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麒麟(10)本能寺門前の巌流島

【概要】NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。明智光秀・足利義輝・細川藤孝・三渕藤英。炎の猛将 日野富子。佐々木小次郎と宮本武蔵の巌流島。塚原卜伝の鹿島新當流。足利将軍後継者争い。細川晴元・三好長慶・松永久秀。向井理さん・眞島秀和さん。受験。


前回コラム「麒麟(9)反対側から見る風景」では、戦国大名にとっての鉄砲のこと、兵器による抑止力のこと、歴史を反対側から見ることなどについて書きました。

今回のコラムは、前回に引き続き、大河ドラマ「麒麟がくる」第五回に関連した内容で書いてみたいと思います。


◇いざ、決戦へ

さて、ちょうど今は、学生さんの受験の時期ですね。
私の知り合いのお父さんは、やったこもない「とんかつ揚げ」を家庭で行ったそうです。
どうも上手くいかなかったようで、次は「チキンかつ」に挑戦すると言っていました。
メンチカツ、ハムカツ、マグロカツ…、まだまだ勝利の機会はたくさんありますね。

また、この時期ですので、受験生の我が子のカバン、靴、服、筆記具まで、アルコール除菌に精を出しているそうです。
こんなことしかできないとクチにするパパの姿が健気(けなげ)で、なんとなか乗り越えてほしいものだと思っています。

「お前がジュケンなら、パパはジョキンだ」とか、親父ギャグをかましても、我が子はニヤッだけだったそうです。
パパに「こっちにコロナ」とは言わないで…。
冗談を書いている場合ではありませんね。
自分からは感染を広げないという意識をもって、リスクを少しでも減らす、感染リスクに時間差をつくるなど、自分でやれることをやろうとは思っています。
地震や洪水の危機のときもそうですが、その数秒、その数センチが、命に関わったりします。

前述のパパではないですが、もし一回の手洗いやお掃除で、危機を回避できたとすれば、それは安いものです。
落ちついて、準備だけは怠りないようにしたいと思います。
病人や高齢者はもちろん、時期をずらせない受験生も、少し優先してあげましょうか…。

* * *

我が子の受験ともなると、その家庭は、まさに戦国時代の合戦と同じですね。
現代の一般の方は、戦国武将の家族の気持ちになることは、ほぼできませんが、唯一、近いのは我が子の受験でしょうか。
親からしたら、鉄砲隊が銃を構える戦場に、我が子を送り出すような気分かもしれません。

受験生の皆さんに…、戦っているのは自分だけではありませんよ。
あなたの後ろには、家族がそれぞれの役割で戦っているのです。
パパやママ、兄弟姉妹、祖父母も、見えないだけで、皆、よろい兜(かぶと)をつけているのです。
ペットたちも、ただならぬ雰囲気に気がついていますよ。
合戦で、勝っても、負けても、あなたの帰りを待っているのは、家族だけ…。

合戦は、人生に幾度もやってきます。
勝ったり、負けたりの連続です。
信長、秀吉、家康も皆、そうでした。
人は負けると、実は実力が増します。
人生の「天下分け目」の合戦なんて、本当は、まだまだ先です…。
まずは、天下分け目に向けた「目先の小さな戦い」からです。
心には覚悟と静けさを、そして姿勢は真剣に全力で…。


◇足利将軍 後継者争い

さて、今回の大河ドラマ「麒麟がくる」では、これまでの大河ドラマの「戦国もの」では、ほとんど登場してこなかった武将が、たくさん登場してくると、これまで何度か書いてきました。

松永久秀のことは、おいおい書いていくとして、「麒麟がくる」第五回では、足利義輝(あしかが よしてる)、三淵藤英(みつぶち ふじひで)、細川藤孝(ほそかわ ふじたか)が登場してきましたね。

私は、この三人は、時代劇のどのドラマに出てきたことがあるのか、記憶にないくらいです。
細川藤孝は、歴史ファンであれば、その名はよく知られていますね。
熊本県や兵庫県あたりの方にも、親しみのあるお名前かもしれません。

この三人は「麒麟がくる」に登場してきたばかりですので、あまり詳細に書くと、ドラマが面白くなくなりますので、今回は細かくは書きません。
素性と、足利将軍家のことだけ書きます。

