものが、軽自動車、軽トラック、小型トラックへと急速に成長していきます。

戦前の、簡素な初期型モデルは、世の中で大活躍しますが、太平洋戦争に入り、自動車メーカーはみな、軍需関連の兵器製造を行うため、オート三輪製造をストップさせます。

戦後になり、1949年の「ドッジライン(財政金融引き締め政策)」により、日本は大不況下に入ります。
もともと、その頃は、日本のゼロからの戦後復興期です。
モノや金、人は不足でも、日本の復興として、やらなければならない仕事は山ほどありました。

1950年に朝鮮半島で戦争が始まり、日本はそのお隣で、大経済成長期に入ります。
日本は、朝鮮半島に向かう米軍の前線基地の役割を果たします。
大量の物資運搬、関連製造など、いわゆる「朝鮮特需」が起きます。

1940年代から1950年代は、もともと、安くて便利な「オート三輪」が大活躍できる土壌が、日本にあったのです。
戦後、「もっと、性能のいいオート三輪を…」。
そんな声とともに、オート三輪は、ますます進化・成長をしてゆくのです。

恐竜の進化でいえば、ひ弱な小型恐竜から、そのうちに、ティラノサウルスや、超大型のブロントサウルス、翼竜まで登場してくるのと似ています。
そして、ある時に、急速に絶滅に向かうのです。

* * *

いわゆる日本の「高度成長期」とは、1954年から1970年の間の経済成長期のことです。
この間、「神武景気」、「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」という、好景気時代が連続してやってきます。
世界から、「日本の奇跡」と呼ばれる、戦後復興の時代です。
庶民の給料はうなぎ登り…、その後の好景気は、さらにすごいですが…。
日本人が浮かれ出すのも仕方ありません。

そんな長期にわたる高度成長の裏で、大型化しすぎた「オート三輪」は、役目を終えるように、歴史の中心から遠ざかっていくのです。

1965年には、三輪車運転免許制度が廃止され、時代は、小型・中型・大型の四輪トラックの大輸送時代に入っていきます。

日本では、高速道路が次々につくられていきます。
高速道路を走れない自動車は、自動車ではない…?

各自動車メーカーは、戦後復興期を乗り越え、生産体制や経営が安定し、トラック、バス、そしてレジャー用の自家用車を、世の中に豊富に提供できるようになりました。

* * *

「オート三輪は、もう、いいよ…」。
こんな声が広がりはじめた1950年代後半、オート三輪は、最後の逆襲に転じます。

大量物資輸送には、ある程度以上の荷物を一度に運ぶのが有利なのは当然です。
かといって、世の中には、少量の荷物、ある程度急いで届けるという、需要があります。
「オート三輪」は、そこを見事についてくるのです。

1957年、あのオート三輪の名車…、ダイハツの「ミゼット」が登場してきます。
他メーカーも、同じくらいのかわいい小型サイズのオート三輪を、次々に登場させます。
今でいえば、「軽トラ」や軽自動車の「ワゴン」のような存在です。

最終的に、オート三輪の積み荷は、1トンから2トンあたりが中心になり、一方、この小型サイズが人気でした。
いずれ、安全性や経済効率の高い「四輪軽自動車」や「軽トラック」、中型・大型トラックに、その座を奪われていきますが、最後の花火をこの時期にあげるのです。
1972年には、ダイハツが最後の生産を終了し、オート三輪はそれまでに製造された車両のみが、日本に残されました。


◇かわいい「ミゼット」

数ある「オート三輪」の人気車両の中で、おそらく一番人気は、ダイハツの「ミゼット」でしょう。
マツダのオート三輪も、フロント部分のかわいい「カエル感」は、よく似ています。

1990年(平成2年)に大ヒットした映画「稲村ジェーン」にも、「ミゼット」は登場してきた車両ですね。
映画「稲村ジェーン」は、サザン・オールスターズの桑田佳祐さんが監督した映画で、加勢大周(かせたいしゅう)さんが主演しました。
サザンが歌う主題歌「真夏の果実」も大ヒットしましたね。
ずっと、昭和の映画だと思っていましたが、平成の時代の映画でした。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でも、堤真一さんが演じる、自動車修理工場「鈴木オート」の社長が、ミゼットに乗っていましたね。

