「映像&史跡 fun」は、映像・テレビ番組・史跡・旅・動画撮影のヒントなどをご紹介するコラムです。


麒麟(12)織田入り様のお蝶様

【概要】NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。ひなまつりの歴史。お内裏様とおひな様。帰蝶と光秀。かなわぬ夢。七段飾り。


前回コラム「麒麟(11)後悔などあろうはずがない」では、京都での足利将軍家、細川氏、三好氏、松永氏などの壮絶な争いのこと、松永久秀の陰謀のこと、中居正広さん、イチローさんのことなどについて書きました。

今回のコラムは、大河ドラマ「麒麟がくる」の第七回「帰蝶の願い」に関連した内容で、書いてみたいと思います。

「麒麟がくる」のお話しを書く前に、本コラムは歴史コラムでもありますので、「ひなまつり」の歴史について少しだけ書きたいと思います。


◇ひなまつりの歴史

本日は2020年、令和最初の3月3日の「ひなまつり」の日です。
女の子の成長と幸せを願う、古くからある大切な行事ですね。

今年は、新型コロナの影響もあり、少しさみしい「ひなまつり」です。
例年のような「ひな段飾り」が、飾られない街の行事もあります。

とはいえ、あの童謡「うれしい ひなまつり」を、街なかで耳にすることは多くありますね。
♪あかりをつけましょ、ぼんぼりに。お花をあげましょ、桃の花…。
♪おだいり様と、おひな様、二人並んで、すまし顔…。

* * *

旧暦の3月3日(西暦の4月頃)は、日本の五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のひとつで、「上巳(じょうし・じょうみ)」にあたります。
桃の花が咲く旧暦の季節ですので、この日を「桃の節句」とも呼びますね。

もともと、平安時代よりも前から、この日に、貴族の上流社会の中で「上巳の節句」と呼ぶ行事が行われていたそうです。
貴族の子供たちが、天皇の住まいである御所の建物の模型に、さまざまな装飾を飾りつけ、そこで楽しく過ごしたのだそうです。

江戸時代に、その行事が、子供たちが大好きな「人形遊び」と結びつき、「ひなまつり」の風習として武士階級に広がっていったそうです。
戦国時代が終わり、文化を愉しむゆとりが、社会にあらわれてきたということですね。

* * *

昔から、紙で作られた、人の形をした型紙などを川に流す祭礼があったことは、知られていますね。
人の「けがれ」を込めた、その「人の形」を、川や海に流すというものです。
さまざまな災いや厄をお祓いする意味合いです。
ひな人形を、川に流す「流しびな」の風習は、今も残っていたりもします。

* * *

武家社会に「ひなまつり」の行事が広がるとともに、「上巳の節句」は女子、「端午の節句」は男子にと、分けられていったそうです。
自宅に飾りやすく、立派で見栄えもよい、大型の七段の「ひな段飾り」も登場してきます。
古式からの関連した食べ物、飲み物などに加えて、さまざまな内容が、ひなまつりの行事に加わっていきます。

子供たちをさしおいて、白酒、甘酒、ちらし寿司…、いつのまにやら、大人も楽しさいっぱいです。
子供たちには、ひなあわれ、菱餅(ひしもち)…。
もはや、子供も、大人も楽しめる、日本の一大イベントとなりました。

なにより、「ひな人形」は、親が、子供にたくす思いや願いを込めやすく、子供たちも大喜び、大人はお酒と寿司を楽しみながら、「お内裏様夫婦」の話しや、自身の子供の頃の思い出話しなどで盛り上がる…、これが日本中に広まっていった要因かと思います。
大人になって、ひな人形を見た時、きっと多くの方が、自身の幼少期や家族のことを思い出されていることと思います。

「ひなまつり」の普及は、日本の人形文化と制作技術の発展、そして日本人が愉しみを共有する文化として、大きく貢献してくれました。


◇願いや希望を込めて…

個人的には、日本人の「ゆるキャラ好き」、「フィギュア(精巧な人形の一種)好き」と無縁ではないと感じています。
自宅に、フィギュアの七段飾りが、通年飾ってある男子だって、相当に多いはずです。
今なら、スターウォーズ七段飾りあたりでしょうか。
七段ではおさまらず、人形部屋になっている方もおられるでしょう。