* * *

足利義輝は、室町幕府の13代将軍です。
ドラマの中では、義輝はすでに将軍になっていますので、それより前の時代のことを書きます。

室町幕府の足利将軍の将軍後継争いは、江戸幕府の徳川家の将軍後継争いとそっくりです。
足利将軍家の後継者争いに、有力家臣一族内の内部抗争が絡まって、大きな勢力どうしとなって戦いを繰り返すことになります。
3代将軍 足利義満(よしみつ)のような絶対的な将軍でもない限り、まず全員をおさめることなどできません。

この室町時代の中盤から後半の争いは、光秀の生きた戦国時代につながっている話しも多くあります。
細かい部分は割愛して書いていきます。


◇6代 義教の恐怖政治

室町時代後半の将軍職後継のゴタゴタは、もちろん「応仁の乱」の時の、8代将軍 義政から本格的に始まったといえるかもしれません。
実は、「麒麟がくる」の中心地である美濃国とは、非常に密接に絡んでおり、このあたりのことを知っていると、これからのドラマの中の戦国時代がわかりやすいかもしれません。

室町幕府の足利将軍家も、江戸幕府の徳川将軍家も、偶然なのか15代目で消滅しますが、実は両者とも、4代目からゴタゴタが始まって最後の将軍まで続きます。

江戸幕府では、8代将軍の吉宗が、一度は将軍の求心力を復活させ立て直したように感じますが、またその後すぐにゴタゴタが始まります。
室町幕府は、日野富子や細川政元が、何とか立て直そうとはしましたが、江戸幕府のようにはなりませんでした。
戦国時代の武士たちの荒っぽさは、江戸時代の武士の比ではなかったと思います。

まず、6代将軍 足利義教(よしのり)のお話しです。
6代将軍とはいっても、3代将軍 義満の子です。
江戸時代、5将軍の徳川綱吉が、失墜した江戸幕府の権威を復活させようとしましたが、室町幕府であれば、その役が6代将軍の義教です。
まさに武力でおさえこむ「恐怖の時代」とも呼ばれていました。

* * *

関東の地には、同じ足利尊氏からの流れですが、義満などの将軍家とは別の系統の鎌倉公方 足利持氏(もちうじ)がいましたが、将軍家とはいつも対立ばかりです。
何かにつけて将軍家に反抗するのです。
一族が枝枯れするとは、そうしたものです。
徳川家にも、こうした人物が時折 登場しましたね。

足利内部の争いに、関東管領の上杉氏や今川氏などが絡んで、関東は関東で、おおもめでした。
上杉氏や今川氏は、京の都の将軍側につき、鎌倉公方は滅亡していきます。

その後、将軍家と上杉氏のあいだでゴタゴタし、上杉氏は関東の一大勢力となっていきます。
義教と対立した近畿地方の斯波氏や畠山氏は没落していきます。
斯波氏の没落が、朝倉氏や織田氏の下克上を生みます。

この頃に、延暦寺は武装化を進めますが、前述の鎌倉公方の持氏とつながっていました。
義教は、琵琶湖周辺の京極氏や六角氏に、比叡山攻撃をさせ、降伏させます。
この頃の比叡山延暦寺は、仏教僧というよりも、まさに武装勢力です。

この頃、美濃国(今の岐阜県南部)をはじめとする各地の土岐氏は、一族内で、幕府側と反対勢力側に分かれ争い、結局 幕府側が主流となって残っていきます。

義教は、3代将軍義満のように、武力で、各地の武将たちをおさえこんでいきましたが、ある時、赤松満佑に暗殺されます。
そのときに、山名、京極、大内なども亡くなります。
赤松氏は、後に、細川氏と山名氏によって討伐されます。
ですが、しぶとい赤松氏は復活してきます。


◇8代 義政と、9代 義尚

7代将軍は義教の息子の義勝(よしかつ)でしたが、10歳で死亡します。
そして8代将軍は、幼い弟の義政(よしまさ)がつきます。

そのうち、義政は、有力武将の細川氏や山名氏に対抗しようと、いろいろ画策しますが、上手くいきません。
妻の日野富子(ひの とみこ)とのあいだの実子の早世や、朝廷との確執、天変地異などで、政治を放棄しはじめ、政治の実権は日野富子や武家の伊勢氏に移ります。
簡単に言えば、夫が妻の勢いに屈したともいえます。
富子は、9代将軍に実子の義尚(よしひさ)をつかせるため、山名宗全(やまな そうぜん)に助力を頼みます。
義政は、弟の義視(よしみ)を9代将軍にしようとしていました。
義政・富子夫婦の壮絶な戦いが始まります。