ジブリ映画「となりのトトロ」に登場する「オート三輪」は、ミゼットではなく、もう少し大きなオート三輪でした。
たしか、引っ越し荷物か何かを運搬していたと思います。

いかに多くの昭和世代の方々が、「オート三輪」に愛着を感じていたかが、よくわかります。

* * *

ミゼット…、なんとも、かわいらしいスタイルとお顔…。
街なかを走る、かわいいカエルのようでした。


◇「飯場のおっちゃん」と「昭和色」

ほかに、多くの道路で見かけたのが、まさに、ねじりハチマキの「飯場(はんば:昭和時代の鉱山労働者や土木作業員用の休憩場や食堂、宿泊施設のこと)のおっちゃん」が運転していそうな、ごつい面がまえの、マツダの車両「Tシリーズ」です。

ミゼットのようなかわいさは、まったくありませんが、いかにも昭和の一時期に、日本の「高度成長」をチカラ強く支えてくれたトラック車両の雰囲気でした。

あの独特の青色系の塗装も、今の時代にはありえないような色です。
ミゼットの不思議な黄緑色や、薄い水色もそうですが、昭和のある時期までは、きっと高品質ではない、あの深みのない塗装色は何だったのでしょう…。
「パール〇〇」などの塗装色は、昭和でも、ずっと後半の時期の登場です。

あの昭和のある時期までの塗装色…、実に味わい深い、「ベタ感」いっぱいの忘れらない「昭和色」でしたね。


◇まさかの再会

私が最後に、博物館などではなく、現役で使われているオート三輪を見たのは、今から30年程前が最後でした。
その時にも、もう何十年か見ていなかったため、まだ現役で走っていたことに衝撃を受けました。

それは、マツダの「T2000」あたりだったと思います。

大阪市の湾岸地域にある此花区には、日本有数の大企業の工場があります。
今は、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)になっている場所にも、大きな工場がありました。

とある大企業の工場に仕事で行ったときに、その敷地内を走る大型の「オート三輪」とすれ違ったのです。
思わず、「まさか…」と、目を疑いましたが、紛れもなく、車輪は三つでした。

ヘルメットをかぶった作業員らしき運転者が、真夏の暑い中を、車窓を全開にし、ニガムシをかみつぶしたような顔で運転していました。
30年程経った今でも、はっきりと思い出します。
ですから1990年あたりの、「奇跡の再会」でした。

* * *

おそらく、そのオート三輪は、製造後30年か40年は、使われていたでしょう。
日本最大級のあの企業グループの工場です。
よくぞ、大切に使っていてくれたものです。

昭和の時代は、モノ選びの基本の中に、「耐久性」がしっかり根付いていた時代です。
「頑丈で、長く使えなければ、買う意味がない」…、今の消費交換時代とは、だいぶ違っていますね。

私は、それ以降、博物館などではない場所で、現役のオート三輪を一度も見ていません。


◇現代のオート三輪

こうした「オート三輪」は、前述のとおり、1960年代後半には、その役目を終えるように姿を消していきました。
ですが、近年、小型ではありますが、似たような三輪の乗り物を、東京でも、よく見かけるようになりました。

お酒や料理を運ぶ、三輪のスクーターです。
中には、エンジンなしの、モーター付き自転車のような形式もあります。
宅配の方々が使っていますね。
さすがに、高齢者が乗る小さなバイクは、三輪ではなく四輪です。

これらは、小型過ぎて、「オート三輪」とは、ほど遠い存在です。
あくまでスクーターや自転車の延長上です。

ですが、数年前に、テレビニュースで、電気バッテリーで動く、まさに小型のオート三輪サイズのミニ車両を報道していました。
ゴルフ場のカート程度のサイズにも見えました。
前述の三輪スクーターよりも、しっかりした車両には見えます。
おそらく、転倒対策を施しているとは思います。