女の子だけでなく、男の子だって、乗り物、動物、怪獣、武器などの玩具が大好きです。
女子の「上巳の節句(桃の節句)」、男子の「端午の節句」に、自然と分かれていっても、まったく不思議はありませんね。
もちろん、性別にこだわる必要など、それほどありませんが、いくつになっても、女性には何となく気になる「ひなまつり」ですね。

* * *

家庭によって、ちらし寿司のスタイルもさまざま…、家ごとに「ひなまつり」の食卓の風景は違いますね。
桃色や赤色による、華やかで、やわらかで、やさしい、「ひなまつり」の雰囲気は、一年の中のいろいろな季節行事の中でも、唯一のものかもしれません。
この日は、多くの家庭の食卓が、桃色のある華やかな色あいに包まれていることでしょう。

桃色いっぱいの華やかな雰囲気は、寒さが残る季節から、一気に「春気分」に転換させてくれます。
ここから、一気に、梅色、桜色の季節へと突入していきます。
そして、新緑の緑色や青色の「端午の節句」を過ぎ、紫色の梅雨のあと、真っ青な夏色へと向かいます。

日本には、なんと季節行事が多いことでしょう。
それぞれに合わせた菓子や料理もあります。
四季を愉しむ「心のゆとり」や「夢や希望」を、いつまでも大切に持っていたいものですね。


◇ひな段飾り

ひな段飾りは、東日本と西日本で、男雛(おびな)と女雛(めびな)の並び方が逆であったりするのは、よく知られていますね。

日本の古来からのしきたりでは、向かって右側が上位の立ち位置ですので、古式に従えば、男雛が右側です。
関西の「京雛」では、男雛が右側が多いとも聞きました。

* * *

明治維新により、天皇陛下が東京にお移りになりました。
当時の明治政府は、西欧列強に追いつけ追い越せの政策もあり、西洋の習慣をどんどん取り入れていきます。

人々は、洋服やドレスを着るようになり、西洋式の食事、マナーが行われるようになりましたね。
西洋では、基本的に、上位の人間が、向かって左側に立つのです。

そうしたこともあり、「関東雛」では、向かって左側が男雛となっていきました。

昨年の、新天皇の即位関連では、外国の賓客をたくさん招待する国際的な儀式・行事でした。
ですから、天皇陛下も、向かって左側にお立ちになりましたね。


◇お内裏様

実は、「お内裏(だいり)様」とは、男雛と女雛の両方をさすものです。

「内裏(だいり)」とは、平安京(今の京都市中央部)の中にある、宮城である平安宮「大内裏(だいだいり)」の中の、塀で囲まれた、天皇が政務する場所や、日常生活を行う場所などの重要エリアのことです。
場所の意味では、「御所」、「禁裏(きんり)」と呼ぶ場合もあります。
ですから、「お内裏様」、「御所様」、「禁裏様」というように、「様」がつくと、それは場所ではなく、特定の人物を意味することになります。

京都の大内裏には、「紫宸殿(ししんでん)」という、行事を行う重要な建物があり、建物前には向かって右側に桜(紫宸殿から見て左近桜)、左側に橘(たちばな / 紫宸殿から見て右近橘)の樹木が植えてあります。

ひな段飾りは、もともと天皇皇后両陛下の結婚式を表現したものなのです。
ですから、最上段にいる夫妻のお人形は、ふたりで「お内裏様」となります。

大型の七段飾りの場合は、15人飾りと呼ばれ、前述の樹木を御所と同じように、ひな壇に飾り、三人官女(侍女)、五人囃子(音楽隊)、二人の随臣(ずいじん・武器を持った右大臣と左大臣)、三人の仕丁(じちょう・従者)が、お内裏様の各下段にそれぞれ並びます。
そして、多くの嫁入り道具などが並べられます。

* * *

ちなみに、前述の右大臣は、ひな壇の、向かって左側で、左大臣は向かって右側です。
右大臣が武力のある若武者を意味し、左大臣は知性や学識のある老武者です。
両者は、いわゆる皇室の警護の役目です。
左大臣は、右大臣よりも格上です。

江戸時代までのトップの武将や公家たちには、右大臣、左大臣、右大将、左大将などの官位が与えられていました。
「右大将」は、実は、「征夷大将軍」よりも格上です。

「左」になれたのは、基本的に五摂家(近衛・鷹司・一条・二条・九条、ようするに藤原家です)で、源頼朝、織田信長、徳川将軍らは、右大臣や右大将(右近衛大将)です。
たいがいの武人は「右」です。
「右」と「左」は、今でも、似たような意味合いを持っていますね。