* * *

山名宗全は、幕府の実権の座を狙い、畠山氏一族の内部抗争に乗じて、畠山義就(よしひろ)側につきます。
もう一方の有力武将の細川勝元(ほそかわ かつもと)は、畠山政長(まさなが)側につきます。

そうして日本各地の武家は、東軍の細川勝元と、西軍の山名宗全に分かれて、長い「応仁の乱」が始まります。
義政と富子は、一応、細川勝元のいる東軍側です。
富子は、持ち前の商才により、この戦争で、莫大な富を得るのです。

「応仁の乱」の話しは割愛しますが、有力武将の大内政弘が西軍についたことで、結局、勝敗はつかず、前述の勝元と宗全の死去により、長い戦争は終了します。

そして幕府の実質的な最高権力者は義政ではなく、富子となりますが、さらに世の中の富が富子に集中することで、世間や、息子の義尚(よしひさ)とまで対立してしまいます。

* * *

応仁の乱の時、義政の弟の義視は、当初は義政のいる東軍側でしたが、日野家や伊勢氏とは関係が悪く、なんと西軍と組してしまいます。
その後、山名宗全や細川勝元が亡くなり、義視は日野家と和解しますが、義政とはうまくいかず、美濃国の土岐成頼(しげより)のもとに亡命することになります。

義政は、完全に政務を放棄していたわけではなく、復権をねらっていたことでしょう。
そんな中、9代将軍義尚が、近江国の六角攻撃の際に、亡くなります。
この時代の将軍後継者は、鎌倉幕府や江戸幕府と同様に、死因はかなり怪しいものばかりです。


◇10代 義稙

義政は、将軍に復権しようとしますが、富子が阻みます。
富子は、10代将軍に、西軍側の義視の息子の足利義稙(よしたね・この時代は義材〔よしき〕という名)をつけます。
義政が、富子に勝てるはずはありません。

義稙(よしたね)は、かつての西軍側の武将をともなって、美濃国から京にやってきます。
かつての東軍の総大将、細川勝元の子の細川政元(まさもと)は、面白いはずがありません。

* * *

1940年に義政が、1941年に義視が亡くなり、義稙はかつての東軍の畠山政長とよろしく始めるのです。
それにより、義稙は、富子とも、細川政元とも、対立し始めます。
そんな時に、義稙は、畠山一族の内部抗争に介入してしまいます。
「応仁の乱」の再燃か…。

日野富子、細川政元、伊勢氏は、義稙や畠山政長を攻撃し、畠山政長は亡くなります。
富子は、義稙の毒殺に失敗し、義稙は今の富山県に逃亡します。
ここで義稙が生き延びたことが、さらに後の室町時代の混乱につながっていきます。


◇炎のような日野富子

この頃の富子は、まさに残忍な猛将に見えてきます。
日本史には、「三大悪女」と呼ばれる女性がいますね。
日野富子、北条政子、淀君です。
その執念、その貪欲さ、その権力欲…、室町幕府、鎌倉幕府、豊臣政権の、各時代にいた恐るべき女性たちです。

江戸時代に、ここまでの女性はいなかった気がします。
個人的には、富子のすごさは、他の二人を圧倒しているようにも感じます。


◇11代 義澄

富子や政元は、11代将軍に、関東にいる公方の一族から、足利義澄(よしずみ)をつけます。
そのうち、富子が世を去り、細川政元も暗殺されます。

すると、10代将軍だった義稙は、大内政弘の子の大内義興(よしおき)とともに、京に攻め上り、将軍に返り咲こうとします。

細川家は、一族の内紛でバラバラに分裂しており、義稙を京で迎えたのは、有力武将の細川高国(たかくに)です。
これで足利義稙、細川高国、大内義興、畠山尚順、畠山義元による大勢力が生まれます。