これなら、狭い道路でも、ある程度まとまった量の荷物でも、だいじょうぶな気がします。
おまけに静か。

* * *

ただ、デザインがまったくなっていません。
デザインの好みの問題ではなく、プロのデザイナーが関わったプロジェクトなのかと疑うような代物でした。

ミゼットなど、かつてのオート三輪の持っていた、人を惹き付ける魔力を、まるで感じないのです。
今の時代に何も応えていないデザインだと思ってしまいました。


◇そこに、「オート」

この現代の三輪車両は、「オート三輪」のような、心地よい、そして愛されそうな名称でもありませんでした。

昭和の戦前から高度成長期に、この「オート」という音の響きは、特別なものです。
「auto(オート)」…、わかるようで、よくわからない言葉です。

オートバイ、オートメーション、オートマチック、オートモービル、オートパイロット、オートフォーカス、オートレース、オートロック…。
オート三輪の「オート」は、もちろん自動車の意味です。
「オート」と「car(カー)」は、かなり違う印象を受けますね。

この「オート」の中には、人間の手が加わらない「自動」という概念を含んでいます。
実際には、人間と機械の共同作業ですので、すべてが機械の思うがままではありません。
でも、この共同作業には、何か「技術進歩」や「未来」のようなものを、思い起こさせますね。

* * *

現代の今、人間とコンピュータが、会話をしながら、コンピューターがその指示に従うシステムが増えてきました。
キーボードで指示するのとは、何かが違う気がします。
かつての「オート感」が、戻ってきたのでしょうか…。

人間社会の中には、今も「進歩」というものを信仰する国が多いのも事実です。
今は、進歩によるデメリットも、忘れてはいけませんね。

* * *

先ほど、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で、堤真一さんが演じる、自動車修理工場「鈴木オート」の社長のことを書きました。
昭和の時代は、もちろん「〇〇自動車」という会社名の看板も多かったですが、「〇〇オート」も同じくらい多かったと記憶しています。

散髪屋でいえば、「〇〇理髪店」なのか「バーバー〇〇」の違いと似ています。
店主が何を目指しているかによるのでしょうか?

昭和の時代に、もし「オート三輪」という名称ではなく、「三輪自動車」のような名称だったとしたら、そこに「ミゼット」は誕生してきたでしょうか…。
実は、現代でも、こんなことがきっかけで、モノが売れたり、売れなかったりします。
「この品物は、未来につながっているのか、希望や幸せとつながっているのか…」。

* * *

東京・浅草の浅草寺の近くに、「神谷バー」という有名な酒場がありますが、この店には、「デンキ・ブラン」という名称の、お酒のブランデーベースの人気のカクテルがあります。
生まれたのは明治時代です。
当時はアルコール45度だったそうですので、相当な強さのお酒です。
「デンキ・ブラン」の「デンキ」とは「電気」のことです。
感電したように、しびれるお酒という意味をかけたのかもしれません。

明治時代は、近代文明が、西洋から一気に日本にやって来ます。
生活の中に「電気」がやって来たのです。
そうしたこともあり、いろいろな名称に、「電気」や「文化」の文字が入ってきたのです。
この二文字をつけたら、そこには、「豊かさ」と「未来」が加わり、モノが売れたのです。
もはや、電気を使おうが、使うまいが、まったく関係ないものにも、この「電気」や「文化」の文字が加えられていきます。

今の若い世代には、いろいろな製品が、電気で動作するのは当たり前ですが、明治時代はもちろん、昭和のある時期までは、電気で動作することの衝撃はかなりなものです。

昭和のある時期までは、電気冷蔵庫、電気洗濯機、電気掃除機など、わざわざ「電気」の文字がついていましたね。
私は、「電気毛布」という名称を初めて聞いた時に、死にはしないかと怖く感じたことを憶えています。
電気コードに巻き付かれて寝るなど…。
今では、手離せません。

今の若い世代に「文化住宅」と言っても、いったいどんな住宅なのかイメージできないと思います。
昭和の前半世代には、「文化住宅」といえば、おおよそ、その建物がイメージできますね。
もちろん、その住宅は今でもたくさん残っています。

* * *

私は昔から、学校で行われる「文化祭」の「文化」とは何だろうと、ずっと不思議に思っています。
ひょっとしたら、この「電気」や「文化」と同じ意味なのではないかと、密かに思っています。
今、この「文化祭」という昭和臭のする呼び名も、多くの学校で消えてきましたね。

* * *

さて、話しを戻しますが、この「オート」にも、何か前述の「電気」の匂いがします。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」では、「鈴木オート」の社長の堤真一さん一家が、ミゼットに乗って、夕日の中、川の土手を疾走します。
そして、堤真一さんと薬師丸ひろ子さんの夫婦、息子の少年の三人が、土手の向こうに見える、完成したばかりの東京タワーを眺めるのです。
その東京タワーは、まだまだ周囲に高い建物のない東京の街で、大きく真っ赤な夕日を背に、どっしりとした黒いシルエットで、そびえ立っているのです。