右大臣の信長が「右府様(うふさま)」と呼ばれていたのはそのためです。
家康の「内府様」という有名な呼称は、「内大臣」だった時代のことです。

* * *

昨年、男雛と女雛の「お内裏様」の本物の姿を、天皇皇后両陛下の「即位の礼」で見ることができましたね。
皇后陛下や女性皇族の方々は、髪型の「おすべらかし」や、十二単の御着物を着ておられました。
おひな様の姿といっしょでしたね。

ひな人形たちの、華やかで素敵な衣装は、決して想像物ではなく、現実に人間が着ていた着物なのです。


◇♪うれしい ひなまつり

前述の童謡「うれしい ひまなつり」は、1936年(昭和11年)に発表されたもので、作詞は、有名なサトウハチローさんです。

この歌詞は、古くから、いくつかの誤りが指摘されていますね。
サトウハチローさんも、作詞した時点で誤認していたと語っていたそうです。

歌詞の「お内裏様とおひな様」…、前述しましたが、「お内裏様」は男雛(天皇)と女雛(皇后)の両方を示すもので、両者を区別して表現するものでは、本来ないものです。

歌詞の「あかいお顔の右大臣」…、赤い顔の年をとったほうの武者は、本当は左大臣です。

歴史マニアや歴史ファン、日本文化に精通している人でもなければ、ついつい間違えてしまいますね。
すでに、歌詞が定着しすぎて、変更も簡単ではありません。

この歌詞を聞くと、ひな段飾りの華やかな光景と、その段の前にちょこんと座るかわいい着物の女の子が、目に浮かんでくる、それは素晴らしい歌詞です。
この歌詞だからこそ、世の中に定着した童謡ですね。
間違いがあるとしても、歌詞を変えたくない気がします。

こんな間違いエピソードとともに、童謡を残していくのも、「学べる うれしい ひなまつり」かもしれませんね。


◇ひいなちゃん

ちなみに「おひな様」の「ひな」とは、平安時代のかわいいを意味する「ひいな」という言葉が「ひな」に変化したとも、実は、「ひな」「ひいな」「ひひな」など、さまざまな呼び方があったなど、いろいろな説があります。
もともと、「ひな」や「ひいな」は、女の子たちが遊びで使う、小さな人形を意味していたともいわれているようです。

歴史全般が好きな歴史ファンからしたら、「お内裏様」の定義や、「ひな」の語源などは、それほど気になることでもありませんが、人形業界やイベント業界でしたら、相当に重要な事柄かもしれませんね。

* * *

ご自宅で、ひな人形を飾る際、お内裏様の並べ方は、各家庭の自由でいいのかもしれません。
「我が家は、実際の夫婦の地位にあわせて…」とか、「ひなまつりくらいは、ご主人を立てましょう」でも、いいかと思います。

小さな女の子たちも、大人の女性たちも、この日に、何か夢や希望を抱いたり、一瞬でも親からの愛情を思い出せれば、それでいいのかもしれません。

「ひなまつり」…、それは愛や夢を感じる日ですね。
「ひなちゃんの日」、「ひいなちゃんの日」です。

日本中の「ひいなちゃん」たちは歌いましょう。
♪今日は、私も晴れ姿


◇織田入り様

さて、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第七回「帰蝶の願い」では、織田家に嫁ぐことに悩む「帰蝶(きちょう)」の姿が描かれていましたね。

コラム「麒麟(4)土岐のおいとま・蝶が帰る場所」でも書きましたが、帰蝶の生涯は、断片的にしかわかっていません。
いつ、どこで亡くなったかも断定できていません。
ある頃に、消息がわからなくなります。
信長の女性関係は、特に、よくわかっていません。

* * *

今回の大河ドラマでは、帰蝶と光秀のあいだに、そこはかとない愛情関係があるように描かれています。
次回の第八回で、帰蝶は、自分の人生を光秀にゆだねるのでしょうか…。

このあたりは、史実ではわかりませんので、架空の愛の物語として描かれていくのだろうと思います。
ということは、今回の大河ドラマ「麒麟がくる」の「本能寺の変」のシーンでは、その本能寺の場に帰蝶がいるという設定なのかもしれません。