11代将軍の義澄は、近江国(滋賀県南部)の六角氏を頼り、逃亡します。
とはいえ、足利義稙は、将軍になかなか復権できませんでしたが、義澄の死後に復職します。
そのうち大内と畠山が京から離れます。

軍事力の支えであった大内義興がいなくなったため、もともと細川家本流であった細川澄元(すみもと)が京を目指してやってきます。
義稙はなんと、細川高国を裏切って、細川澄元と組みますが、細川高国は、澄元を撃破します。
もともと細川一門の大半は、高国側です。
義稙は、高国と対立し逃亡し、高国は12代将軍に、11代将軍で近江国に逃亡し亡くなった義澄の子である11歳の義晴(よしはる)をつけるのです。


◇12代 義晴

義晴の養育係が、三淵晴員(みつぶち はるかず)の姉で、大舘(おおだて)氏の養女になった人物です。
義晴の周囲には、重要な側近の武家のひとりとして大舘氏がいました。

三淵晴員は、もともとは細川元有の子で、三淵晴恒(はるつね)の養子となりました。
細川元有は、細川家の本流の細川政元に敗れ、家臣となっていた細川家です。

三淵晴員は、ドラマで谷原章介さんが演じる「三淵藤英(みつぶち ふじひで)」の父です。
ドラマの中で藤英が、弟だと語った「細川藤孝(ほそかわ ふじたか)」は、藤英の異母弟で、三淵晴員の兄の細川元常の養子となりました。
細川藤孝は、眞島秀和さんが演じています。

* * *

細川家は、細川政元の暗殺後、分裂し、一族内で争っていました。
細川高国が、もともとの細川家本流の細川澄元を倒したと前述しましたが、澄元の子の細川晴元は、三好元長と手を組み、足利義維(よしつな)を新将軍にするという理由で攻め上がり、細川高国は敗れます。

細川晴元は、足利義維(よしつな)を将軍につかせる約束で、三好元長と手を組んでいたにも関わらず、裏切って12代将軍の義晴と手を組んでしまいます。
その後、細川晴元の陰謀で、三好元長は自刃します。

戦国武将の切腹による数々の自刃の中で、この元長の切腹がもっとも壮絶かもしれません。
テレビドラマでは描けないような壮絶さです。

他の有力武将は足利義晴を将軍として推していましたが、晴元もそうするしかなく、京で、義晴を支える細川家は、細川晴元と、前述の細川元常だけになります。

三好元長の子が三好長慶(みよしながよし)で、長慶は、晴元の重臣になります。
この時、長慶の家臣が松永久秀です。


◇ちょっと、まとめ

足利将軍の真ん中の10代くらいを、相当ザックリと書きました。
細川家と三好家の複雑な関係は、ご理解いただけましたでしょうか。

細川家を中心に、別に少しまとめてみますと、ようするに、足利政権は、8代から13代将軍の時点まで、日野富子と細川政元、細川高国、細川晴元によって支配されていたということです。
政元には11代 足利義澄、高国には10代の義稙と12代義晴、晴元には12代 足利義晴です。

鎌倉幕府の後半は、北条氏が幕府を乗っ取っていましたが、室町幕府の後半のこの頃までは細川氏です。
ここに、向井理さん、こと13代将軍の義輝(よしてる)が、あの太刀(たち)を手に、さっそうと登場してくるのです。
13代将軍 足利義輝は、12代義晴の子です。


◇細川氏の視点で、ちょっとだけ…

絶大な細川政元には、三人の有力な跡継ぎ候補の養子がおり、その中の筆頭は細川澄之(すみゆき)だったのですが、二番手の養子の澄元(すみもと)の家臣の三好之長が政元に近づき、澄之の後継に黄色信号が灯ると、澄之の家臣が、政元を暗殺して、実権を握ろうとしました。

その後、二番手の細川澄元(すみもと)は、細川澄之を討ちます。
三番手の細川高国は、澄元を支援しますが、細川一門は高国のほうを支持します。

この細川のお家騒動に乗じて、大内義興が足利義稙をたてて、京に攻め上がり、足利義稙は将軍に返り咲こうとします。
大内義興、細川高国らが足利義稙を支えます。
大内義興が京を離れ地元に戻るのを見て、二番手だった細川澄元が、高国打倒で再び攻め上がってきます。