その映画の中では、「(東京タワーと夕日が)きれいだ」と語りあう夫婦の言葉に、息子が応えます。
「あたり前じゃないか。明日だって、あさってだって、50年先だって、ずっと夕日はきれいだよ」。

薬師丸さんが言います。
「そうね。そうだといいわね」。
堤さんも、「そうだといいな…」。

映画を見ている昭和世代が、涙を流す瞬間です。

* * *

やはり、この映画では、自動修理会社の名称は、「オート」の文字でないとダメなのでしょう。
そして「オート三輪」の姿が必要だったのだと思います。

オート三輪に乗って進めば、そのまま未来にたどり着けそうな気がしますね。

昭和の戦後は、多くの人が、夕日の向こうにある未来をめざして、走っていた時代です。
多くの人が、生活環境や仕事が違えど、それぞれの目標が違えど、何か同じ方向に向かって走っていた気がします。
周囲にいる、知らない人たちも、そんな風に見えていた気がします。

「幸せ」、「希望」、「未来」、「豊か」…、昭和生まれは、そうした言葉に、皆、何か同じようなイメージを持っているのかもしれません。
だからこそ、つらい時代、貧しい時代を、助け合いながら、乗り越えてこられたのかもしれません。

この映画「ALWAYS 三丁目の夕日」では、映画の終盤に、登場する人物だちが皆、それぞれに、夕日の中の、完成したばかりの東京タワーを、立ち止まって眺めるのです。

平成生まれの世代には、どんな風景が、昭和世代のそれに相当するのでしょうか…。
きっと、何かあるのでしょうね…。

* * *

学校の歴史という授業では、各時代の人間が共有する思想や哲学について、学習する機会はあまりありません。
各時代の偉人たちの、それぞれの思想とは大きく異なるはずです。

「昭和生まれっぽい」…、知っているようで知らない、わかるようでわからない、そんな不思議なものですが、確実に何かが存在しているのは、多くの方が感じているはず…。

明治生まれっぽい…、大正生まれっぽい…、平成生まれっぽい…、これからは令和生まれっぽい…も確実に存在しますね。
「〇〇生まれっぽい…」は、とても幸せな感覚なのだと感じるようになりました。

あなたは、何生まれっぽい…ですか?
自信をもって、「〇〇生まれ」と叫んでいきましょう。


◇日本生まれっぽい

さて、昭和の「オート三輪」ですが…、日本では、現役車両は絶滅したと思います。
化石しか残っていないと思います。

実は、世界を探すと、オート三輪は、しっかり生き続けているのです。

東南アジアのタイでは、「トゥクトゥク」と呼ばれる三輪のタクシーが、大量に走っています。
皆さんも、テレビニュースなどで、ご覧になられていると思います。
日本にあった「ミゼット」に面がまえがソックリですね。
日本の昭和世代としては、こんなかたちで、残ってくれているのは、とてもうれしいです。


* * *

また、インドでも、「オート・リクシャー」という呼び名で、オート三輪が走っています。
この「オート」はもちろん「自動車」の意味です。

では、「リクシャー」とは何か?
そうです。日本の「人力車(じんりきしゃ)」からつくられた造語なのです。

「オート三輪」のような乗り物は、世界のいろいろな場所で生まれましたが、タイやインドのそれは、日本生まれの「オート三輪」なのです。
タイやインドの国の方々…、そのオート三輪を、「日本生まれっぽい…」と感じておられるでしょうか…?

頑丈で、安価で、小さくてかわいい、それに使い勝手がよく実用的…、何となく、日本人の姿を思い出しているのでしょうか…。

何はともあれ、「〇〇生まれっぽい」とは、なかなかいい響きです。
〇〇に何が入ろうが、それは、それにしかない素敵な魅力であるのは間違いありませんね。

* * *

最後に、やはり昭和生まれの、お昼のバラエティ番組(1982〔昭和57〕~2014〔平成26〕放送)をもじって、ひと言「いいかな」…。
「世界にひろげよう!昭和の輪!」。

* * *

2020.6.13 天乃みそ汁
Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.