個人的には、そうであってほしいと思っています。

帰蝶は、光秀によって、人生をつくられ、しめくくりも彼にゆだねることになるのかもしれませんね。

帰蝶は、本能寺の炎の中で、「水色桔梗」の旗を見た瞬間に、どのように思うのでしょうか…。
ドラマの中で、ひょっとしたら、帰蝶は本能寺で、光秀と顔を会わせるのかもしれませんね。
どんな表情をするのでしょう…。
どんな言葉を言うのでしょう…。


◇衝撃の登場シーン

第七回では、織田信長が、このドラマに初めて登場してきました。

今回の大河ドラマは、各登場人物が、思いもかけない意外な風景の中から初登場してきますね。
このこだわりは、いち視聴者として、非常に楽しみです。

今回の信長も、まさかの海からの登場です。

本能寺の炎のような、真っ赤な朝日を背景に、「(魚捕り用の)もり」を持ったシルエットでの登場です。
まさか、こんなド派手な演出になるとは、想像もしていませんでした。
現実的には、ありえないような登場ですが、これがドラマのいいところ…。

光秀の目には、信長のこの姿と風景が焼き付けられたことでしょう。
二人の出会いと別れが、まさに、よく似た風景とは…。


◇菊丸…だれや?

ちなみに、岡村隆史さんが演じる「菊丸」のことですが、私は、コラム「麒麟(7)一撃必殺・ウソぴょんがくる」で、菊丸はどこかの武将の間者(忍者)のはずだと書きました。

候補として、織田、斎藤、今川、武田、朝倉、甲賀者、伊賀者、六角、京極、松永、徳川あたりが考えられますが、この第七回から察すると、斎藤道三は候補からはずしていいのかもしれません。
いずれにしても、光秀の動きを監視していることだけは確かです。
ちょっとしたミステリードラマの味付けも、なかなか面白いですね。


◇かなわぬ夢

第七回は、全体的に現代劇の愛のドラマのような雰囲気と台詞でしたね。

ドラマの中で、門脇麦さんが演じる「駒(こま)」の台詞に、次のようなものがありました。

石川さゆりさんが演じる「牧(光秀の母)」が、「どんな女性も等しく、そういう時(結婚)をむかえる」という主旨のことを言います。

そこで駒が言います。
「それができぬものは、どうすればいいのでしょうか。」
「思うても、思いをとげられぬ者もおりましょう。身分のこと、暮らしむき(経済力)のこと、さまざまなわけがあり、嫁ぐことがかなわぬ者は…」

この台詞は、男の私にも、ドキッとした台詞でした。

コラム「麒麟(9)反対側から見る風景」で兵器による抑止力の話しを書きましたが、今回の大河ドラマでは、現代にある社会ネタもどんどん入ってきますね。
今回の大河ドラマでは、登場人物の台詞の中に、制作者の主張が、かなり入ってくる気がします。
いろいろなものが「くる」のです。
個人的には、おおいに結構です。

* * *

第七回の駒の台詞は、もちろん自分自身のことを語ったものではありますが、今の未婚の若者の苦悩をも連想させます。

皆がみな、「お内裏様」になれるわけではありません。
まさに、光秀と帰蝶はそうでした。

夢見ても、努力しても、かなわぬ場合もあるのです。

* * *

「麒麟がくる」第七回は、女性たちの苦悩はもちろん、自分の思いが伝わらない、実現できない男の武将たちの姿も描かれていました。
思いが伝わらない者どうしは、いつか戦いにまで発展しますね。
帰蝶と光秀のように、かなわなくとも、伝わる場合もあります。

人の思いを理解する能力が高い光秀は、ドラマの中で、これから、いろいろな人間の間で苦悩することになりますね。


◇いつか、その日が…

本木雅弘さんが演じる斎藤道三は、光秀に言います。
「京で内裏を見てきたか…」。

光秀は言います。
「長い塀があり、中は見えませんでした。」

光秀がドラマの中で、実際に「お内裏様」となるのは、もう近いでしょう。
でも、相手は帰蝶ではありません。

帰蝶は、近いうちに、「織田入り様」となります。
はたして、彼女にとって「うれしい ひなまつり」となるでしょうか…。

* * *

3月3日…、「ひなまつり」が今年かなわなかったとしても、皆さまに、「うれしい ひなまつり」が、毎年 訪れますように…。

* * *

コラム「麒麟(13)」につづく。


2020.3.3 天乃 みそ汁
Copyright © KEROKEROnet.Co.,Ltd, All rights reserved.