足利義稙は、細川高国を裏切って細川澄元と手を組みますが、細川高国は細川澄元を撃破します。
高国は、足利義稙を追放し、12代将軍に、足利義澄の子の義晴をつかせます。

細川高国に敗れた細川澄元の子である細川晴元は、家臣の三好元長とともに、高国を撃破します。
細川晴元は、三好元長を裏切って、12代将軍の足利義晴と手を組みます。

三淵家は、足利義晴の重要側近で、細川藤孝の養父の細川元常は細川澄元側でした。


◇たいへんだ

「麒麟がくる」の第五回で、足利義輝(演:向井理〔むかい おさむ〕さん)のまわりに、三淵藤英(演:谷原章介さん)と細川藤孝(演:眞島秀和さん)がどうしているのかご理解いただけましたでしょうか。
藤英と藤孝は異母兄弟で、義輝から見ると、三淵藤英は父の頃からの側近、細川藤英は、細川高国を破った細川晴元側の細川家として、近くにいるということになります。

壮絶な切腹をした三好元長の息子の三好長慶(みよし ながよし)にとっては、細川晴元は父の仇ですが、和睦し、細川家の家臣に組し入れただけの微妙な関係で、三好の家臣の松永久秀は野心いっぱいです。

そして、第五回のナレーションでは、細川晴元は、家臣の三好長慶や松永久秀の勢力に押され気味のようなことを、さらりと言っていましたね。

* * *

「麒麟がくる」では、これから、どの部分がドラマで描かれていくのかわかりませんが、一応、歴史では、細川晴元が倒した細川高国の養子である細川氏綱(うじつな)が、復讐心いっぱいで、晴元打倒で立ち上がります。
三好一族も、一族内で内紛が始まり、細川晴元はそこに入り込んで、ごちゃごちゃになっていきます。
誰と誰が手を組むのでしょう。
野心いっぱいの松永久秀は、どうやって下克上のチャンスをうかがうのでしょう。
みな、最終的に狙うのは、足利将軍家です。

向井さん、たいへんだ、こりゃ…。

ナレーション説明は、語る方も、聞くほうも、「たいへんだ、こりゃ…」。
そとはいえ、「そんなもんか…」、でも十分ドラマは楽しんでいけるとは思います。

* * *

これから、足利義輝、細川晴元、三好長慶の、三つ巴の壮絶な戦いが描かれていくのだと思います。
細川氏綱が登場してくるのかどうかは知りません。

吉田鋼太郎さんが演じる松永久秀は、一応、現段階では、長慶の家臣です。
怒涛の暗躍や、信長との出会いは、もう少し先だと思います。

* * *

一応、説明はここまでにしますが、元長を殺された三好家にとって、細川晴元への思いはどれほどのものだったか、想像もできません。

細川藤孝の細川家は、晴元とは別で、細川元常の系統です。
この藤孝の息子の細川忠興(ただおき)が、明智光秀の娘の嫁ぎ先であり、その娘が「細川ガラシャ」なのです。

第五回の、光秀と藤孝の出会いを考えると、「本能寺の変」を知った時の藤孝の表情や台詞にも、相当に興味がわいてきます。
藤孝に、どんな台詞が待っているのでしょう。
あの時の光秀が…。

藤孝の異母兄の三淵藤英(演:谷原章介さん)が、これから、どうなるかは、ドラマの展開を楽しみにしてください。

* * *

細川晴元という武将は、ドラマの中でどのように描かれていくのでしょう。
ちょっと、見ていて、うんざりするような行動にも見えてきますが、晴元も、今後の久秀も、道三も、そうでなければ生き残れない時代であったのは間違いありません。
人は、どこまで醜くくなれるのか…。

彼らからみたら、後の光秀の行動など、かわいいものですね。

おそらく、これから細川晴元、三好長慶、足利義輝、三淵藤英、細川藤孝、松永久秀によって、激動の戦乱が描かれていくのだと思います。
「信長ルート」ではない、もうひとつの「天下道」を楽しみたいと思います。
いずれ「信長ルート」と合流します。

* * *

「天下取りレース」は、プロ野球やJリーグにも似ています。
いろいろな場所で、いろいろなチームが激しく戦い、徐々に淘汰され、強豪が残り、最終局面に向かいます。

「麒麟がくる」でも、そろそろ戦国時代後半の、本格的な戦いが始まりそうな様相ですね。
とはいえ、一気に登場し、怒涛のような勢いで突き進む信長は、まだドラマには登場してきていませんね。


◇まるで巌流島

さて、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」第五回では、明智光秀と細川藤孝の運命の出会いが描かれていましたね。

実は、私は、京に向かう光秀の姿が不思議でなりませんでした。

火縄銃を、まるで長刀のように、背中に背負っているのです。
それも真っ赤な布でくるまれています。
私は、一瞬、まるで剣豪の「佐々木小次郎」のようだと思ってしまいました。

佐々木小次郎とは、巌流島(がんりゅうじま)で、宮本武蔵と、剣で決闘する人物です。
吉川英治さんの小説「宮本武蔵」では、二人だけの決闘ですが、実際の戦いは少し違ったようです。

とはいえ、小次郎は、通常よりもはるかに長い刀を使い、必殺技は「燕返し(つばめ がえし)」です。

相手の一太刀をかわしながらの、大きな一振りで相手を倒します。
多くの時代劇でも、その長刀を背中に背負い、私の印象では、赤色のさやにおさめられていました。

佐々木小次郎は、そもそも細川家の剣術指南役でしたね。
もし、光秀が佐々木小次郎であるならば、戦国時代以降の細川家の祖となる細川藤孝と対決させるとは、何ともすごい演出です。

ドラマの中の光秀の剣さばきが、まるで「燕返し」の格好です。
長い剣先が、細川藤孝の着物をかすめますが、藤孝は、まるで宮本武蔵のようにかわすのです。

巌流島の決闘を描こうとしたのかと、ちょっと笑ってしまいました。

藤孝のオチの台詞も笑ってしまいました。
「それは、京では持ち歩かぬほうがいい、目だつ」
やはり、佐々木小次郎で、描きたかったのでしょうか…。

同じ流派の剣豪どうしの立ち合いを、細川家に関係の深い「巌流島の決闘」に見立てるとは、何ともしゃれた演出で最高でした。
せっかくなら、眞島秀和さんの目のアップも欲しかったですが…。


◇足利義輝

今回の大河は、第五回の伊平次といい、その切りクチが、思わぬところから斬り込んでくるので、歴史ファンとしては、非常に楽しめます。
歴史ファンでなければ、なかなか気がついてくれないかも…。

向井理さんが演じる足利義輝の登場の最初の台詞が、なんと、まさかの剣術流派の話しなのです。
剣士の決闘シーンで、義輝を登場させるとは、今回の大河は、やはり一味ちがいますね。

義輝は、一応、剣術の使い手として歴史に残っています。
歴史ファンとして、ちょっとゾクッとする、向井さんの義輝の台詞でした。

藤孝、やめい。
見事な太刀裁きじゃ。
鹿島の太刀とみたが…そうか。

やはり、そうか。
我が師の太刀筋と、よう似ておる。
藤孝、そなたも同じ流派。
仲間どうしの斬り合いはやめておけ。

* * *

義輝の生涯は、後期の足利将軍にはめずらしく、戦いの連続です。
いつか、向井さんの「鹿島の太刀」も見れるのでしょうね。


◇塚原卜伝

この台詞にあった、「我が師」とは、おそらく「塚原卜伝(つかはら ぼくでん)」のことだと思います。

塚原卜伝(つかはら ぼくでん)は、1489年に常陸国(今の茨城県)に生まれた、日本史上、最強の剣豪ともいわれていますね。
「生きていては世のためにあらず」と言わんばかりに、数百人の極悪党を一刀のもとに倒していったそうです。

その剣術は、「鹿島新當流(かしま しんとうりゅう)」、「鹿島の剣」、「香取神道流」などの呼び方がされています。

80数年の生涯を、ほぼ剣術修行にあて、日本全国で指南しました。
指南したひとりに、足利義輝がいます。
そして「一ツの太刀」を義輝に献上伝授したそうです。

* * *

卜伝の全国行脚は、大名行列のようで、馬に乗り、鷹をつれていたともいわれています。
卜伝の剣術は、もはや技能の域を超え、兵法の教え、武士の生きる教えとして、日本各地の武家に伝わっていきます。
各地の戦国大名の兵法に大きな影響を与えていったようで、後に軍学に成長していきます。

第五回のこの決闘シーンは、私の想像では、おそらく1550年前後ではないかと思います。
卜伝は、1571年に亡くなっていますから、まだ存命中ですね。


◇本能寺での最初の決闘

本能寺の門前で、巌流島のような、明智光秀と細川藤孝の決闘シーンを見せ、それを足利義輝に仲裁させるとは、なんとも心にくい演出ですね。
日本には、関ヶ原、川中島、壇ノ浦、巌流島など、決闘の名所が幾つかあります。
本能寺も、巌流島と同じように、光秀の人生最大の決闘場所でしたね…。

義輝は、将軍という立場ではありますが、日本各地の有力武将どうしの戦いの仲裁の、まさに名人です。
その仲裁の数は、たいへんなものです。

義輝は、時代劇ドラマの世界では、あまり目立たない存在の将軍ではありますが、文武に優れた、稀な将軍だったのかもしれません。
闘う闘争心や技能を身につけながらも、普段は平和的で温和な人間性…、向井理さんのイメージにも、ぴったりのような気がします。

* * *

それにしても、本能寺の門前とは…。

だから、本能寺、本能寺と、番組の初め頃の回にもかかわらず、言っていたのでしょうか…。
たしかに、光秀、藤孝、藤英、義輝、四人の出会いと決闘は、本能寺の門前がふさわしい気がします。

この決闘のおよそ30年後、光秀は、また決闘をしに、この門前に戻ってきますね。
今度は、門の奥には、織田信長がいます。

この本能寺の門のセット、相当に立派ですね。
12月に、どんな風景で登場するのでしょうか…。


◇百尺下の心

さて、「鹿島の太刀」のことを、もう少し書きます。

私は、これまで、どこかで「鹿島新當流」の剣術のデモンストレーションを見たような気はしてはいますが、すっかり忘れてしまっていたので、さっそくユーチューブで検索して、その剣術の形を見てみました。

第五回の中の、光秀と藤孝の構えや動作が、たしかに「鹿島新當流」のように見えます。
皆さまも、もしご興味がありましたら、「鹿島新當流」の動画を見てみてください。
戦国時代に近づいた気持ちになりますよ。

* * *

前述の佐々木小次郎の剣術は、中条流ともいうそうですが、私は剣術に明るくないので、これ以上は書けません。
彼は「岩流(がんりゅう)」という独自の流派をつくりましたね。
もともとは毛利家に仕えていたようですが、巌流島の決闘の時は、小倉藩細川家の剣術師範でした。

ドラマに登場する細川藤孝(細川幽斎)が亡くなるのは1610年で、巌流島の決闘が行われたのは、1612年か1727年ともいわれています。
藤孝が、巌流島のできごとを知っていたかどうかはわかりませんが、佐々木小次郎と細川家は、深い関係性がありますね。

* * *

第五回では、まさに、もともとは同じ清和源氏の武士たちで、同じ流派の剣術使い…、そんな彼らの真剣な瞬間を見せてくれました。
光秀と藤孝の、二人の長く深い関係性を考えると、衝撃の出会いのシーンでした。

羅生門のような門の前で出会った、光秀、義輝、藤英、藤孝という四人の武士の、それぞれの人生の道は、あまりにも違っていて、壮絶です。
今回の大河ドラマは、人の死と生を、強く考えさせてくれるのかもしれませんね。

* * *

鹿島神宮のある茨城県は、明智家の大もとである土岐氏とは、非常に関係の深い場所でもあります。
「鹿島新當流」を通して、茨城県を登場させるとは、NHKも相当の使い手…。

* * *

最後に、「巌流島の決闘」を描いた、吉川英治の小説「宮本武蔵」の最後のすばらしい文章を書いて、今回のコラムを終わりにしたいと思います。

波騒(なみざい)は、世の常である。
波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚(ざこ)は歌い、雑魚は踊る。
けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。
水の深さを。

* * *

人の「真剣」の心とは、本当は、人の深い深い場所に、あるのです…。


コラム「麒麟(11)」につづく。


2020.2.21 天乃 みそ汁
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